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【京浜電鉄歴史】
橘樹(たちばな) 電気軌道
2022.03.04 Ver1.02 |
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↑敷設免許申請書に添付されている地図 多分この時代は何処の会社も
そうであったろうが地図作製者の腕が光る。おおらかさがこの上ない |
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(1) 明治41年9月13日 東京都在住の太田實他11名の発起人により「橘樹電気軌道敷設願」が神奈川県庁経由で鉄道院に提出された
(2) 発起人は全員東京市で、住所は京橋区3名、麹町区2名、牛込区2名、麻布区、赤坂区、本郷区、下谷区、赤坂区、日本橋区と今風の知名度のある地区が並んでいる。
店主思うに地元は鶴見、川崎はおろか神奈川県にも居ない状況の、在京投資家集団のよう
(3) 路線図を見て頂きたい
■鶴見川の両端から内陸に進み、いざ、鶴見川を渡河という寸前で両路線は終点になっている。
連絡客は鶴見川を歩いて渡ってね。と驚きの計画。
木橋が架設されているとはいえ、鉄道ならば橋梁をかけてその優位性をアピールするはずだが。
会社は渡河する乗客など居ないと思っている?
■こうなると電鉄会社を2社経営するのと同じで、車庫や命令系統など2重の負担がかかる。
今なら車両部品などはバラしてトラックで保守・修繕会社に。という時代では無い
■京浜電気鉄道も本線では輸送力増強のため専用軌道化をはじめている状況だが、何故か同時期に
敷設出願された支線延長の形の鶴見~小机間(こちら)の支線敷設願も道路上のあり得ない状況の申請。
※すいません「複写転載禁止」あちこち入れてます。自分でもイヤですがご容赦を |
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対抗を意識して併願すれば、折り合いの何かが期待されるとしたのか、実に微妙な出願に見えます。
架橋しない「2支線体制」などはそのニホイが・・・。実際、何処までやる気があったのか?
実務者がいたのか?とか、敷設願の文章は丸●クリの参照だったりしたら?さらにすごい。
県、国それぞれの官庁は、無実績と平行出願の会社アリで橘樹電気軌道の申請をバッサリ不許可とした。
この一円は現在、住宅地として密集しているのと、最盛期の時代は過ぎたが小工場もなお多い。
決裁文書のタイトルに文字が並ぶ京浜電気鉄道の鶴見~小机支線は軌道敷設申請の様相はもっとすごいです。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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