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【京浜電鉄歴史】
鎌倉金澤電鉄発起人による敷設願
2022.03.19 Ver1.01 |
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■大正15年1月6日付 鉄道大臣宛
横浜市住在 若尾幾太郎外4名を発起人とする社名「鎌倉金沢間電気鉄道」の鉄道敷設免許申請を神奈川県経由で鉄道大臣宛に提出
■発起人は横浜2人(生糸貿易商、呉服商)、横須賀2人(呉服商、県会議員)、鎌倉1名(県会議員)の5名
神奈川県は上申するに当たって、発起人の信用調査なるものを行い、信用程度を「厚シ」2人、「相当信用アリ」2人、論評無し1人とした。
「信用程度」という基準は何であろうか?納税額は75,239円26銭から91円1銭まで多様である。しかし、納税額で「相当信用アリ」で2桁円台、「コメント無し」が500円台、コメント区分はちょっと不可解ではある。
■計画路線図
起点は鉄道院横須賀線鎌倉駅前から路線長4哩16鎖(約6759.29m)で久良木郡六浦荘村 村瀬に至るとあり、下記の平面図によると全線単線、途中駅の記入はない。
軌間は1067mmで、単線、全体に「鎌倉~金澤道」に沿って計画されている
起点の鎌倉市側は「横大路」から軌道線状態となって、八幡宮前を直角に曲がる芸当も披露している。
大正時代でも若宮大路を大胆に併用軌道で走る計画は中々すごい度胸だと・・・。
さらに滑川に重なるように走る箇所があって、とても河川管理者が許可しないような場所に予定の朱線が引かれている。仮に許可されたら「玉野市電」のような河川上の線路が見られたかも知れない。
朝比奈峠は豪勢にトンネルを掘って突破。図の「LEVEL」は実際にトンネル構造としてはあり得ない設計?
トンネルの前後は1/60、1/40勾配で稼ぐようだが、かなりの連続勾配である。
単車がウンウン言って勾配を登り下りするのだろうか。
多分、スピードメーターも無く、貧弱なブレーキ装置で4輪単車は前後左右、上下にピッチングとローリングをバンバンしながら・・・。とゾックゾクするシチュエーション。
当時の運転扱いレベルでは暴走事故の発生は必至と思われる。
横浜市側は湘南電気鉄道の線路が陰も形も無い時代なので、とりあえず暫定駅なのだろうか?
この図の通りに駅を作るとすると、後に湘南電鉄が金沢八景駅の開削した台地から本線と逗子線が下る勾配をくぐる形になって、とても湘南電気鉄道金澤八景または六浦駅に徒歩で気軽乗り継げる場所にはならない
そして路面軌道区間を堂々と記載。鉄道法とも軌道法とも触れずに作成されているような状況
■資金計画
資本金50万円
発起人は総額の1/3を負担、残額2/3を一般株式募集 店主的には株券が●●になりそうな予感・・・。 |
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この区間を4両の 8噸電動客車、6噸1両の電動貨車で賄う計画。検査予備各1両、常時2両運用か
電動客車は車両重量から4輪単車と推察され、大正末期にこのレベルは無いだろう・・・。 |
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↑却下の理由は発起人の法定人数不足によるというもの。申請から約2年が経過した昭和2年11月15日に決裁。こんな単純理由だったら即決では? |
↑敷設特許申請書を回す際に神奈川県の意見は発起人の1人が大口納税者ということもあって大甘な?日付から差替文?しかし7ヶ月後↓の事態に |
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↑大正15年6月10日に湘南電鉄が別ページの金沢文庫~材木座間の敷設願提出の後出しジャンケン。
※湘南電鉄の三浦半島方面の他の敷設線(武山線除く)と出願日が違うのは、これが理由では
大正15年8月26日付けで、神奈川県知事から鉄道大臣宛にさらなるこの副申が。
タイプ打ちの文書だが、店主の理解力、調査力では、
この原稿用紙の枠を切り落としてアップするしかありません。単なる複写機が無い理由か。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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