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【京浜電鉄歴史】
省横浜駅(Ⅲ)に乗り入れるまで
2023.06.28 Ver 2.60 |
横浜中心部乗り入れを果たすべく仰天迂回の申請 |
【終端駅の不遇】
京浜電鉄は終端駅(品川Ⅰ→大震災→品川Ⅱ→)高輪、神奈川両駅の不利な立地を有利な場所に移すべく、都心や横浜中心街への乗り入れを画策していた。
都心方面へは青山、千駄ヶ谷方面を目指した青山線もその1つで、品川Ⅱ(現北品川)から東京市電に乗り入れ、大正14年3月11日に高輪駅に乗り入れたものの、その先の延長は資金不足とボギー車に電桿式集電器を付けた単車で走り回るスケールでは無くなって、急激な都市化で展望の打開に苦しんでいた。
横浜方に於いては神奈川駅に隣接した東海道線神奈川駅が省横浜駅Ⅱ(高島町付近)移転して廃止され、省神奈川駅はライバルの京浜線のみになった。
T12.09.01に関東大震災が発生し、横浜駅Ⅱが崩壊、横浜駅Ⅲ(現在地)へ移転が決った。→横浜駅移転の歴史
結果、省京浜線も横浜駅Ⅲに至近の神奈川駅を廃止して横浜駅Ⅲに統合、さらに横浜市電が海側の新規道路に移動、東横電鉄の神奈川駅も高島山隧道入り口に移転し、京浜電鉄の横浜方の終着駅は接続する鉄道、軌道が無くなり交通結節点としての機能は消滅してしまった。
※当時の横浜の中心街は「伊勢佐木町、長者町周辺」だった。神奈川駅の周辺は僅かな住宅地と沼、海岸で繁華街に乗入れなければ路面電車としての京浜電鉄は経営困難な状況があった。ライバルは横浜市電・・・。
なお、会社は関東大震災発生して間もなくの9月17日、鉄道省に「都市復興に付 請願書」を提出している
(以下、引用については適宜、文章と仮名遣いを略、注釈挿入)
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「京浜本線の発着駅たる品川(Ⅰ)、神奈川」の両地点は共に両市の中心を離れており、この2地点を結ぶ交通機関として甚だ不具合であり、会社創立以来の欠陥にして(略)京浜本線の両終点を更に両市の中心に向けて延長させて欲しい。(略)両市の乗り入れに適当なる線路を指定して既設本線の伸長を認可してくれることを請願(略)」
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両都市が都市計画(帝国復興局主導)で再生される隙間に線路を割り込ませてもらえるよう、請願をかけた。
そして震災の約1ヶ月後に速攻、地方鉄道法による横浜市内乗入線の申請を提出した。
※此の時点で京浜電鉄は軌道法によって 高輪~神奈川間は軌間1372mm、架線電圧600V で運営され
集電方法は電桿式集電器、単行(1両)運転、終点で折り返しのため、電桿式集電器を進行方向前部を下げて後部を上げる作業を伴った。
連結運転は昭和3年から品川Ⅱ(現北品川)~蒲田間で開始
【軌道敷設特許取得の経過】
(1-1) T12.10.10
横浜市青木町~長者町に至る鉄道敷設免許申請 ※下図の青2本線
(1-2) T13.10.14付敷設免許取得
(2-1) T14.05.18付
線路変更許可申請書提出
実地測量の結果、横浜市復興計画のため許可を受けた線路では工事困難になるので変更したい
※下図の太朱線(平沼回り)
(2-2) T14.08.17付
追申書提出
変更願の線路は省線(東海道、東海道貨物、品川方京浜線)と交差するが、横浜市は省線を神奈川~保土ケ谷間を高架線にするよう請願しているので、これが実現する時は線路横断箇所を路線改造(変更)して対応。
横浜市が新横浜駅(Ⅲ)西寄に新規市道を開設して、そこに市電を敷設する計画があるが、此の場合は新規の道路を上げて当社線を跨ぐよう適当な施設を講じ、「毫(これっぽっちの意)」も市の計画に支障が無いようにするので、至急変更願を許可して欲しい
(2-3) T15.01.22
変更申請を許可
3 敷設根拠法の変更
本頁の下欄別項で |
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何としても横浜市内への乗り入れ免許を取得したい |
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↑地方鉄道法として軌間1435mmで申請(電圧は600V)
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上記(1-1)
最初(1)案で認可を得たが、その後、横浜市の復興計画の障害となることが判明した。
上記(2-1)
このため、路線を変更して(2案)を申請した。
これが、省線、東横(免許線、申請予定線)を跨ぐ想定。現在の京急蒲田下り線の3階建てを想定する。
工事費からしてもあり得ない案。だが、京浜電鉄はなんとしても横浜市の復興計画を邪魔しないで、市内に早期に乗り入れる免許取得のための状況だったのだろう。取得しておいて変更かける手法はお手の物 |
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↑陸軍に複写を送ったと四角囲い特設欄 |
↑当初の申請に対する免許(清書前の内部起案) |
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↑路線変更申請後に鉄道省内部で申請書に対する内容検討。
↑←左は不足して貼り足した文書
鉄道省線、東横電鉄との交差方法に頭を抱えているようだ |
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↑横浜市長意見(復興局も意見あるがほぼ同じ)
東横電鉄の申請が未だ提出されていないが、同様に高架にして欲しい。市電を敷設予定。
店主は震災後の短期間で、これだけの申請を双方全力で処理したことに驚く。
「平沼回り」特許線はT15.06.09付で線路変更許可願を出し、T15.09.29に許可された。
しかし、折角の此の案は宙に浮いてしまう。
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市内乗り入れの大チャンス到来!!
省横浜Ⅲ駅の建設進行等による京浜神奈川駅の孤立 |
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↑移転前の神奈川停留場最終形 |
復興局及び横浜市による市内の道路整備が進み、京浜神奈川に接続していた市電が新たに海側に建設される道路上に移設され、省京浜線神奈川駅がS3.10.14に省横浜駅Ⅲに吸収統合(一旦仮駅)、東横電鉄反町駅も移転予定と交通結節点の栄華を誇った京浜電鉄神奈川駅は一転、接続鉄道の無い閑駅となることが判明。
京浜電鉄としては
(1) 省横浜駅Ⅲに乗り入れる
(2) 市内中心を目指すより日ノ出町方面で湘南電鉄と相互乗り入れ構想
に思考を切り替えた。
焦眉の急は省横浜駅Ⅲへの乗り入れである。
此の横浜駅Ⅲは省京浜線と一体化するために京浜線の線路の移設を行い、その空いた部分を活用すれば省横浜駅Ⅲへ乗り入れる目途が立ってきた。
計画が明らかになった時点から鉄道省関係者と打ち合わせを行って、T15.05.05付で「新横浜」に乗り入れる事を出願、同年06.11に「異存ない趣旨」の回答を得た
京浜線の線路移設整理の終了迄は駅本屋に乗り入れが出来ないので、鉄道省了解の元、軌道法による延伸特許を
(1)神奈川~月見橋(横浜仮停車場)間 ※月見橋~横浜Ⅲ間は歩道仮橋を架設して徒歩で連絡
※正式名:横浜仮停留場 決定経緯は下記の照会回答文参照
(2)月見橋~横浜駅Ⅲ ※架橋が必要なうえ、橋脚台座の省線用地、横浜駅Ⅲ構内乗入交渉に時間が必要
なので2区間に分けて申請した。 |
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↑ボッチになった京浜電鉄神奈川駅 |
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↑横浜仮停車場の決裁文書説明用地図 |
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【神奈川~月見橋間】について
省京浜線移設により神奈川駅廃止につき緊急的に当区間の敷設特許を申請
※京浜電鉄にとって平沼回りより超安価に「新横浜駅に乗入」、「横浜市内に乗り入れ」の超ビッグチャ~ンス到来
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S03.10.10に「御願」を提出※文体アレンジ
国有鉄道神奈川駅は本年(S3)10.14を以て横浜新駅(※Ⅲ)開設と同時に廃止すると告示され、従来、神奈川駅を終点とし客荷の連絡を営んで来ましたが、当社にとっては営業上の打撃少なからざるを以て、既に神奈川駅を起点として省新横浜駅を経て日ノ出町に至る地方鉄道の免許※を取得し、施工認可を出願中ですが、新横浜駅に至る区間は鉄道省桜木町線の御移転後でなければ着工できないので、旅客の不便を考え、当分の間、現在の軌道線終点を延長して月見橋付近に至り、省電横浜仮駅に於いて省線と連絡したく、別紙軌道敷設免許を出願するので特別のご配慮を以て至急免許の御指令をくださるよう懇願します。
※地方鉄道法による平沼回りの路線
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S03.10.10同日、軌道敷設特許を申請
京浜神奈川終点より月見橋に至る間0哩15分5厘に軌道を敷設し一般旅客貨物の運輸営業を行って省社連絡の便を計りたく、特別の御詮議を以て至急御特許被成下度此段申請候也
追而、本軌道は之を敷設すべき適当の道路なきため全線を新設軌道と致したく併せて具申仕候
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↑担当者手書き(赤線) |
↑軌道工事竣工届 |
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↑延長区間の概略 |
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↑土地の購入と借用
一番大きいのは省神奈川駅舎回り。月見橋部分は三角形を購入した。
借用は鉄道省と横浜市からほんの「犬走り」程度の部分を借用
借用期間の定めと借用料をしっかりと徴収される。 |
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↑鉄道省照会に回答
乗降方法についてAホームで降車、Bホームで乗車
乗降客は専用の桟橋を通って横浜駅Ⅲの京浜改札を経由
どちらを使うのか?紛らわしい停留所名を指摘され、「横浜仮停留場」とした。 |
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↑横浜仮停留場完成予定図
S04.06.22に開通
S04.06.11工事施工認可、同12日に工事着手と届。
たった10日で開通するんかい? |
念願の省横浜駅Ⅲへ乗り入れ |
【橋梁が間に合わない!】
結果、省京浜線が使用していた新橋梁が完成するまで約5ヶ月間上図の橋脚を借用料を払って借りた。
橋梁は昭和3年8月まで滝ノ川橋梁に使用していた2橋、同年4月まで増田川橋梁に使用していた2橋を橋台に仮設置して使用した。※どの橋台をどのように使用したのかは調査不足で多分諦めます。
物持ちが良いというか、此の計画のために保存していたと思われる。 |
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↑注文した新橋梁・・・。
もっとちゃんとした写真は無いのかぁ~ぁ
スカ線と競争して勝ち名乗りを上げる写真だがやぁ。 |
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↑横浜仮停留場から横浜停留場への線路敷設認可図 |
横浜仮停車場から約半年、S05.02.05に開通
※横浜仮停車場(月見橋)は同日廃止
念願の横浜駅Ⅲに乗り入れ。執念の建設速度を感じる |
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↑という申請図が(国鉄「新」横浜駅)乗り入れ時に出ていたのだが・・・。 |
(1) 当初はシーサスクロッシングを入れたこの形で開業
(2) 昭和6年12月26日横浜~日ノ出町(地方鉄道法)開業時に駅全体の配線を変更
日ノ出町方に片渡りを設置、留置線を整備
此の時点で品川方の両亘りを片渡り化にした。と予想される
※認可申請は未調査事項です
(3) 改軌時にY線を挿入する工事を行った。 下図↓ |
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↑ 横浜駅建造物及び配線変更認可申請図 (一部) |
昭和7年12月3日 京浜電鉄京申土487号 横浜駅建造物及び配線変更認可申請
昭和8年 2月 7日 横浜停留場設計変更認可
■内容
・乗降場一部延長
・「黄色線」横浜延長開業時の片渡りを撤去
・「赤点線」Y線新設
■↑↓図の赤色実線は地方鉄道法としての区分界。白実線は軌道法 |
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↑日ノ出町方に片渡り、留置線を整備(架線電圧は600V)
改軌工事の時点でY線+旅客ホームを整備して支障する黄色線の片渡りを撤去
※此の後Yポイントは2両編成のホーム延長のために品川方に移設された
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↑乗り入れ時の配線としてY線付きで紹介されている文献があるが
昭和7年12月3日 京浜電鉄京申土487号 横浜駅建造物及び配線変更認可申請
(Y線設置申請)が出されているので此の配線で無いことが「役所の書類」↓では確定 |
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軌道法認可区間と地方鉄道法認可区間について |
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↑地方鉄道法申請の線路変更申請 |
T14.05.18付で線路変更許可申請をしてT15.01.22付で許可を得ていたが、東横が高架になったこと理由を前面に押し出し、駅前の美観を損ねる、線路が急勾配等の理由を並べ、省京浜線の線路移設で横浜駅Ⅲに乗り入れが可能となったことは申請テクニック?で記載せず、軌道法で横浜駅Ⅲに乗り入れた線路と繋ぐため、現在の線形による「もぐり交差」の前提の線路変更申請を行った。S03.12.27認可されて、良かった良かった |
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正直、この区間の地方鉄道法と軌道法の敷設特許と施工申請が入り組みすぎて、国も県も一連の整理した表を随時作成しています。
これすら大変で、ざっくり云えば、横浜駅に軌道法で乗り入れて、横浜駅から地方鉄道法で区分、している。と考えれば済む話ですが、経過としては平沼回りは変更を繰り返し、現在に一部区間が生きています。
なかには
S03.03.20付で神奈川~月見橋間の地方鉄道法による仮設工事認可申請が、会社から→(県)経由で鉄道省に進達がしたものの、既に軌道として特許されており、重複して不要なのでS04.10.07付で京浜電鉄に申請書類を返戻とか。
※省から見れば仮線であっても1372mmは地方鉄道法の内規違反であり、此の件(改軌について)を社員に問いただしても「当面留置してくれ」状態。申請を取り下げるよう説明しても、県に下駄を預ける・・・。ので、省はだったら当方から書類を返戻するわい!なった。もよう・・・。
店主、掲載したところで。と、複雑な経過を今のところこれ以上やる気(掲載)がありません $(_ _)$
※横浜仮駅~省横浜駅の認可関係、神奈川、反町、青木橋関連は他のネタを優先することに(苦笑) |
参考資料:京浜電鉄沿革誌、日野原保様鉄道関係文集 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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