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【京浜電鉄歴史】
軌道線車両 電桿式聚電装置からパンタグラフへ
2022.12.20 Ver1.10
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昭和8年4月1日に現在の品川駅(Ⅲ)に乗り入れを果たした京浜電鉄だが、架線は大正13年9月17日付でにシンプルカテナリー化の認可を得て、工事を進め、架線の張力と高さをある程度一定に保つ工事をしていて電桿式聚(集)電器でカッ飛ばして?いた。
品川駅に乗り入れてる車両は改軌も終了し、颯爽とパンタグラフをなびかせて本線を快走していたのか?と思いきや、それは湘南デ1形、京浜71形の昭和生まれの一族のみだった?
==交換対象車両==
【日本鉄道自動車工業製 空気操作鉤外式NT式D形】パンタグラフ
■旅客車
木造車体のデ14形 14~17号 4両
同 上 デ36形 36~39号 4両
同 上 デ40形 40号~50号 11両※デ41形だが形式図に従って記載
半鋼製 デ51形 51号~70号 20両
小計 39両
【日本鉄道自動車工業製 手動操作式鉤外式のNT式C形】パンタグラフ※
※留置時間が長いので空気溜から漏気して、上昇(鍵外)動作不能防止のため?
■旅客車
木造車体 デ32形 32,34,35号 3両 余り使用されなかったのか??
■電動貨車
デト1003~1005,1010 4両
デト1006 1両
デワ1007~1009 3両
小計 11両
合計で60両のパンタグラフ化改造申請が昭和13年6月13日(内務省達日)で認可されている。
現在の許認可制度では考えられないユルさで思えば、およそ5年もの間、電桿式聚電装置(ポール)でパンタと入り交じって活躍していたようだ。※
※徐々に改造していたのか、認可されてから着手したのか当然不明。
撮影には最高のご馳走だったに違いない。
【申請理由】
書面から
当社軌道線(品川~横浜と支線)所属車両は電桿式聚電装置を使用しているため、電車線の障害が頻々発生し、かつ本線は鉄道線所属車両のパンタグラフ式聚(集)電装置と併用するため、電車線の摩耗激しきため、大師、穴守両支線の電車線吊架方式変更(シンプルカテナリー化)と相まって、車両聚電装置を全部パンタグラフ式のものに統一したい。
という文言が記されている。※上記中央の理由書
しかし、ポイントでの電桿式聚電装置の分岐部分の架線振り分けはどうしていたのか?
通常、電桿式聚電装置用の架線分岐ガードはパンタグラフのシューにぶち当たるし・・・。
それが無いようなパンタシュー誘導ガード付き分岐ガードだったのか?※
※あったとしたら京浜電鉄の発明品かなぁ? |
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↑車種別パンタグラフ搭載が記載されている |
=====パンタグラフ取付認可申請用図面=====
旅客車両はホーム嵩上げステップ除去工事済み |
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↑空気上昇式 NT式D形
エアシリンダが結構ゴッツイ
パンタシューの両先端がレ形になっているのは架線が切れてたとき
レの部分で切れて落ちる架線を受け止めたいと願望の策。
一畑電鉄の旧型車パンタは全てレのタイプだった。
↑↓パンタグラフの動作用バネがフレームの外側に配置されている |
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↑手動上昇式 N.T.式C形パンタグラフ
※文字間のドットがあるがD形はドットが無い(苦笑)
パンタ平面図の中心に鉤外し上昇用ワイヤ保護パイプが1本のみ描かれるシンプル形 |
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↑デ32形
連結化改造ナシのバッファー付
↑余り使用されなかったのか手鉤式パンタとなった
乗降扉ナシの運転台吹きさらし |
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↑デ36形
元はデ29形グループ(29形は別頁で---作成中)
この4両は 連結化改造ナシのバッファー付
デ32形と同形のデ36形は空気上昇式パンタ
歯車比が大きいので起動加速は良かったのか??
デ14~デ40まで(除くデ32-35)の標準ギア比の足回り
乗降扉ナシで運転台吹きさらしであった。
32形、36形は大型車体に2扉だったので早晩淘汰された。 |
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↑京浜電鉄沿革誌より転載 |
36号の電桿式聚(集)電装置とパンタだが、電桿式は一方向のみ設置なので、非常用として残し、上昇の1方向と反対方向は超徐行で集電した?
客扉が無いので冬場は極寒の運転台・・・。
なお、鉄道ピクトリアル1970年10月号通巻243号の京浜急行電鉄 過去の車両担当 永田義美様による解説に、
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前年頃(注:昭和13年)から試験的にデ58にパンタを載せたが、紐で上下するモノで片方には予備のポールを残していた。デ32,34,35,デ36~39は試験車デ58と同様紐式とポールの二刀流になっており(以下略)
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と記載があり、最初はデ58号が認可年から試験したとも思われる。
「パンタは紐式で上下するもの」との記述があって、デ58、デ36~39は空気上昇式のNT式D形の認可なので同氏の記述と異なっている。※役所認可と実際は異なることが多々あるので、ユルイ時代だけに・・・余計・・・。
上記の写真のパンタは、確かに舟体の端がレ形になっていないので、手動上昇式N.T.式C形であろう。 |
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↑デ14形※
元々はデ1形。連結器はK-1形。連結器が付いたのは外吊式の客扉(乗務員出入兼)に
改造済み、乗降時間短縮のため中央扉増設が理由に考えられる。扉は各1067mm
※デ11形全車がパンタ化では無く、デ71形の相棒用にデ11~13号がTcに改造された(後述) |
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↑デ40形
本来、デ41形という形式呼称が現在の趣味界の解釈
このデ40号は元はデ29形グループだったが、関東大震災で車体を破損し
デ41形と同様の車体を新製、デ41のグループになった。
まさか、図面で形式としてデ40形を名乗るとは。
この後、図面の形式がデ41に戻されてないか研究しなくちゃ??
客扉は14形の1067mmに比べて両端889mm,中央812mmと国鉄急行車並の狭さ |
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↑初の半鋼製車体デ51形
余談だが、デ14~17,デ32~デ50までの電動機主力の電圧500V149KWに比べて
鋼材が増えた分??電圧600V194kwと単純出力比(電圧無視)で約45kw大きくなっている
客扉はデ40形に比べて少々拡げられ前後1016mm、中央889mmとなった。 |
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↑デト1003形 |
このような運転台形式をベスチュビュール式というらしいが、腰から屋根に囲いが伸びただけ。運転台横は吹きさらし。正面の風避けても渦巻く走行風、横風は素通し・・・。当時の労働環境の過酷さが・・・。
さてパンタは車体中央の「やぐら」に乗ったが、曲線の架線偏奇によるパンタシューはみ出しはギリギリ回避できたのか?
ボギー客車のパンタは台車センターピンの上に中心が来ている。
デト1003は台車間が短いのに助けられてなんとかなっていたのか?
パンタシューはどれも同寸法、#4ポイントや曲線区間で厳しい場所は架線を「曲線引」で修正していたのか?ナゾ |
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↑デト1006形
運転台極小さくなり周囲を囲まれた (デト20,30のような)、方向幕っぽい穴が。
木造だから、強風の時などは、小さな囲いがすっ飛ばされる怖さがあるような・・・。 |
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↑デワ1007形
京浜電鉄初の有蓋電動貨車「デワ」だが、
デト1001号の車体に準じた台枠に客室級の大きさの荷物室を作ったため、
まぁ、合理的とはいえ、運転台のアンバランスが滑稽。パンタは台車中心上。
しかし、増備車でなぜ吹きさらしのベスチュビュール形の運転台形式なんだろうか。
デト1000形準じているとはいえ、名義新造とか??謎解きをしなくては(苦笑)
さらに電動貨物車の台車名称は「ペックハム」。岐阜では「明宝ハム」なんじゃ(笑い) |
参考文献
鉄道ピクトリアル1970年10月号通巻243号
特集京浜急行電鉄 過去の車両( 永田義美様記事) |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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