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江 ノ 電 その2 (ハナタレ小僧の写真帳~2010年代) |
500形 |
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↑↓501F(501+551) |
江ノ電といえば店主はこの車両。登場当時は両開き扉、セミクロスシートの豪華仕様だった。
前面中央窓は登場当時の写真では周囲にRが付いて正面は円熟した顔立ちであった。
ポール時代はポイント部のポール紐の操作が必要だったので中央窓は下降出来たのだろうが、撮影時点ではワイパーが付いて固定窓化
店主的に江ノ電と言えば、この車両というほど優れたデザインだった。 |
500形諸元 |
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当初車番 |
製造年 |
製造所 |
備 考 |
501-551 |
501 |
1956.06.25 |
東洋工機 |
新造車だが、201(Ⅰ)、115.117等の廃車部品も流用 |
502-552 |
502 |
1957.03.13 |
東急車輌 |
連接車の車番は「運輸省1959.11.11付通達:車両単位で算定」で藤沢方0番台でそのまま、鎌倉方50番台に再付番 |
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↑552の前照灯の両サイドは当初タイフォンだった。運転台に雨樋が付いている
551のヘッドライトが近距離の路面を照らすようかなり下向きにデザインされている
両車とも続行運転用の白円盤付けっぱなし。ちょっと??な運転であった。
夏場の乗務員はUVカット眼鏡も無い時代だったので、ほぼ全員濃ゆいサングラスを着用していた。
海のギラギラもまぶしかったのだろうが、今は世間は理由はどうあれ許してくれない。
※雪国の地方鉄道も着用が多かった。白い世界の反射を見続けるのは大変な眼精疲労になる。 |
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↑板金を含む入場検査中。 |
↑↓500形はジャンパ栓受けがナンバーの高さにあって、重連時は相手の連結器下にある栓受につなげた。
栓の高さを上げることでジャンパを長尺化し、曲線の偏奇に対応できる長さが確保されている。
ただし車体長が25.2Mと他連接車に比較して長いので500形同士が組むことが原則無かった。
その後、目も当てられない前面窓5枚化工事と走行装置の一新で密連、電連化され、ジャンパ栓受けは撤去された。
乗客も増え経営環境も好転。冷房化するより1000形以降の高性能車を導入した方が得策と、人気もあるので、その他取って付けた理由で廃車になった。と店主想像。
この2編成だけは305と同様に改造し、前面を元に戻して活躍させて欲しかった。 |
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連結運転出来ない801、601と共に。全車ATS車上子付。
車庫は全面改築大型化されシャッターも付いて、このような写真は撮影不可となった。 |
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↑鎌倉高校前駅を出発 電連+密連で連結器首振+支えガイドが
耐重量化され、ガイドのカーブ状況が判る |
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↑腰部に前照灯を新設した。上部の前照灯を板で塞ぐ不粋な状況も一時期あり、その後ケース自体が撤去された。
さらに500形は1984~85にかけて左右のR窓が非冷房のため、通気性確保で2分割の開閉形アルミサッシになり前面窓数は江ノ電最多の5枚窓になった。
そんな写真イランわ。てなもんで (本当は持ってない-苦笑)
車体長から同型式で原則、重連が出来ないのが最大の難点で全列車重連運用時は300形と組んだ。 |
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↑501Fと304Fの交換
↓ソフト修正 夜景はプリントすると異様にインクを使用するので・・・。まぁ、画面の鑑賞で我慢。 |
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600形 |
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↑603F |
600形諸元 |
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601 |
602 |
603 |
604 |
東急最終番号 |
デハ87 |
デハ88 |
デハ89 |
デハ90 |
江ノ電竣工 |
1970.08 |
1970. |
当初主電動機流用 |
電2号×2 |
110号×2 |
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主電動機(歯車比) |
37.3kw×2(3) |
44.7kw×4(3) |
63.8kw×2(3.2) |
50kw×4(3.37) |
定格速度(定格引張力kg) |
30(1,020) |
30(2,040) |
42(1,120) |
41(1,800) |
車体長(自重t) |
13,900(19.5) |
13,900(21.7) |
13,900(19.5) |
13,900(21.7) |
【入線時改造】
2両固定化(両端客ドアを中央寄に後退改造、連結側運転台撤去、自動扉化)
台車改軌1372mm→1067mm
新塗装色(金太郎塗り→直線塗り)
■偶数車のパンタ位置変更
連結面にあった鎌倉方の偶数車のパンタが1972年、上昇下降の操作の関係から運転台側に移設された。
■藤沢高架駅取り付け部線路勾配対策
1973年6月(入場)で602、同年10月(入場)で604を4個モーター化
602は2個を外し、100形110と105の主電動機DK31A(44.7kw)を取り外して4個モータ化、
603に静岡鉄道から譲受のモータを取付取り外したTDK583(37.5kw)-2個を追加して4個モータ化した。 |
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↑お輿入れ時、このニューカラーは前面が金太郎塗りだった。ATS車上子非設
しかしパンタ摺り板の粉と制輪子の鉄粉が車体に付着して汚損が目立つので、たった18ヶ月後の定期検査で標準色に再塗装された。604のパンタ位置は移設前 |
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↑パンタ位置を鎌倉方に移設後。↑↓雨樋が取り付けられた。 |
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↑603+604 (車体更新後) ATS車上子付 |
外見では前照灯の腰部移設、前面中央2枚及び側面の戸袋もHゴム化された。制御器箱は出力向上時に交換されて大きくなった
連結車として活躍したが、車体長が13,920mmと大きく、4連で55,680mm、連接車の最大長306Fの24,975mm+次位の301F24,754mmを仮に連結したとすると合計差は5,951mmと約6mもあり、編成長さと制御器の相違から300形と併結も出来ないため淘汰の対象となって1990年に廃車。 |
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800形 |
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↑801F(801+802) ATS車上子が見える |
山梨交通モハ7形として1948年に増備の形で2両が汽車会社東京支店で製造されたが、1962年6月30日で営業廃止となり、翌年、上田交通に引き取られ、丸子線用の車両として「モハ2340形」として稼働した。
しかし、中央東線の複線化の路盤提供も含む営業▲諸事情で1969年4月20日を以て丸子線が廃止され、江ノ電に引取られて1971年に800形801+802として稼働を開始した。
就役時、主電動機を編成で半減させていたが、藤沢高架化取り付け部の35パーミルの運転に支障の無いように1973.8に802のみ4個モーター化して制御器が追加され、801の制御器と総括制御になり、パンタグラフも再搭載された。
1975年に3扉化されたが、編成の収容力は大きかったが、連結車体長で編成×2=不可、他車と重連不能のため1986廃車。
山梨交通時代の運転電気特筆されるのは[へそ]にあった前照灯を昼間は取り外して運転していた。
車内に収納していたのか?夜間の折返しは取り外して進行側に付け直していたのだろうか。前照灯製作代金を節約していたのか?不思議すぎた会社。 |
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↑中央ドア新設でドア両サイドの窓は見た目、幅が1.5倍程度に変更された。鋼製、どこぞの会社の廃品改造かも??
戸袋側の窓(写真左)は当然固定、右は開閉可のように見えるがはて、実際は?保護棒は通しでデザインを考慮している。
両端の扉は木製で端に木?柱で扉の強度を増強した珍品ちゃぁ珍品のドア。
スピードメータの発電機を2エンド側の台車に取り付け。
パンタを藤沢方に移設したので屋上に母線パイプが這っている。 |
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↓現在の車庫 |
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1000形 |
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↑↓1001F(1001+1051) |
1979年11月、極楽寺車庫に新車が搬入される。何故か年内就役を超急いでいる印象だったような風だった。
設計は東急車輌のデザイナーがメインだったので(最終的に会社承認という意味)、前年登場の京急800形のデザインを多分に取り入れた
車両になっていた。
翌年に前1年間に新形式として登場した車両を投票と審査で選考される鉄●●●会の「ブ●ル●ボ●賞」が贈られた。
何時頃とは言わないが、投票権獲得のためか?新車を登場させた●●の●員が何故か増えるという過熱現象も起きたことも仄聞した。
問題になったようだが、この年はこの車以外めぼしい車両が無かった。
前年の某急800形は強敵がいて「●ーレ●賞」だった。同じ通勤車でオカシクねぇ?と店主は違和感を覚えた
さて、500形が非冷房で両脇の窓を改造(1984~85)したのに、この車はもうすぐ冷房付けるから数年我慢してくれだったのか?
1001Fは1985年1002Fは1986年冷房機取り付け。それまで、乗務員室の通風は乗務員室窓と電気扇のみ。相当暑かったのではないか?
両サイドをアルミサッシ上昇2段窓化(下降式はライトハウジング障り)すると、ナカナナカの風貌になったのでは?? |
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↑この台車は京急800形の流れは入っていません(笑)
外面の主要構造は↓京急吊掛車用最後の新型台車、
東急車輌製TS806コイルバネ台車の軸間を短くして簡素化した構造で
急曲線対応で車軸間隔を短くするため、
モーターを台車外枠に懸架する構造のため台枠は長い |
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↑連結部空気管と電纜は向きを変えている。
主電動機がない分台枠はサッパリ短い。 |
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↑ヌカヌカCPは新品なのか? |
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↑1001F 今となっては貴重な窓全開 ↓1002F |
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↑その後冷房搭載となる。 |
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↑吊掛車なので海岸の直線区間を夜間ブッ飛ばしての走行は中々良かったが・・・。 |
重連用連結対応 |
重連になると先頭車同士の首振り角が大きくなって通常各社の前面両端の位置ではエアホースやジャンパ線が伸びきってしまう危険もあるので、連結器の両サイドにまとめて 連結器と一緒の動きとする方法がとられた。
その後、連結器の上部に小型電気連結器箱に集約する方法になり、走行装置一新で電気ブレーキ化された車両は密連の下に電連を下げる方法と変遷している |
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↑301 ↓305 (藤沢方) |
↑302 ↓ 306(鎌倉方) |
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連結器の変化 |
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↑552号 当初の小型密着自連(非常牽引用?)
首振水平保持+吊下支えガイドレール付 |
↑552号重連装備前面下部に切り欠き入れて
NCB-Ⅱ化連結胴受けを上吊り形とした |
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↑305号当初の小型密着自連。↑の重連対応を連結器を経て→になります |
↑305 駆動装置、密連化電軌連結器一新。下胴受けに |
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↑NCBⅡ用の小型電連自連 整備中?箱押出用のレバー未取付
1001号藤沢側
連結器の上部に箱載可能なように制作時に特殊な鋳込みをしている |
↑使用開始後
連結後にレバーで電連を押し出して未着させるようだ
グリスの塗り方かそれとも連結器の肉を少し削ってる? |
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↑NCBⅡ用の小型電連自連 1052号鎌倉側
切欠きが1002の直線と違う
連結時隙間が変化するので鎌倉方の電連箱が隙間に合わせて前後動する |
↑ 密連化される。電連も下に移設された。
密連の空気管は非常制動用の1本のみ |
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↑拡大
密連現在最終形。電連箱が下部になり、
上下動で当たりを避ける前面の切欠きに鉄板を貼り,切り欠きが無くなった |
ちょっと見かけた江ノ電色のバス。可愛いと思って掲載 |
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本ページは鉄道図書刊行会「私鉄車両めぐり特輯第3輯」今城光英様、「アーカイブセレクション」33号小蔦達夫様・飛田康行様、「鉄道ピクトリアル620号」高島修一様執筆記事並びに朝日新聞社刊「世界の鉄道'73」を参照させて頂きました。御礼申し上げます。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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