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京浜電鉄の国鉄川崎駅貨物連絡線
2023.07.27 Ver2.05 |
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海岸電気営業開始も見越して京浜地帯の貨物を直通させ、積替え場所を考えたのだろう。
その場所に選ばれたのが国鉄川崎駅。
京浜川崎駅と国鉄川崎駅の間に連絡線を敷設し、国鉄川崎駅構内に積替えホームを計画。
貨物側線とすれば免許も容易に得られるのでは?などと考えたのか側線延長で申請した※
※京浜川崎駅の側線扱なので自線内~京浜川崎駅までの運賃しか収受出来ない状況だった。 |
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↑お決まりの「照会」の繰り返し・・
※神奈川県経由文書を省いています
右端:照会:貨物線新設の理由、運転保安の方法、
左端:京浜電鉄回答:保安方法の詳細回答・・あと4P続く
文中の信号用語で無難信号:進行信号-青、危害信号:停止-赤
なお、中央赤枠は省内文書で、これらを集めて清書し、
総務課?で文書番号つけて照会社(者)に送る。
T10.09.09に認可が下りて工事開始??
T14.07.17.国鉄川崎駅への側線完成、使用開始 ※京浜電鉄沿革誌記述
T14.12.02.川崎貨物側線を営業線に特許認可
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T10.06.01.自線内での貨物運輸営業を電動貨車2両で開始した京浜電鉄
貨物営業を本格化させるためにT11に4両,T13年に5両と電動貨車の増備も進めた。
T14.03.11高輪駅完成。その際に貨物用ホームも設置
まぁ、旅客営業しかやって来なかった会社なので、本線に積込用の側線が無くてもとか、異ゲージで貨車が直通出来なくても。ダイジョウブイ!とか考えたのではあるまいか?
結果、S13.07.04:貨物運輸廃止認可となった※それ以前に貨物運輸は停止していたようだ
なお、海岸電気軌道の貨物運輸については→こちら
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【ボギー電動貨車の初期布陣について】
大正10年6月 ボギー電動無蓋貨車 2両 7.5t積 木造車 1001、1002号 藤田分工場製
大正11年 同 上 4両 7.5t積 同 上 1003、1004、1005、1006号 同上
大正12年 ボギー電動有蓋貨車 1両 7.5t積 同上 1007号 同上
大正13年 ボギー電動有蓋貨車 2両 7.5t積 同上 1008、1009号 横浜船渠製
大正13年 ボギー電動無蓋貨車 3両 7.5t積 同上 1010、1011、1012号 横浜船渠製 |
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省に鉄道局の承認書の提出を求められ、「写し」を作成して提出。
なので原稿用紙は「京浜電気鉄道」のもの |
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↑監1337号で認可されたが、右端の流れで県レベルで認可した報告 |
↑東京鉄道局の承認もらうので認可を急いで欲しい |
↑東京鉄道局から線路配置変更要請が来たのでやむを得ない:県→国 |
↑貨物側線の変更を内示されたので申請を変更します |
=====その後、省川崎駅積み替えホーム設計に変更あり==== |
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===== 以下、変更後の図面====== |
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↑貨物側線全体図 |
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↑京浜川崎からの側線 |
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↑縦断面図 |
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↑国鉄川崎駅構内
↓もう少し拡大。国鉄側の線路や建物が京浜電鉄の敷設により変更されている
京浜電鉄のポイントは電車の台車らしく#4分岐、国鉄は蒸気で#8分岐
国鉄側は建物を結構移築している |
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↓凡例の拡大 |
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↑国土地理院S6.2.28発行の地図には連絡貨物線が記載された。大師線は別路線扱い(線路は繋がっているはず) |
側線から道路積み込みホームを分岐 |
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大正14年1月23日付 京丑土21にて
貨物取り扱い上の必要で貨物積卸場を増設したい。と届出た
県道田島川崎停車場線踏切側に柵と門を設置 |
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↑図面左下部に積み替えホームの断面図が記載されている
↓図を拡大 |
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側線を営業線に切り換える |
京浜川崎駅の側線扱なので自線内~京浜川崎駅までの運賃しか収受出来ない状況を
営業線に変更して0哩26鎖の距離分運賃を頂こう。と軌道特許申請を行った |
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↑内務省
同一案件だが軌道については内務省、鉄道省がそれぞれ管轄
決裁の中身は一緒の例。文書番号は統一している→赤枠
↓鉄道省 |
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↑左端は別文書にある備考としての敷設経過 |
↓書類は同じモノを作成して本社(川崎)のため、神奈川県庁経由で提出
神奈川県はその内容を審査して担当省に進達する。決裁文は県経由で送達
※都道府県には各省のような専門家がいないため、結構いい加減になること多し。国の担当者の面子を潰さないように判らない、見落とす??等した作文を送付する。偶に生きの良いのがいると土取線事件?? |
T10.09.09 本貨物線敷設の件指令 新設軌道敷
T10.09.22 本側線工事施工知事認可
T11.01.12 右工事方法一部変更含認可
T13.04.11 工事方法変更知事認可 |
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T14.12.02付で特許を取得、営業線として成立した。 |
川崎貨物連絡線の廃止 |
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昭和13年3月23日付 京寅運111にて川崎貨物線運輸営業廃止許可願が提出された
大正14年12月2日付監2675で(特許)を受けて軌道を敷設したが、
数年来発着貨物の取扱皆無と相成り。
ついては同軌道による貨物運輸営業を廃止したいと申請
昭和13年7月4日 監959-1で廃止許可。昭和13年8月3日迄に実施スベシとある
※鉄道局としては自社分の連絡線保守にお金は掛かるし、担当部署も存続しておかなければならず、使わないなら廃止しろ!とせっついていたのではあるまいか?
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昭和13年7月14日付 京寅運264で川崎貨物線運輸営業廃止実施届が出された
7月15日から廃止を実施したとある
届に当たっては、交付された特許状を返納しなければイケナイので実物が戻された
※特許状のモノホンはあまり見当たりません。まぁ、珍品ということで。
このペラ1枚で効力が絶大なんですね・・・。 |
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↑【廃止申請時添付図】大正14年1月23日付 京丑土21認可の
道路からの積み込みホームが描かれていない
廃止後に材料置き場側線として活用されるのだが
ポイントつけたままだと踏切にかかるし、既に撤去されたのか?
踏切の先は「倉庫」となっているが京浜電鉄所有であれば
踏切を越えた「材料置場側線」となるのだが「謎」・・・。 |
川崎貨物連絡線廃止後の一部活用 |
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昭和13年3月13日付で提出した貨物連絡線の廃止届だが同年6月16日付けで
その線路の一部を変更敷設して資材置き場の側線として存置したいと申請した。
届け書と見なして会社に示達した。と昭和13年11月01日に神奈川県に通牒
よって、この線路が何時撤去されたかは店主的にヤミになってしまった。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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