|
【京浜電鉄歴史】
初の豪華外装限定車 デ26号形
2023.06.24 Ver2.57 |
【デ26号形】後に【デ25号形】へ |
M44.07.22付 鉄道省客車構造方法認可(新製)天野工場製
【ロングシートの車両として申請】
※大正7年にデ18号事故廃車の車番繰り下げで
デ26形26~28号はデ25形25~27号に形式、車番変更 |
■木材しかなさそうな時代に客窓の形状を細く縁取ってある
ウインドヘッダーとシルも補足加工され、こだわりの装飾車両
製造コストが高そうで京浜電鉄にもおしゃれな車両あり!と限定アピール車?
※ネットで検索すると同類の形で有馬箕面電軌1形がある。他は探しきれず
Wikiによると1910年に就役されてるので、京浜電鉄は翌年の1911年申請なので同類の車両形態としたらの後追い車両といえそう
ネットには同じ車両が多数掲載され、類似のアメリカ車両などがある。
インターアーバンが発達していたアメリカからデザインが流れて来たと思われる
■ 中央に手動の両開客ドアを新製時に京浜電鉄で初めて取り付けた車両
■ 屋根の明かり窓の棧の太さに太細があり、車両図面とは異なっている ■後年は縁取り木材の塗装退色や腐食対策に苦労したと思われる。 |
|
|
↑ デ26号形27号
京浜電気鉄道沿革誌から加工転載 |
※前照灯と尾灯が取外式で非装着。ステップの段差がすごい
救助網装着、連結器ナシでアンチクライマー非装着
撮影用とは言え各扉に車掌?がいる。運転台兼出入口に立っているのは中学生位の幼く見える職員? |
|
|
↑図面だが中央の客扉が両開きで無く、片引きになっている
完全な作図誤謬と思われる。
監督官庁も客扉のあたりを子細に見なかったのか?
中央の乗客扉のステップの謎は本文下に記載あり |
|
↑構造一般要領 |
書類トップに台車は当初から「ブリル27G1号」を「搭載」とある。
まぁ、役所に出す書類を現地に来てドラドラ、台車が記載と合致するか等と調べはしないだろうから、現車は違うのは多々あること。本車両もそうだったかも。
※下図MG12F台車・・・。
用語に時代を感じる
50馬力電動機、制御装置等全ては「最新式のもの」←って何でしょう。
これで通っちゃう時代。今だったら「最新」を細かく記載しろ。と思うけど
なお、この車両からかどうかは定かでは無いが、
圧搾空気(圧縮)を利用して氣笛装置し、通行人に対する警報に使用す。とある
■點燈
・客車の前部(前照灯)は弧光電灯(アーク灯)1200燭光を使用し、1500呎(約450m)以上を明らかに認め得べきものとし、運転台には16燭光のもの15燈を備え後部よりも5町以上の距離を認め得る得たるべき燭光を備ふものとす
・客車内には豫備燈として6ヴォルト5燭光の電燈3個を取付け蓄電池にて不時停電の際點大するものとす
【ロングシートの車両】
赤太線には客室内の椅子は別紙図面の如く其両側に長椅子を4脚を設けると
申請時からロングシートであることを明記している。店主の調査の限りでは
クロスシートに改造した申請は無い。
趨勢としてデ1形(1~10)も混雑でM39ロングシート化されている |
|
|
↑撮影時期不明だがブリルGEⅠを履いている |
|
↑↓ブリルGE ⅠとⅡの違いが不詳だがとりあえずⅡの図面を発掘したので掲載
各車大正12年頃に変わっているが、判りやすい表か何かを作るべく冷や汗を流しています2023.06.24 |
|
=====英国製MG-12F台車===== |
|
↑鉄道ピクトリアル 1980年10月京浜急行特集 過去の車両 永田 義美様記事によれば
当初、英国製のマウンテンギブソンM.G.12Fを履いていたとの記載がある。 |
|
↑客車工事方法書の極一部抜粋
見え消しの最大速力、バンパーにスプリング入
床材にリノリウム使用、屋根帆布に「鯱印」を指定、
銅製の鋲止めなど木製屋根の車両の仕上げ方が明快に |
|
↑さて、「本客車は3両を限りに製作する」という一文↑↓
車体は窓周りにRをつけて縁取りするなど細工の限りを尽くしているようだし、外見は京浜電鉄初のロマネスク※??っぽい豪華仕様
※店主はロマネ・・の詳細な意味を理解せず使ってますのでスルーして
特別限定3両にする理由が何かあったのだろうか(調査中)
車両限界の関係か大師支線入線禁止も併記となる←後に再申請
さらに目を引くのが
珍しいのは「照会」で、台車相互中心とレールの長サが同じだから
「車両の振動が激しいのではないか調べを乞う」という鉄道省の係官
回答として
ボギートラック中心間の距離30呎になしたるは車体前後の関係より生じたるものにして軌条接合点より来す動揺その他の事故より故障を生ぜざらしむため充分アンダーフレームに於いて構造堅固ならしめたり
と回答している |
|
|
↑京浜電気鉄道沿革誌より |
18号前面に貸し切りの方向板。虎の子26号形3両中2両稼働
この時点の前照灯は取り外し式で昼間なので18号に取り付けて無い
18号に乗る生徒はキャ~ァ!古い車乗りたくなぁ~い!か。遠路はるばる・・・。
※ちなみに大正7年にこの18号は事故廃車になったヤバイ車両だった
----------------------------------------------------------------------------
写真に明治43年浦和女学校生徒が羽田に遠足に来たと説明がある
★★問題出題!
浦和女学生生徒達は官営品川←→京浜品川(八ツ山)間を歩いたのか(官鉄で浦和からの仮定)
官鉄品川~東京市電乗車~京浜品川?移動※東京市電は単車多数貸し切りはエライこっちゃ
官営蒲田←→京浜蒲田を歩いたのか?さぁて、どっち??どちらにしても泥道で移動・・・。
写真は雨が降った後の水たまり??が多数。傘の写真も生徒の履き物は運動靴は未だ無いし。
海を見ただけなのか、何か教育的な施設があったのか?まさかの潮干狩?このスカートで?? |
|
|
■ 左側の照会文
(1)乗降口に鉄鎖の設備
(1)中央乗降口の「フートステップ」は高きに失し使用出来ざるものの如し説明を要す
(1)前後の「引き出しフートステップ」の取り扱い方法の説明を要す
■ 中央乗降口の回答は車両構造説明書に文字を加除訂正している
中央昇降口「フートステップ」は乗降場を備えたる停留場に於いてのみ使用し、使用終わりたる時は直ちに運転中振動その他振出す虞の無きよう、完全に之を押し込め置くモノトス。その装置は第7号其の2の図面に示す如き・・・とある。何らかの動作するカラクリが秘蔵されてるらしいが、その収納方法と状況はこの表記に因れば非常に怖いものがある。一体どんなカラクリか
※保存文書にこの図面は無い。まぁ、全部保管していたら大変な量になるので、細かい図面はほぼ全文書で廃棄されている状況。あったら大変なお宝・・・。 |
|
|
とかなんとか申請、追申請と2度にわたり書類を提出して |
|
明治44年7月22日「監1019号」で認可となった |
【 参 考 図 】 |
|
|
↑↓ステップ撤去後の26(25)形
明かり窓が実車(写真)と柱の太さが違う |
|
===調査を続行中です=== |
|
|
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved |