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↑「ノッチの最終段を投入し続けるのが最高でありんす」と語る野津地 恩志朗 氏※1 |
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↑西武線に乗ると動作表示板※1の「並列」「最終」「界磁弱メ※2」にランプが点灯するとテンションアップ!
2000系急行は運転時分に余裕のない時「出せる区間」で6M2T+MT=7M3Tで一生懸命の加速を行い、やっと105km/hを出してオフブレーキするところも魅力。
店主的には「ツーハンドル」で操作するところが最大のポイント。ドデスカデ〜ン。
今時の若い人は幼少期からT形や┏形などのワンハンドルを見慣れているので「理解に苦しむ」といわれそう。
さて、現在の経営者は経済誌のインタビューで「黄色イメージ払拭」を公言。脱黄色に躍起のご様子。
「顔無し」風にはじまり、最新は「プロレスラーのような奇っ怪な前面、客扉が幼稚園の出入口」みたいなアルミ車両が登場。
車両増備で他形式10連や少子高齢化の乗客減があるとすれば、10両編成運転が▲になって、
2000系初代貫通スタイルの「急行」2+8=10両編成運行が数年内に消滅するかも?とヤバい予感
そうなると、西武歴代の大好きな前面パンタ搭載の2連のうち、嫌いでもあるがチョンマゲパンタの2400系2連、菱枠黄パンダが消滅の危機かも。
2連2400代を中心に極浅くエアまとめ。※これ以上深く、まとめられません$(_ _)$。
作成に当たり「鉄道ピクトリアル西武鉄道特集」各号を参考にさせて頂きました。鉄道図書刊行会並びに執筆者各位に御礼申し上げます。
※1:店主です。
※2: 2000系は「界磁弱メ」が「他励界磁チョッパ制御」に変わったため、点灯しない(泣) |
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↑クハ2000形の動作表示板
不思議なのは「界磁弱メ」表示。界磁チョッパ制御なので不要のはずだが「他車と同一品流用可能品?」で点灯しない。「圧着空制」って耐雪ブレーキ?
点灯管は「ネオン球」ではなかろうか。その昔秋葉原のラジオデパートに売っていたようなネオン灯にも見える。
光源が単一色なので透明とオレンジ色着色のカバーで区分。
2連2400代のクモハとクハには他にMG搭載車がないので「受給電」部分がシールで隠されている。表示板が好きでたまりませ〜ぶ。 |
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ランプの点灯動作を見ながらエアに考えるのが好きで以下に写真を貼ったものの、
真の点灯の意味は、関係者に聞かなければ判らない。という前提です。
701系等旧新性能車の表示位置については左隅柱縦方向に取りつけられていました。 |
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↑2000系8連(3M1Tcユニット×2)は主制御器が直列→並列と表示が変わる。
それぞれ最終段に至ると「最終」ランプが点灯 |
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↑2400の2連(Mc-Tc)97km/hのランプ点灯状況。
主制御器は4個永久直列2群を直並列つなぎ替えて使用するタイプだが、2400形は4個永久直列1群のみ。
同じ制御器の回路をいぢくって「直列制御」のみ。 このため、並列のランプは点灯しない。
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↑制動中。制動は「他励界磁チョッパ回生制動にお任せ」のはずだが「最終」点灯は回生失効時に、
すかさず主抵抗器に電流を流すためカムを「最終」段に位置に置いている? |
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↑3カ所中2カ所の車両基地出入庫位置からか、西武新宿寄増結車が多い。
菱枠パンタ時代は多忙すぎて??通ってないから撮影したものが無い。
菱枠時代にもう一回通っておけば、かなり精神的に余裕だったのだが。 |
↑店主幼少時代、ほぼ同位置、同形で赤ベージュ系色「高声電話」と書かれた、このマイクが存在した。 外形・機能もほぼ同じと思われる乗務員連絡マイク。 ノンフレキシブル!oh! |
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↑西武の車両は昔から前面に車両番号が無い。
相当の分類好き趣味者も「何号車」と断定が出来ないのでは?。困りもの
3000系だけは混結防止?のためか正面に車両番号がある。
運行番号表示窓は未だに使用されていない。早う「白黒」つけんかい!チャッテ |
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↑ 公然の事でしょうが
店主が一番ぶっ飛んだのは、登場後すぐHOスケールで2000系を作ろうと寸法を見た時なんと、103系の窓割寸法と「ほぼ全く」同じということ。 |
103系 中間車 :車端〜客窓1800.0mm、車端〜客ドア端間1900.0mm、客ドア〜客窓〜客ドア間3500mm、床〜客窓下800mm、窓上下870mm
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2000系中間車 :車端〜客窓1802.5mm、車端〜客ドア端間1902.5mm、客ドア〜客窓〜客ドア間3500mm、床〜客窓下800mm、窓上下870mm
これだったらHOの103系キットを購入し戸袋窓ヤスッテ埋め、先頭車の先頭部分のみ加工して「まっ黄色」に塗れば完成じゃん。とテンションがた落ちした記憶あり。
西武初の戸袋窓無し車両。戸袋あれば多分上下に細長そうだが、もうそのままや〜。 |
2000系の103系のコピー然とした車体まで、関連する国鉄の部署と関係を持っていた。と考える店主。
■以下は社長と車両の登場時期について時系列の店主推測、推定です(敬称略)真偽不明としてお含みください。
参考:当時、数誌発行されていた経済雑誌の「コクド堤義昭氏」のインタビュー記事等の記憶入り
堤康二郎は1913年頃政治の世界で満鉄初代総裁(1906-1908)鉄道院初代総裁(1908-1911)の後藤新平と政治仲間となり、ディープな人脈を持っていた。
考え方が低コスト一辺倒なので、国鉄工場から技術者を複数招いたとされ、戦災国電の台枠に車体を新製し、国電ほぼそのままの車体にした。
廃棄品?の国鉄戦災車両や制式部品を多数確保・流用出来たのも、鉄道人脈に繋がっていたからこそであろう。これが西武製作旧型国電となる。
1960年に康二郎は堤義昭を西武鉄道の取締役に据えた。
1963年クハが釣合梁台車TR11(12かも)、モハはDT21コピー然とした601系カルダン車の増備開始。※「西武車両新旧過渡期の頃」ページで触れています。
康二郎は1964年に死去。父に生前、『「長」になっても10年沈黙しろ』の約束どおり、義昭は直ぐには社長の役職に就任せず、水面下で西武鉄道の実質オーナーとなった。
その後、西武鉄道に1973年に2代目社長に就任。培ってきた西武式思考の社員とともに西武鉄道を経営。 1989年に会長に就任する。
2000系は1977年就役、1979年に初めて東急車輌で101系Nが製造された。設計・発注はおよそ2年程度でかかるので、仕掛けは1975年あたりか。
世間では西武・東急は先代の縄張り争いで犬猿の仲と言われていたが、手打ちがあったとか 所沢工場の製造コストや高齢化補充等が原因とか囁かれた。
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↑拝島にて
前面7度傾斜の窓ガラスを含む西武にしては画期的なデザイン。
このリファインした2次車のデザインが見たかった。
客寄せ?「黄パンダ」は好かんなぁ〜 |
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↑お見合い |
西武伝統の貫通路の保護手摺?が復活しているが、2000系で掃除以外、「乗客が渡るために」この手摺を使用したことがあったのだろうか。
渡り板は常備していない様でエッコラと跨ぐ事になるだろうが、使用しないままでいて欲しい。
窓をくぼませることで「鉄板巻き」を目立たなくさせて、さらに飾りステンレス板の2重衝突対策。
田無駅雪の滑走事故ではこの強化策のせいか、前面クラッシュ程度で済んだが、衝撃で台枠などに障害が出た車両が廃車となった。 |
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↑貫通扉(700mm)は非常用なので幌枠も着けられないほど柱が狭い。
武蔵野の寒風を入れまいと、上、中、下のラッチ3カ所でビッチリ扉密閉 |
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↑2段窓車が10連で揃い
初の4扉新性能車
新宿線の駅間は池袋線より短い、各駅と高田馬場の乗降時間を少しでも短縮したい。 の思惑で4扉にすると3扉÷4扉=「▲25%」
の乗降時間の短縮効果が予想されるとして、3扉車戸袋窓付きに統一されている(た)西武の車(社)風?を変えた車。
同じスタイルの車両が大量に在籍するその原因は
(1) 輸送実態にほぼマッチしている
(2)スタイルにこだわった上々層部が在籍
があるが西武、名鉄、京急等は意外と(2)の状況だったのではなかろうか。※他にもありますが一応この3社に。
【脱線】18m車に4扉のデザインの話
デザイン上、一つ目玉、片開き扉スタイルの車両を持論とする上々層部が在籍した頃の某会社では、両開き扉車と片開き扉車のラッシュ時の降車、乗車を
8mmに記録して検証を行い、両開き1300mm幅と片開き1200mm幅の大した差が無いのなら片開き!となった車種が誕生したこともあった。
しかし〜ぃ、現場では・・・。
両開きはドア開閉速度を抑えられる点や開扉時に乗車客を扉の両側で並ばせて、降車客が最初に中央から下車できる等のメリットがあった。
ちなみに片開き扉は同じ時間で開扉するためには両開きドアのスピードより2倍までとは行かないが限界近くの速さが必要で、駆け込み乗客への衝撃、
ドアの開扉方向が統一出来ないので、ホームでドアの両側に並ばせても停車寸前にドア収納側の乗客が開く側に寄ってしまい、
降車客がスムーズに降車出来ない等の問題があった。扉問題決定のさい、これらはス●ーになった。
ついでの話・・・前照灯1灯のこだわりは、2灯で運転中1灯切れたら整備不良で運行出来ない等の小田急の逆の論法で・・・。
1灯は切れ無いのかとも思ってしまうが、お座布団を考えれば「2ツ目が良いと主張するのは」己の座布団が無くなる事を考えるのが人生。 |
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↑2000黄パンダと併結。
当初2000系にはHB-2000形コンプレッサーを搭載、2400系はAK3だった |
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↑検車区で休憩中だがその姿はあとどのくらい?まだ10年は持つ?としたらすんません。
計画されていた新宿駅地下乗り入れが取りやめになり、その後、新宿線地下急行線の建設も取り下げになって貫通路は生かされることが無さそう。
憶測ではあるが、新宿線地下急行線に関わる国の交通政策人脈は仁杉巌氏ではなかろうか。
車両屋さんでは無く、新幹線建設をはじめ鉄道土木関係に深い造詣や功績があったとされる。
仁杉氏は国鉄総裁就任以前、1971年西武鉄道の顧問として入社、副社長になるが、一旦退職、1979年鉄道建設公団総裁、1983年〜1985年国鉄総裁となる。
1985年6月民営化問題で国鉄総裁辞任後、同月に西武鉄道顧問に再度就任、2度目の副社長を経験し、1989年〜1996年に代表取締役社長に就任した。
この間、新宿線複々線(大深度地下急行線※2)1987年に特定都市鉄道整備事業計画認定、1988年9月に新宿線複々線化工事認可があった。
※景気は1980年代から上昇傾向でバブル景気は概ね1986年〜1991年(推定)と言われる。※2 当時、大深度という文言は使用されていなかった。 |
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↑ドア位置がワンマン運転構造向きだし、オールMでは無いけど2丁パンタ
MM化して「To山地方鉄道」で活躍して欲しいなぁ〜。 |
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↑2丁パンタ〜。色男!! |
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↑池袋線 を走行するクモハ2451 車号は貫通路の窓が小形なのでクモハ2451と推定。 |
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↑新宿線用クモハ2453「黄パンダ2連」 |
さて、不審なのは黄パンダはなぜ「丁髷パンタ」にならないのか?
店主、西武のペラッペラの薄い舟体パンタ各種に興味津々だが、雪が付着しそうなステンの組パイプ枠で耐雪形では無さそうが。
ということは廃車発生品から「むしる」のを待っているのか?それとも取り替えずに車両自体・・・。さぁ、どうなる。 |
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↑上の拝島帰り。なんかくたびれている感じだが、車体更新されるのか?運用の需給を心配する素人店主 |
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↑拝島寄りに連結された2405。所属は南入曽区?↓クハ2406 |
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↑3000系
2000系の足回りに101系Nの車体をかぶせた池袋線用車両だが、新宿線にも進出。
前面の黄色い鼻筋は無くなって流行のオールブラック面になってしまった。
店主的には西武純正設計?の101系(N除く)と、ちょっと純正か怪しいが、
このページの2000系(黄パンダ除く)迄が趣味の対称になってしまった。
しかし、何故、窓下に番号を貼り付けたのか、その後の新造車両は再び番号が無いので
イマイチ理由が不明←単なる勉強不足でしょう。。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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