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京浜電鉄 鮫洲駅の移転と地元の反対
2023.01.10 Ver1.01 |
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↑曲線部に位置する鮫洲停留場 |
↑大正5年11月の地形図では海が直近まで迫っている
その後、たった10年で埋立が進んで、工場が多数立地し始めており、乗客が激増して3両編成運転計画があるのも頷ける
また、自動車検査場があり同練習場が地図の上下2カ所にある。東京都民の免許取得関係はここ鮫洲と府中、江東の3カ所のみ。飲酒運転厳罰化に伴って、更新して駅周辺で一杯!は激減したのではなかろうか
一方、地名改変が進み「二日五日市」「浅間薹」「立會原」「權現薹」「鎧ケ淵」等多数が消滅進行中で東,西,南,北●●など縁もゆかりも無い町名に改変されている、誰が得をしたんだろう。独特の有名な町名がある神田界隈も同じ・・・。。 |
↓S14年5月発行の地形図 |
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↑曲線部に位置して両隣を踏切で挟まれたする鮫洲停留場を直線部に移転したいと、京浜電鉄から申請のお国に回付する「東京都の進達文」
中央から左は鉄道省内部の検討文だが、左下の「新停留所はできる限り品川寄とする方が妥当では無いか」再調しろ!と照会がつけられた。
※これは下記の陳情対策だったよう
一方、「備考」として将来停車場の延伸が出来る。と肯定意見も |
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移転反対の陳情 |
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↑陳情書の末尾には、企業、住民の多数の署名捺印文書が添付されている
イマドキ地元が連帯して陳情書を作るなんて言う「地元愛の塊」は消滅の時代
↓東京府は強力な地元連帯にサジ投げ |
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↑鮫洲移転と濱川廃止で下駄を国に預けた東京府 |
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↑検討したとする京浜電鉄の図面
照会で「できる限り品川方に寄せて再検討しろ」と言われて
会社が「検討した場所」を入れるのは極めて希な図面と思われる
「照会」圧力がこの図の状態と思われるが「青雲稲荷社」の用地買収を盾に拒否する ↓拡大 |
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青物横丁から距離が348mしかなく曲線半径が200mの中にある鮫洲停留場
↓164m浦賀方に移設して直線上にしたいと移転申請と「照会文」の回答 |
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【照会】
■回答
(1)~(3)略
(4)できる限り品川寄に設けるべく研究したが下記理由により困難なるを以て、現計画位置にてご承認くだされ
■理由
(1)線路と国道が接近して駅舎を設置できない。 海側に設置するとすれば国道からの道路が無い
(2)当社の設計より約50m品川寄になるだけで、しかも青雲稲荷神社があって土地買収が困難。
ということで「品川寄の計画はボツ」にさせてくださいとした。
昭和14年10月12日(受付)の申請から昭和16年2月13日(認可日と想定)まで掛かっている。
此の間には同時に申請された浦賀方にある隣の浜川停留場の廃止問題があった。
さらに移転完了は昭和19年5月1日※となっている
■3両編成の運転は昭和14年9月23日に認可を取得したものの・・・。
ホーム延長のからみもあって、運転開始日が店主眠い頭で解明できていません。
鮫洲の移転完了は昭和19年5月1日。他駅の状況、車両や電力は大丈夫??
車両増備も軍需工場従業員輸送が急増する湘南線に吸い取られがちで、何時から
車両の整備が一段落した戦後になってからかなぁ~。調査は進めます
■昭和17年5月に京浜電鉄は東京急行品川営業所となった
※出典:日本鉄道旅行地図帳4号 今尾恵介様監修 新潮社 |
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↓鮫洲が移転した地形図 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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