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【京浜電鉄歴史】
出村駅と急行待避設備
2022.11.10 VER.3.10 |
出村駅はM34.02.01京浜電鉄開業時、東海道国道上に開設、
M39.10.1 雑色~六郷橋間の専用軌道化により移転します。
戦災により廃駅となった出村駅と戦前の急行運転設備等を。 |
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↑M34.02.01東海道国道上に開設
併用軌道時代の出村停留所付近(場所を特定出来ません) |
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↑M39.10.01専用軌道化により国道上から移転
昭和7年12月20日発行の地図 |
板倉毅様の記憶によると出村駅は
戦前から小規模な商店街や花街もあって、大手の工場があって3,000人(朝夕合計?)もの乗降需要があった。
地図上の蒲田警察署とあるのは、昭和35年頃まであった建て替え前の建物とのこと |
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急行運転と待避設備工事 |
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↑認可はS11.12.24付
設置理由をご丁寧に役所が推察、付記している(左側赤枠) |
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↑板倉毅様が長年に亘って編成、車号を記録をされている超絶のデーターから撮影年月日と編成を再調査してくださり (1)昭和45年7月19日(日) 海水浴特急71S 467-487-488-467+423-413+413-414の夕方下り回送
(2)昭和45年6月28日(日) 海水浴特急81S 467-487-488-468+409-410+407-408の夕方下り回送
のどちらかとのことです。感謝申し上げます。 |
↑上り、下りの分岐器位置がずれているが、あくまで想像。↓の図で空想願います |
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↑上下ホームは多少位置ずれしているが36m |
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↑出村駅のポイントは8番分岐器だが、
先端の軌条部分に23mmもスラックを与えている。
ちょっと短い写真だが路面電車独特の↓のような形状の設計図 |
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↑横浜方に亘り線が設置された
京浜蒲田駅輻輳時の予備的亘り線? |
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↑折角の急行運転もS19.05.01に中止され、
出村、生麦、仲木戸の待避も無くなった |
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出村駅の廃止 |
S20.04.15の空襲により焼失し、そのまま駅を休止、S24.07.01廃止された
戦災後、京浜蒲田~雑色間両駅は1.4kmあり、不便なので地元で復活請願したが叶わなかった。
駅舎は解体されたが、上り線待避線の一部は保守用トロッコ線として復活し、昭和60年代まで残存していた。
という状況だったそう。
店主も車窓から軌条を見て、なんで使用せずに錆錆で放置しているのか不思議でした。
さて廃駅の理由ですが、
店主想像、蒲田駅は進駐軍の命令で国鉄蒲田構内から空港線まで線路延伸、その先の空港線の片側を1067mm線路に改軌されたり、急行復活運転どころではなく、待避設備は目前の長編成化に設備延長改善の余裕は無く、運転速度の向上のためにそのまま廃駅となった。
と推察
改良後、焼失で駅施設は10年にも満たなかったが、急行運転期間中はデ51形やデ29形等を追い抜いていたのだろうか |
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↑敷地を目一杯使って工事用分岐器を取り付け、引き込みを敷設したが、
店主はトロッコを留置しているのを見たことが無い。夜間こっそり?
摩耗した50kg?レールに初期のPC枕木9号?10号が使用されている |
[参考文献]
京浜電気鉄道沿革誌、日野原保様 鉄道関係文集、京浜急行80年史
日本鉄道旅行地図帳 新潮社 今尾恵介様監修※1
また、当時の状況などの御協力を頂いた板倉毅様御礼申し上げます |
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