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【京浜電鉄歴史】
品川駅Ⅲ開業、 2回目の改軌(1435mm)へ
2022.10.26 Ver2.51
横浜駅線路配置、北品川(元:品川Ⅱ)拡大図補訂
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昭和8年4月1日、3代目の品川駅を開業させた京浜電鉄
その品川駅は東京地下鉄道への乗入れを見据え、湘南電鉄との直通運転を開始すべく品川駅構内から新たに架橋した八ツ山橋梁まで1435mm軌間で建設され、品川新線?(品川Ⅲ)開業と同時に八ツ山橋梁浦賀方終端から旧青山延長線起点(京浜電鉄品川駅Ⅰ)の線路移設、同左~横浜の全線の改軌も完遂し、品川(Ⅲ)~横浜で1435mm軌間での運転が開始された※1
なお、新線八ツ山接続点から北品川の架線も役所用語※の電桿式集電器(俗称ポール集電装置)が使用していたスパン線直接吊線から鏈線吊線式(共に届書にある役所用語)シンプルカテナリーに変更した。
また、北品川~横浜間の強度の弱いとされた特定の溝橋は掛け替えまで補強を入れて使用することを指示された。
※役所用語としたのは、申請所類などに継続してこれらの用語が使用されていたため。
店主的には今後ポール集電器を電桿式集電器と記述したいぐらい素敵な名称。
※1湘南電気鉄道にも複電圧車で乗り入れ、品川~京浜蒲田間で急行運転を実施した。
※実際は改軌工事中に新旧両ゲージの車両が走行していますが、ここでは4月1日からとして扱います。横浜方から順に改軌を追って行きます。
※※本頁一連の図面は申請時の図面です。完成時の図面ではありません。
※図面に習って全て「停留場」としています
※随時資料を補訂いたします。 |
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↑北品川~横浜、北品川~品川間の
書類不備を訂正して認可ください書類 |
↑改軌に伴う改軌前と改軌後の標準施工図 |
横浜停留場の改軌 |
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↑これはS07.05.25付けの申請図。S08.03.31に完成予定。
↓品川方にY線と乗降ホームを設置する変更申請がS07.12.03に出されました
上の図の移動する片渡りはY線に支障する為、計画変更して撤去されます。 |
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↑改軌申請の一部変更申請 |
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↑ 横浜駅建造物及び配線変更認可申請図 (一部)
※此の上下の図と一部解説は横浜駅乗り入れのページの再掲です |
昭和7年12月3日 京浜電鉄京申土487号 横浜駅建造物及び配線変更認可申請
昭和8年 2月 7日 横浜停留場設計変更認可
■内容
・乗降場一部延長
・「黄色線」横浜延長開業後に両亘→片渡及び、
日ノ出町延伸時整備した片渡1基↑↑(2段上の図)の撤去色
・「赤点線」Y線新設
■↑↓図の赤色実線は地方鉄道法としての区分界。白実線は軌道法 |
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↑S06.12.26に日ノ出町延長が成って、湘南電鉄と相互乗り入れ開始
此の時点で赤実線の日ノ出町方に片渡り、留置線を整備(架線電圧は600V)済
浦賀方の片渡り(1432mm)撤去は上の全体図で確認ください (改軌に関係ないから省略) |
生麦停留場の改軌 |
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↑ 生麦車庫開設後にホームの移設が行われている
図面上にあたる下りホームの待避線が消されている。一体??
改軌にあたって撤去したのか、使用しないようにしたのか
※新設や移設以外の撤去、使用休止の届は緩かったのか、
書類が保存されなかったのか??の状態 |
川崎停留場の改軌 |
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蒲田停留場の改軌 |
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海岸停留場の改軌 |
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北品川停留場の改軌 |
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北品川~品川間の改軌 |
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↑この区間の改軌方法は敷石?を剥がして掘り返して改軌準備を行ったよう。
※下記右側書類より。東京市電の品川~北品川の乗客に対しては廃止後、
品川~北品川の振替乗車を実施 |
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↑改軌した区間で使用する車両
旅客車の両数が少ない。残りの車両は工場入場改軌する(別届) |
↑消し線は別の通牒、具体的に速度を記載しないところが当時流
※速度計はあったのか?枕木の本数/秒で計算時代 |
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↑東京市電との連帯運輸 覚書
※右の契約書の第2条相当か |
↑東京市電との連帯運輸 契約書
契約期間は品川乗入から10年・・・ |
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↑京浜電鉄八ツ山橋梁と八ツ山道路橋
右側に増設した新橋、中央の橋梁に上下線を移設している |
品川停留場の建設 |
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↑高輪停留場と品川停留場の位置関係がわかりやすい平面図・・・。 |
【品川駅(Ⅲ)の建設経過】京浜電鉄沿革誌(要約、補訂)
当社の乗客は市内山の手に少なく下町方面に多い故、高輪の終点を変更して省品川駅に乗入れ、省線電車と連絡する方が有利である。と考え、昭和4年5月25日品川駅乗入を出願した。※1
昭和6年5月1日許可※2を得て、工事を開始して昭和8年3月に地下1階地上3階の新駅を竣工した 開業当日は従来の5割増しという収入を得、建物は昭和8年下期に全体が完成し、地階、1階は京浜デパートに3階は撞球場に賃貸した。
※1の日付は調査中。
※2 鉄道省、内務省に北品川~品川間の会社の出願日は5月2日であって、内務省は昭和6年12月26日許可
【申請の理由】京浜電鉄沿革誌(要約、補訂)
高輪駅乗降客一日2万人余りの約7割5分は省線との連絡旅客にして駅前の国道を横断している。此の横断箇所は昨年から警視庁の交通巡査を配置して交通整理をしているが、東京市電の頻繁なる運転に加え、人馬の往来が特に増加し、品川駅構内に駐車営業するタクシー並びに目黒運輸、池上電鉄及び弊社の乗合自動車の他の乗用自動車の出入輻輳を極め、連絡旅客の不便かつ危険甚だしきものがあり、ついては起点の八ツ山橋(品川Ⅰ)から品川駅構内に専用の軌道を新設し、旅客の利便を計り、併せて交通上の危険を除去したい・・・。
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としている
なお、開業と同時に品川~浦賀間の複電圧車による直通運転を開始、
品川~京浜蒲田間の急行運転を実施した。
※沿革誌に触れられている五反田計画線については項を改めます |
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↑地図も変わりました。まだ国道上を走行中。港南口側はまだ海ですね。
市電線路が撤去されずに残っていたのか?地図上に残っています。
北品川駅の市電関係線路は綺麗?に撤去されています。※関係を別途記載します
国土地理院S14.05.30発行1万分の1品川より抜粋加工
※東京市電との共用部分とその関連は別途記載を予定しています |
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↑昭和8年3月31日付横浜~北品川改軌竣工届 |
↑ 神奈川県進達書類だが省で赤文字の支線竣工日が参考記載されている |
=====今後いろいろ補訂してまいります。$(_ _)$=====
参考文献:日野原保様 鉄道関係文集 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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