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【京浜電鉄歴史】
最後の木造形式車 デ41形
2023.10.01 Ver1.05 |
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↑デ41形44号他2連※ステップ切り上げ後の姿(京浜電気鉄道沿革誌より転載)
半鋼製のデ51形まで受け継がれる5枚窓の前面
※41号以前はデ1号の前面形状でほぼ揃っていた
デ41号形の運転台窓及び客窓上枠はアーチ状になっている
前面腰部も最後の木造車らしい構造
※デ40号に関してはデ40号ページへ(作成中) |
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京浜電鉄最後の木造車として登場したデ41形のステップ切り上げ申請図面
全ての窓の上部に円弧形のRがついている
この図を見ると金属は乗降扉柱の屋根カーブに1部使用されているのみ(台枠除く)
※図面は40-Type Car Body Plan And Elavation(側面・平面図)とある
日本人の製図工か何処かの国の会社(人)が作図したのか実に不思議な表記 |
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↑右から京浜電鉄発 京酉電117号申請書、中央:酉警保電収95号進達書
※大正10年6月まで記入で日にち未記入=缺日,左:監2106号認可書(決裁文書表紙) |
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↑大師線に使用したい京浜電鉄だがT10.08.05京酉電180で自ら橋梁の一部改修が済むまでは使用しないと記載
しかし、T10.11.17京酉電251でプラットフォームを前面に出して直通(未整備の駅を通過)するので特別の御詮議を。と「橋梁問題は?」スルーの追申書を出す |
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↑結果、決裁文書検討内容(車両課回議)の検討結果で車輌は大師線直通のみならと回答したが、府県あての通牒、監2106号認可書(決裁文書)で、大師線に使用する時は(橋梁の改善)を要するので別途工事方法の変更申請、実施が必要としてこの時点での大師線使用は認められなかった。 |
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在来ボギー車(26~28除く)との軸重比較
若干軸重が軽くなっているが、木製の小橋梁はムリと結論された |
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↑↓申請書に添付された客車構造方法書(概略)
運転台はベスチュビュール式として車体両サイドを扉付きと言う表現にした
この表現方法を使用すれば、現在の車両も全てベスチュビュール式となる |
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↑パンタ搭載申請時の図面
記号番号はデ40~50号となっている
窓の上アーチ形状に注目 |
申請書添付の「電車車体仕様書」ほか |
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↑↓監第 965-1による照会が1~7まで発せられた
※この案文書は各担当課の文書を寄せ集めたもので、清書して神奈川、東京知事宛発送される |
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↑照会文に対して神奈川、東京知事から京浜電鉄から回答が来ましたと
文書番号「酉電保収95の1号」以て大正10年8月13日付けで鉄道省宛て送付される
※鉄道省の文書受領は大正10年8月22日付 |
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↑「京酉電180号」追申書と「請書」、この後も照会が2,3続くが、
下の「酉電警保収95号経由」大正10年11月29日発※95号の附番無し
文書添付の「京酉電251号の追申書」を以て完結する |
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↑車両両端に設備する出入口折畳装置の地面からの高さについて
プラットフォームの設置無き国道上の京浜蒲田については、大正8年7月22付京未土29号で申請しており改築計画(線路移転)も既に定まっている。
※京浜蒲田新設線は大正12年4月使用開始
大師線使用申請は上記に記載したとおり |
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=====以下随時追加を行ってゆきます=====
なお、デ40号については、後ほど別にページを起こします |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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