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【京浜電鉄歴史】
デ1号形の車体更新車
デ11号形・デ14号形・デ18号形
2023.02.15 Ver1.61 |
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↑構造変更認可申請書
↓神奈川県、東京都(本社が神奈川なので神奈川が先に記載)から連名(所管地域)で
「鉄道省、内務省宛に京浜電鉄から申請来ましたが、かいつまむと、こんなんです」
と「進達文」(↓右側)をつけて鉄道省、内務省に送られる。審査の結果「認可ス」となった(↓左側) |
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↑構造変更申請書 |
T13.03.01付けでデ1形1号~3号の車体更新工事の「ボギー客車構造変更認可申請書」を提出
その車両は新たに車体を作成してデ11形11~13号となった
主なものをかい摘まむと(赤線部他、別資料より加筆等)
(1)屋根構造の名称
運転台上部から屋根が立ち上がる構造を「通屋根」としている
(2)運転台、車掌台の前面風よけ(腰までの高さから屋根まで覆う)を ベスチビュールと記載
(3)運転台、車掌台を通じ(客室を含めて)通り床とする(客室扉撤去と床段差が無くなる)
(4)運転台、車掌台に出入り口を備え、引き戸により開閉する(外吊り式客扉)
(5)車薹(台車)は米国ペックハム製14-B-3とする
(6)車掌、運転士間の信号装置は機械式の綱から押ボタン電鈴式に改める
(7-1)バッファー(今回取付)の末端から末端まで 45呎11吋
(7-2)運転台羽目から羽目まで 43呎7吋
(7-3)ボルスター間距離 35呎2吋4分の1
(7-4)車体の幅7呎6吋を8呎2吋に拡幅
(7-5)客室の長さ(褄柱外面より外面まで) 33呎9吋
(7-6)客室の幅 7呎
(7-7)前照灯を取外式から固定式に(110V250Wニトラ電球抛物線(放物線)状反射鏡付)
※ニトラ電球を検索しても「ニトリ電球」ばかりで、どういう構造か謎は深いです(苦笑)
(8-1)使用材料-鉄材
・鉄材は疵腐食無等無き良質のモノを用い(中略)軟鋼とす
・リベットスチールは最も良質なモノを使用スベシ
・鋳鉄品は品質優良なる原料を適当(適切が妥当?)なる配合を以て、鋳造に気孔、空寓(空所)等の欠点アルベカラズ・・・
(8-2)使用材料木材
大部分従来当社に於いて使用セル車体の解体したものを使用し、充分乾燥させ大節、裂目、白太、腐食などナキモノなり
(8-3)塗料その他は上等品を使用し、当社試験合格のモノを使用す
※JIS規格などが無いので、材料の表現は「今日の料理」的な文字表現に頼り、書き手と読み手のそれぞれの思い込みで理解するしかない、ザックリした表記になっている
※T13年、自社川崎工場で車体を新製し、新形式デ11形 11~13した。
乗務員兼客扉は外吊ドア、中央ドア後付け
T15年 同じく川崎工場で車体を新製し、新形式デ14形 14~17とした
※14形との中央ドア位置の対称OR非対称か等差異等を調査中です |
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↑図面の形式が1号~3号になっている |
■ 屋根1重化のため、上部の明かり取りが無くなったためか客窓を2分割し、上部に小さいながらも明かり取り的な窓を設けて上下2窓となった。
※デ41形が製造されて2~3年後なのでまぁ、似せたような・・・。
■通史で行けば11号~13号なのだろうが、車体更新したこの時点で海岸電気軌道に1号~10号が譲渡されて空き番号になっていたのか?時期もT13.03.01付けでデ1形1号~3号の「ボギー客車構造変更認可申請書」を提出し、川崎工場で工事を行って完成したのは大正14年~大正15年の間のようで、そうであれば納得の附番であるが、後の附番形式は11号形11号~13号で統一されている
■この時点では中央ドアを設ける工事はされていない
■モデラー様の鼻くその役に立てばと数字を転記しています。
呎吋数字図のため、1/2等は(1/2)として記載、誤写の可能性も有です$(_ _)$ |
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↑形式デ14形のパンタ取り付け、ステップレス化後の竣工図 |
14号以降の更新では中央ドアが車体中央で対称となっている
製作所名が日本車輌会社及び当社工場、大正15年12月竣工となっている
この時点で出張工事を行っていたのにはびっくりする。
まさか、馬?牽引で日車工場(東京)から車体をギッシギッシ言わせながら運んで来たなんていうことはないよな~(笑) |
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↑↓外吊りの客用ドア。客窓の上に小窓が付いて居る
思わず阪神の小型車を思い出す(店主は土佐電安芸線) |
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↓下の平面図の何処に↑木材■が使用されているでしょうか? |
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↑11~13号は中央客用ドアが非対称に工事された
鋼材で平面台を作成して、その上に木造住宅を建築する感覚
この更新車は車体腰下部に鋼材が巡らされてちょっぴり頑丈?? |
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↑中央外吊り客ドアレールが図面上方だが、下方屋根側と長さが違う
図面下方は屋根のドア吊りレールカバーと思われるが下の写真で比べると製図ミス?とも |
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↑ほぼ同様の改造を受けた16号
京浜電鉄沿革誌から加工転載
ステップ切り上げ、色違い注意喚起色?的な扉(手動)など中々の風格を出している
原車より車体が大きくなって客窓上の小窓が新設されたことに注意
写真撮影の時点で台車はペックハムからブリル変更されている |
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↑ PECHAM (ペックハム)14-B-3 車薹(台車) |
車両番号の追求?? |
さて、T14に開業した海岸電気軌道にデ1形1号~10号が譲渡されたが、申請文書の文言から普通に考えると、その中の1号~3号は前年に改造されてデ11~デ13号となった番号が抜けている筈。と思うが、
実は京浜電鉄の申請書に「明治38年5月31日付神奈川県指令内第2074号を以て構造認可」相受け、現在、当会社に於いて使用中のボギー客車第1号、第2号、第3号(3両)車体を別紙構造方法書の通り変更したく・・・とある。その文書の番号に該当するのは・・・。
(1) M37.07に認可、10月に就役した1号~10号が再度、構造変更の認可を受けた番号なのか?
そうすると、またまた改番したのか?超ややこしいことに・・・。
(2) M38.05.31に11号~15号の認可番号なのか
だとすれば京浜電鉄の申請書は第2074号を以て構造認可の新形式(デ11形)の1号~5号となる。
海岸電軌にはオリジナルデ1形の1号~10号が譲渡されたという「スッキリ、スッキリ」になります・・←知らんのはオマエダケヤ~!!(苦笑)
※軌道線車両は連続番号を附番し、書類は形式称号など無く(図面にあるだけ)で、認可*両というザックリさで、役所文書に形式の記載は明治時代には無かった←ように店主は思う
※店主明治38年5月31日付神奈川県指令内第2074号の書類確認が行えていませんので・・・。 認可番号、年月からの妄想
【デ11,14,18,変遷表及びデ21号以下も含め、調査製作を続行しております$(_ _)$】
【デ1形のページへ】
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※本頁はデ11形関係の認可、竣工資料をさらに探索中で、補訂を進める予定です。
手元資料の他、京浜電気鉄道沿革誌、日野原保様の京浜急行電鉄 鉄道関係文集、鉄道ピクトリアル 1980年10月京浜急行特集 過去の車両 永田
義美様記事を参考にさせて頂きました |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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