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【京急歴史】
逗子線の3線区間
2023.08.11 Ver2.06 |
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↑神武寺駅品川方で東急車輌連絡線と合流
本線R800だがポイントのカントの関係で60km/h制限がかかる
約50m先の池子隧道55.3mに進入する。 |
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↑モニ101牽引の完成車(品)の国鉄送り込み
後方の煙突は逗子市の焼却工場 |
【逗子線 金沢八景~神武寺間 上り線3線レール化の略歴史】
■湘南電鉄 昭和5年4月1日 金沢八景~湘南逗子5.7km開業
■S16 海軍技術廠支廠を金沢八景駅文庫寄(釜利谷)に開設
■S06.04.01 (仮)神武寺開業 3.8km地点※池子隧道(手前)の金沢八景寄に開設
■S11.06.11 臨時仮神武寺駅を停留所に変更※S11.06.10 湘子137号届
■S16.11.01 湘南電鉄解散、京浜電鉄に吸収合併
■S17.05.01 京浜電鉄東京急行に吸収合併、東京急行電鉄 品川営業局となる
■S19.09.01 逗子線を単線化させられる。
交換設備の設置と三線化の設計上、神武寺駅を池子隧道の先、逗子寄300mに移設(現在地)
■単線化によって空いた線路敷と線路資材は神武寺-八景間上り線に1067mm線路を敷設、さらに省逗子から神武寺間に線路の転用し、第一海軍技術廠支廠(S20.02.25改称)まで貨物輸送に使用した
■ 戦後、第一海軍技術廠支廠(S20.02改称)をS21.06.18東急電鉄が借用して車両工場として開設。海軍が使用していた1067mm線路を使用して、車両の搬入出に使用
■S23.09.06 八景~神武寺間上り線の3線化で逗子線が同区間の複線化復旧営業開始
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金沢八景~神武寺1067mm線路の軌道使用目的の追加 |
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国管賠775号 S23.06.25認可 宛先が東急のまま
会社設立通知が未届?(役所として書類的にそのままの名義返?) |
S23.02.20. 「国有財産一時使用について」東京財務局発
どの様なタイトル、目的の申請かは書類未発見で不明 |
逗子線を単線化させられて、特に金沢八景~神武寺間の線路跡を国有化され、暫時後に金沢八景の第一海軍技術廠支部と省線逗子を結ぶ専用線1067mmが敷設された。
東急品川営業局(旧:京浜電鉄/新:京浜急行電鉄)としては踏んだり蹴ったりだが、逗子線の複線復活を目論んで、「国有財産一時使用について」※(盗られた軌道敷)の申請をS23.01.26付で出した。盗んだ泥棒に貸して(返して)くださいは無いだろうが、召し上げ※られたものは仕方ない※関連書類捜索中・・・戦災焼失か
申請書の時点で土地は東京財務局の手中に有り
𦾔(旧)第一海軍技術廠支部専用軌道線 7,326mの「国有財産一時使用について」
の回答書で
・「認可の手続き中で近く認可される筈」と役所の文言で考えられない記述※何の認可か不明
・「緊急使用を要する由でもあるからとりあえず使用することは差し支えない」仮使用でも無い「とりあえず」という文言の使用法で記述
・「追って正式の許可証は交付される」交付予定文書が決裁出来なかったらどうすんの??的な現在の役所ではアリエヘン~ッ!の記述を連ねた怪奇文書。この結末の文書は店主未発見
さらに同S05.05.25付で東京急行電鉄から「軌道線使用目的追加の件認可申請」が出され
※S23.06.01 京浜急行電鉄発足
S23.06.25付で国管賠財775号で神武寺駅~金沢八景駅間の「一部客車輸送」の目的追加について東京財務局はで鉄道線路(敷)の使用許可を出した。なお、運転、輸送の許可は鉄道省・・・。
形式上??、この時点以降、3線軌道工事が開始され、
S23.09.06 八景~神武寺間3線化で上り線として神武寺~八景間で複線運転による営業開始
さて、非電化のはず(未調査)のこの省逗子~東急車輌間の単線は、第一海軍技術廠支部が使用していた時、機関車は蒸気機関車が牽引していたのか?燃料不足の状態でDLが稼働していたとは考えにくい。電化も無いので、興味津々でSLの形式は??外国形の小型のお古??
下記にわかりにくいが貨物列車の空中写真を・・・。 |
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↑ 上り線用に線路を敷設しちゃいましたので、1067mm車輌を運転する際に
建築限界を線路外方にオーバーするので184mm縮小する許可を申請
S24.03.23申請、S25.06.05許可 |
太字は申請書の文字、細字は店主の勝手な感想
■「逗子線上り3線区間建築限界縮少許可申請書」をS24.03.23日付 京急発142号で提出
弊社営業線中逗子線上り三線式区間(金沢八景~神武寺間)を別紙理由により建築限界を184mm縮小したいので関係図面(※無い)を添えて申請します
■理由書
逗子線は戦時中その筋の命令により上り線を余儀なく撤去し(※1)単線運転となりました
※1 その筋という名称を国の機関である運輸省に提出する文書に使用する時代のレベルが何ともいえない。鉄材不足と称して全国各地の鉄道、索道からレールを引っ剥がして廃線に追込んだ
その後海軍は金沢八景~神武寺間当社路盤(※2)を使用しまして省線逗子駅より旧第壱海軍技術支廠(現在株式会社東急横浜製作所が借り受けております)に通ずる軌間1067mmの専用軌道を敷設致しました(※3)
※2 海軍頭良いなぁ~。1435mm線路剥がさせて後に国有化、勝手に1067mmを敷設したがこの文章では「当社の路盤」と記載している。この時点で返還されていたのか?正当性主張か??
※3 京浜急行の線路を海軍が1067mm軌間を敷設し直し、東急横浜製作所はその線路を国(海軍??)から借用していると解釈できる摩訶不思議な記載
終戦後非戦災区域なるため沿線は極度に人口増加し輸送困難のため、前記区間東急横浜製作所に通ずるように1線加えて軌間1067mmと軌間1435mmの三線式特別設計にて複線工事を致しました(※4)ので外側軌条を共用するために軌間1067mm線を使用の場合に限り図面の通り建築限界は線路中心より1721mmとなりますので金沢八景~神武寺間(上り三線式区間)建築限界を(電柱側に)184mm縮少を御願い致したい
※4 この工事に関する許認可書類を捜索中だが、書類を出せば当然、建築限界オーバーの「照会」が為されて「委任状とか請書」で訂正するなどの方策がとられているはず。
省とガッタガタする前にトンテンカン工事を行ってしまって、元の通りにして何が悪い!と既成事実化して後出しジャンケンじゃんけんポイ!!か?
当然、東急横浜製作所にとって車両出荷の生命線、京浜急行にとっては「大東急親分様の子分」うかつな対応は出来ない・・・。
綿密な打ち合わせが行われて「3線化するから条件はアレコレなんて・・・。」の筈。でないと
東急横浜製作所が予想する当時の最大寸法国鉄の63系等が出入りする際、電柱や隧道壁に車体を擦る、擦らない等の図面を提出しS25.06.05鉄監936で許可となった。 |
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金沢八景~東急車輌間の線路の扱い |
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↑上記赤枠の拡大
S23.07.14付の通達「陸業1318号-3」(逗子線工事方法変更)の手書き写し |
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↑↓S24.07.21付 の照会の回答
金沢八景~東急横浜製作所間272mの引き込み線について
旧海軍の継続と言うことで電気・蒸気併用とさせられて・・。
架線下で本当にシュッポ、シュッポ来たら煤で架線が一大事かも |
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↑照会2の直通運転認可書類 |
「陸業1318号の3」通達により協定を結ぶ |
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↑ 23.10.00 協定書 日付不明 |
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S23.10.28付 協定書
覚書に協定書で漏らしたと思われる文書を加える
※当時の文書ですから、現在と変化があるかどうか等は不明です |
国土地理院撮影の空中写真で見る昭和21年2月の神武寺付近 |
S19.09.01逗子線は上り線を撤去させられ、この際交換設備が必要なため、神武寺駅を池子隧道を抜けた300m逗子寄に移設した
上り線はお国によって(工事主体は未調査)1067mm化され、省逗子から線路を敷設、金沢八景の文庫寄にあった第1海軍技術支廠に線路を引き込んだ
下記の空中写真はありがたいことに列車が写っている。貨物列車は20‰の上り勾配にさしかかるところ。
牽引機は蒸気機関車しか考えられないが、当時は粗悪炭しか無かったろうから、勾配に向けて圧力を上げるに苦労したのではと考えられる |
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↑旧神武寺駅と思われる場所
東急品川営業局の2連と貨物列車が写る写真
貨物列車の写真を限界?まで拡大してみました
テンダー形蒸気のように見えますが果たして本当か?? |
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↑神武寺駅から逗子寄は貨物入れ換えヤードとして使用されたよう 引き込み線のトンネルはいつから開削したのだろうか?
↓↓上の写真↑を超拡大!貨物線路は3本あるように見える。逗子線が単線だからその分拡張
黒屋根の貨車が2列、無蓋車?か踏切近くに8両 |
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↑S40年の地形図 京急との連絡線が描かれていない
↓S42発行の地形図ではほぼ正確になっている
米軍の住宅地化の影響で引き込み線が撤去されている |
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昭和時代の昼間輸送ダイヤ |
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↑↓当時は逗子線の列車を一部運休にして車両回送を行っていた |
ダイヤにスジが設定されており、運行時は神武寺駅の出札窓口は臨時運休する旅客列車の時刻が掲示されていた。
歴代のダイヤで大まかに下記の時間帯に3本のスジが組まれており
(1)往路:八景発5時台→復路:神武寺発9~10時台
(2)往路:八景発10時台→復路:神武寺発11~12時台
(3)往路:八景発15時台→復路:神武寺発16~17時台
この(1)~(3)を組み合わせるか番号通りに往復するかで運行されていた
所要時間は上下とも金沢八景~神武寺間10分※でスジが引かれていた
※普通列車は上下とも所要5分30秒程度
上下列車のすれ違いは線路の敷設方法もあって、接触の問題は無く、実際のすれ違いスジもあったが、当然、上り線を使用して神武寺に向かう貨物に向かう列車は正面衝突するから、上り普通列車や神武寺に向かう貨物に並走する形になる下り列車がある場合は該当列車が運休となった
しかし、京急の営業列車を休止してまで回送のスジを入れるのは、利用客から乗ろうとしたら運休ジャン!の苦情もあり、「お上の指導」が有ったのか無かったのか、その後、夜間の回送に限定され、昼間の運行は見られなくなった。 東急車両とすれば、深夜の回送になるのでコスト高になるので抵抗?はあったのかどうか。 |
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↑例としてある時期のダイヤ
上下で支障のある場合、支障の無い場合は運休ナシ |
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↑当時コンテナを大量に受注していたよう。まさかコキ50000も一緒に製造
、セット納品したと思われるほどコキが綺麗! |
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↑架線はここで終了。パンタ降ろして入れ換えで戻ってきたモニ
東急車輌の職員のタッチはここまで。この門の先には立ち入れない
米軍基地内の取込線に一旦引き上げられ、貨車を渡す
写真は貨車の引取が終わり返却されるモニ101 |
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↑↓入れ換え中
この場所は米軍の用地で関係者以外立入禁止で、
米軍踏切入口の小屋では銃を携帯した米軍の守衛が見張っていた |
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入替は 国鉄の機関車と職員で引き継いで行う 入換、誘導は国鉄の職員が行う。入換機関車は左側の先に居るが、
米軍踏切のそこに行くには大回りで撮影出来なかった。
先ほどのニューコンテナを貨車ごと引き渡して、逗子から来た新しいコキを受け取っているよう |
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↑S43頃の入換機関車DD12 3号。
ディーゼル発電の電気式機関車。
さしずめ今風に「スモールオレンジ・ベア??」
↓DD12 1号 |
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↑神武寺の米軍用地内で輸送待ち
相鉄冷房改造6002号他 |
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↑入換上、両端に車掌車が必要な時代に国鉄逗子構内で
ギランギランした東急8000形が横須賀線入線待ち |
線路の特殊な細工とトランスポイント新設 |
保線・信号担当の方々は内側の線路が滅多に運転されないので、サビによる通電性低下による信号回路誤動作防止のためにレールに通電性の良い銀などを含む溶接材料を間隔を適度に空けてレール上面に盛り溶接※したり、信号回路の保全に苦労されていた。
※運転速度が低いのと、貨物回送なので数ミリの溶接に乗り上げてゴロゴロ振動しても影響は無かった。
知る限り南部縦貫鉄道も営業がレールバスのみになって運転頻度も無いため、信号電流不検知
による踏切が遮断しない誤作動があって、踏切リレーの部分には同じような溶接を実施していた
PC枕木化は3線専用の特注枕木でなければならず、費用分担?などで大東急の子会社といえ採算が低い会社なので話し合いが長年にわたっていろいろとあって中々PC化出来なかった。 |
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↑↓導電性の良い金属をレール上に溶接して信号回路の支障を無くす
東急車輌線路はポイント部分を除いて、おおよそ中古レールを再敷設 |
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その後箱根登山の3線区間PC化が進捗して、そのメーカーから形代不要で購入したのか??
店主の観察不足の間に※何年間や!!交換されて京急線路上はPC化が完了していた(苦笑) |
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六浦駅の上りホームは↑の写真の様に線路が共用なので、国鉄の車体限界が大きいので車両のアタリを避けるため、ホーム端と線路が広く開けてあった。
このため、ホームと車両のと間に大きな隙間が出来て乗降客が増加するにつれ、事故防止の観点からも、この部分が厄介者扱いだった。
近年(何時じゃ!)、駅部分だけ1067mm線路を複線路の中央寄りにするトランスポイントが駅の両端に取り付けられ、隙間の解消が図られた。
ところが、この線路が出来たおかげで上下線車両の接触の危険(届としての接触限界超)になることから絶対完全?に営業車運行中に回送は出来なくなった(まぁ、無かったけど)と店主は聞き及んでいる・・・。
回送のために旅客営業列車運休は類似の例で現存するのはイズハコ社の大雄山コデ回送がある |
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↑八景方
トランスポイント
1カ所に転轍機が2台、合計4台の豪華仕様
↓新逗子方 |
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↑↓小型の230形は東急車輌引き込み線との境に
ある踏切と本線にある踏切の間にギリギリ収容出来て
逗子区間折り返し用列車の待避にはもってこいの編成だった
230の運用終了後は大型車なので収容出来ず、文庫での折り返しになった |
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↑800形の逗子ローカル |
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↑逗子線の夏輸送の花形は「特急」池子隧道(約56m)を出たところ |
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↑車内からの眺めは良くないが、外面が大好き!
1000形2次車 |
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↑↓ラッキーにもステンレス仮面5200形が |
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↑横浜市金沢区と逗子市の境にある
「境山隧道(約363m)」に向かう
トンネルの両サイドは20‰で高さを稼ぐ
R400が連続するが、やる気を出せば(整備すれば)
80km/hで走れるのでは・・・。20‰の壁もあるのかなぁ
上り線はこの時代、神武寺~八景間はまだ木枕木 |
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店主、都営地下鉄1号線の代表作と思っている車両
イマドキの呆れるようなデザインで無いところが良い
高速でのハシリは左右にヨタヨタするのが特徴だが
ステンレス丸めた豪華な帯(京成的とも言えるが)や
一時代前のケーブルカー的な急行灯のデザインもスキヤなぁ~ |
平成・令和の状況 |
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↑湘南電鉄を支えてきた瀬戸変電所
保存団体が取得した。再生活用するような・・・。 |
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↑八景構内の敷設状況
一部区間は40kgレール |
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↑東急車輌に引き込まれて終了
八景~工場間は上方の申請文にあるように
京浜急行の車輌を修繕したい。理由で3線化
申請しなければ手前のポイントから工場まで1067mmだったはず |
参考文献
日野原保様 鉄道関係文集
新潮社 日本鉄道旅行地図 4 今尾恵介様監修
海軍技術工廠、東急車輌関係はwikiより |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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