|
【京浜電鉄歴史】
京浜電鉄の貨物輸送と貨物扱所
2023.07.14 Ver1.01 |
|
大正14年2月24日付で貨物運賃値上げ申請を申請して決裁(認可)された監1452大正14年6月11日(監軌996)の書類を中心に見ていくと
■貨物扱い駅
以下の11駅で貨物扱いを行っていた。
(1) 本線
高輪、品川(Ⅱ)、海岸、蒲田、川崎、総持寺、新子安、神奈川
(2) 支線
大森、穴守、大師
各駅には貨物用の側線が設けてあり、そこに電動貨車が発着し、荷扱いを行った。
※品川(Ⅱ)は当時の人口集積地「徒歩新宿」なので需要はアリと考察
■運賃の認可と営業開始
大正8年11月29日神奈川県指令警保2930で認可。
京浜電気鉄道沿革誌には大正10年06月01日から自線内での貨物運輸営業を開始したとある
これは大正10年6月に木造ボギー電動無蓋貨車7.5t積2両の1001,1002号が竣工したので、それを以て営業を開始した。と考えられる
※大正元年~3年に製造認可された社用工事用の無蓋4輪電動貨車3両は原則、貨物輸送に使用されなかったと考える。
■輸送状況
神奈川県の職員が進達用に作成した書類↓↓には
・実際の取扱貨物の種類
(1) 野菜、穀物類
(2) 魚類
(3)建築用材
・運転状況
定期として直通4回、その他支線1回、実際定期運転よりも臨時運転の方が哩数多く、臨時運転の貨物の主なるものは木材。※直通=高輪~神奈川?
住宅資材としての木材需要が高かったのだろう↓↓ |
|
|
■貨物取扱所の設備 ↑↑
値上げ申請の際に、神奈川県、東京府は値上げを認可するならと施設の改善要求を行った
神奈川県がまとめた調査では
(1) 神奈川停留所は拡張の余地無いが、軌道敷をプラットホームに一部変更すれば広がる。
貨物用の上屋※を拡張する必要あり。※仮置き用、仕訳用の屋根付き建物(広義)
(2)新子安はプラットホームの大きさは、まぁ良いが上屋の必要あり。拡張の余地は充分あり
※現在の渦巻き道路のあたりになろう
(3)総持寺はまぁ良いが、上屋の必要あり
(4)川崎はプラットホーム無く不完全。上屋の建造を要す※川崎貨物連絡線に道路用新設を記載
(5)大師、穴守、海岸、大森は上屋を有しプラットフォームの大きさは適当と認められる
(6)蒲田は上屋なし
(7)品川は現在の設備狭小にして交通上支障有りだが、近く京浜国道改修に関連して品川停留所の設備、位置を変更するので存妻に適当尾な貨物取扱施設を必要と認める
※荷主団体が県に要望していたのではなさそうだし、確かに雨天は大変だったろう。
でも値上げにハイそうですかは通常無い。何かイチャモン?を考えて改善要求に
・貨物取扱量
最も多いのは品川(Ⅰ)と神奈川で発送が多く、川崎は着荷多い
この当時、横浜港の荷揚げ品を扱っていたのだろうか??
統計が判ればどのくらい運んでいたか判明しそうだが、店主の生存時間?から逆算で解明困難 |
|
貨物ホームについて
信号図からの切抜が中心ですがイメージとして |
品 川(Ⅱ) |
|
↑ピンボケなので、改軌前の市電乗入時は↓としておきます
※いろいろありすぎて混乱中。線路配置は合致してるので |
|
↑上の信号図に対応している
↓↓1435mmに改軌の申請図には貨物側線が無い。 |
|
改軌直前の図では引き込み線が無く、品川Ⅱ(北品川)への貨物発着は
S5.12月の小口、特種貨物扱い廃止で無くなっている。
あるとすれば、貸切扱貨物が改軌前の高輪貨物ホームへ |
海 岸
昭和2年2月9日付 監114 信号回路を変更、海岸は配線も変更した時点の図 |
|
|
↑海岸駅旧配線
当初は貨物ホームから直接本線上りへ入線出来る構造だったが
鉄道省の担当者から運転上、事故る危険がある線路配置と指摘されていた
↓海岸駅新配線 |
|
蒲 田 (S2現在)
↓蒲田駅貨物ホーム
川崎方に設置されていた |
|
|
新子安
駅から子安方に貨物引込線を作った
右のT13.6の図には無かったので、この1年間で敷設されたよう |
総持寺
海岸電軌開業前の図
T14.10.16に開業している |
|
|
↑新子安貨物ホーム |
↑総持寺貨物ホーム |
=====神奈川駅の貨物ホーム変遷====== |
|
↑↓貨物運賃変更申請の際に改善を要求されてこのようにしたのかどうか |
|
|
↑下の貨物運賃認可表↓には京浜神奈川駅の記載があるものの
既にS04.06.11横浜乗入申請図は神奈川驛が廃止前提のスルー新線の図になっている S05.02.05に横浜駅に乗り入れるが、貨物営業をしなかったのでは? |
|
↑最下段に川崎貨物停留所が記載されている
※これ提出する職員も半年後に下記の事態になることを
予想していたのだろうが寂しいことや
※営業はT14.12.02.川崎貨物側線を営業線に特許認可以降行っている |
小口、特殊扱貨物の廃止
|
|
大正10年06月01日から自線内での貨物運輸営業を開始、大正13年度までに無蓋、有蓋の電動貨車を12両も増備して盛業を期したのだが、同時並行して京浜国道(国道1号線)の整備が進み、貨物自動車を生業とする事業者が増加、年々「京浜電鉄の貨物扱い著しく減少」となり、
・昭和5年12月16日 京午運489で「貨物輸送規則改正認可申請」その中で
貸切貨物営業のみに方針転換、「小口扱及特種賃扱を廃止」の届を行った。
・廃止認可は昭和6年3月23日 監364 ※特種=特殊
5年間程度しか、貨物営業の盛業期間は無かった事になる。
※それもアヤシイが・・・。 |
|
|
↑ 230形による(手小)荷物列車
※小口貨物は手荷物、小荷物とは違います
手小荷物は一般旅客駅で継続して扱われました
※階段のある駅は発荷、着荷の運搬が大変だったよう
階段の長い駅は階段脇に滑り台板が寝かせてあった。ご存知の方~~ |
|
|
|
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved |