(その4)アルプス一万尺へのアプローチ 松本電気鉄道 (現アルピコ交通)
↑ すっかり雪化粧した北アルプスの山稜をバックに奈良井川を渡る
 三角錐を天空に突き立てる常念岳がひときわ美しい(渚駅―信濃荒井駅間で)●撮影:大友秀俊
※以下、写真は特記以外全て筆者撮影
 
  ↑松本電気鉄道の路線図(1990年当時)
 松本から槍・穂高連峰、上高地や乗鞍岳などへ向かう登山客やハイカー、観光客のアクセスの足として親しまれている松本電気鉄道上高地線(松本―新島々間14.4km)では、1986年(昭61)12月20日に架線電圧が750Vから1,500Vに昇圧され、東急から転入した5000系電車8両がワンマン運転により活躍を始めた。同年6月18日限りで東急での営業運転(最終線区は目蒲線)から引退した5000系のローカル私鉄への譲渡としては最後の事例となったほか、これにより、長野電鉄・上田交通に続いて、当時の長野県下の三私鉄全社に5000系が顔をそろえたことになる。
↑旧型車10形の引退を惜しみ
 新型車5000系を歓迎する告知看板(新村駅で)●撮影:大友秀俊
 5000系入線前の上高地線では、古い木造車両の車体を日本車輛製の地方私鉄向け標準設計鋼製車体に載せ代えた(台車や主電動機など下回り装置は旧来のまま)モハ10形6両、クハ10形1両がオレンジ色とグレーという渋目の塗り分けで長年にわたって走ってきたが、全車が昇圧でお役御免に… これらの車両は引退から数年間は解体されずに現地に留置されたまま残り、傷んだ車体をさらしていた。
 ところで、1921年(大10)から翌年にかけて開業した上高地線を営業する会社は当初、筑摩鉄道、次いで筑摩電気鉄道と称しており、松本電気鉄道への改称は1932年(昭7)のこと。現存する同線のほか、1924年(大13)から1964年(昭39)までの40年間は、松本から北東方の浅間温泉に至る5.3kmの軌道線、チンチン電車が走る「浅間線」も運行されていた。なお今年(2011年)4月1日、松本電気鉄道は同じアルピコグループ内のバス会社である諏訪バス、川中島バスを合併のうえ、社名が「アルピコ交通」に変更された。ただし鉄道線であることをアピールするため、今後も上高地線の通称として「松本電鉄」の名前が使われることになっている。
↑昇圧前に活躍していた旧型車10形はしばらくの間は留置されたまま残り
新入線の5000系と顔を並べるシーンも見られた(新村駅で) 
 東急5000系の松本での形式はモハ5000形とクハ5000形で、2両編成4本の陣容となったが、このうちの2両(モハ5007・モハ5009)は1両でも走れるように(単行運転が可能なように)元の連結面側の貫通路を狭くして扉を設け、片隅に運転台を新設した両側運転台付き車両に変身した。新設運転台は貫通扉がある3枚窓で上田交通クハ290形にも似た切妻の「平面ガエル」スタイルとなり、車両の前後で全く異なる二つの「顔」が出来上がったが、実際には1両で営業運転されることはなかったようである。このほか全車両に共通して、暖房装置の増設、暖房の回路を2回路として外気温度に合わせて選択可能とした、などの寒冷地向け対策の改造も施されている。車体は白に近いアイボリーを地色に青と赤のストライプ、松本電気鉄道の頭文字「MRC」の赤いロゴマークが入ったフランス国旗と同じような色彩のトリコロール塗装で、かなり派手な雰囲気に仕上がった。
↑デビュー当日から5000系は終日2両編成で運行された
 運転台外側の両脇に後部確認用のバックミラーが設けられているのが
外観上の特徴である(新村駅―三溝駅間で)●撮影:大友秀俊
 このほか前二社の長野車・上田車とは異なり、松本では路線バスのようなワンマン運転を行うための改造が追加された。外観上では運転台横に設けられた車体側面の後部確認用のバックミラーがその証明であるが、車内にも整理券発行器、運賃投入箱、紙幣両替器など、バスと同様の一連のワンマン運転用機器が備えられている。無人駅で列車に乗車するときは、2両編成の前車・後車とも中央扉から。切符・定期券を持っていない乗客は、この扉の車内側にある整理券発行器から整理券を取り、無人駅での降車時には運転士に運賃を支払う。そして、無人駅で降車するときは運転台直後の最前部扉から。ただし、松本・新村・波田・新島々の各駅では全部の扉が開き、これら駅員配置駅では運転士ではなく、改札口で運賃収受・精算を行う。また、車内の運転台と客室との仕切り部に置かれた運賃投入箱には、走行中でも利用可能な紙幣両替器が併設されている。通常の無人駅では前車の前扉が降車のため、前車・後車の中央扉が乗車のために開く。つまり、前車の後扉と後車の前扉・後扉の片側3ヵ所は、前述の駅員配置4駅以外では開かないのである。
↑増設された貫通型運転台方から見たモハ5007 
こちら側の前面を見せ単行で営業運転された機会はなかったようである(東急長津田検車区で)
 上高地線の列車は松本駅の一番西側、同じホーム反対側にJR大糸線の折返し列車が発着する7番線から発車し、定期列車は日中でほぼ1時間おき、1日に計22往復運転されている。(1990年当時、2011年現在は25往復運転)線路はJR東日本の車両基地、松本運転所(現松本車両センター)の脇をかすめて南下ののちU字形カーブを描いて西に向きを変え、奈良井川を渡る。このあたりまでが松本の市街地といえ、渚、信濃荒井では地元の人の乗降も多い。
 信濃荒井から先、終点の新島々までは国道158号(野麦街道)に沿いながら古い集落を連ねて走り、車窓右手には梓川の清流も垣間見ることができる。続く大庭から北新(きたにい)にかけては至近に短大や高校があり、朝の松本行き上り列車は通勤客に通学生も加わって混雑する。路線のほぼ中央に位置する新村には車庫とCTCセンターがあり、1921年(大10)、筑摩鉄道として開業した当時のままの古い駅舎が残されているほか、庫内には1926年(大15)製という舶来の貴重な凸形電気機関車の姿も見える。
↑ 路線のほぼ中間に位置する新村駅
筑摩鉄道として開業した当時の古い駅舎がそのまま残っている
↑新村の車庫に待機する凸型電気機関車ED30形 
1926年アメリカ製という古豪で 除雪や工事用列車の牽引に活躍した
  新村からはさらに、ほぼ西南方向を目指して坦々と走り、松本から約30分をかけて新島々に終着。車内は、5月の連休ごろから秋まで登山客・観光客で賑わいを見せ、夏山シーズンには、早朝松本に到着するJR中央本線からの夜行列車に接続するダイヤで、定期初列車の前に途中駅ノンストップの臨時快速列車も増発される。(往年の登山ブーム華やかりしころの1967年7月から73年5月までは、名古屋から新島々まで直通する国鉄の気動車急行「こまくさ」も運転されていた)新島々で電車を降り、駅前のバスターミナルから同じ松電のバスに乗り継げば、上高地の河童橋までは1時間15分で到達する。
↑実りの秋を迎えた松本平を快走
 黄金色になびく稲穂を前景にフランス国旗を思わせる
トリコロールの車体が映える(新村駅―三溝駅間で)●撮影:大友秀俊
↑松本から約30分で終点新島々駅に到着
 電車を降りた観光客・登山客はバスに乗り換えて上高地・乗鞍方面へ向かう
東急5000系 (その1) 
5000系とは
東急5000系 (その2)  
高原のアップルラインをひた走る
東急5000系(その3)
「信州の鎌倉」で地元民が支える
東急5000系(その4)
アルプス一万尺へのアプローチ
東急5000系(その5)
譲渡先各社で「セットアッパー」
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