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大師電気鉄道開業
堤防上の併用軌道から専用軌道の敷設へ(その1)
2023.10.19 Ver2.06 |
大師線専用軌道化工事開始 |
【大師線専用軌道化工事】
※申請は本来1本で行うのだが、新宿~六郷橋間の国道アンダーパス工事の国負担額の絡みから国道部分を切り離して(1)とし、六郷橋~大師までの新設線(2)の2つに分けた申請扱いとされた
※完成時期も異なっているので別申請とした方が良かったのかも知れない
その手法は、六郷橋停留所の先の大師側で
■(1) T14.07.04 国道1号線アンダーパス申請 京丑土212号
■(2) T14.07.04 大師線路変更申請 京丑土211号
の各申請が図面上、約4鎖餘が重複申請になった。
(1)、(2)の申請図面を線路の完成後に(2)の改良工事申請図に統合し、重複する(1)の部分を抹消
し(2)の申請書に残すという完全に役所内部のご都合手法になっている。
その他の(1)、(2)申請内容について
◆(1)15.05.11請書追加は発電所前停留所設置予定を廃止、六郷橋アンダーパス地点に設置予定の無かった六郷橋停留所(Ⅲ)を設置、その他未定1カ所の停留所を追加予定(後の池之端)で申請
◆(2)六郷川~川崎大師間を新設の専用軌道化する申請
■(3)T15.12.21 申請(1)の部分が開通
新線アンダーパス複線から旧線の併用軌道に接続し、大師までダイヤ作成は相当フリーに
◆六郷橋停留所
京浜国道アンダーパス化で廃止予定だった六郷橋(Ⅱ)停留所は掘り割り型の駅として国道の川崎方に移設して六郷橋(Ⅲ)で復活した
その後、六郷橋(Ⅲ)はS20.04.15戦災休止、S24.07.01廃止となった
■(4) S03.12.28 大師工事方法変更線(2)が開通
旧線路の橋梁担力不足のため運行不可だったボギー車の運行が可になった。 |
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=====国道1号アンダーパス申請====== |
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↑ヒッデェ写真だなぁ~。
しか今となっては貴重な情景がおぼろげにし |
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↑↑ 鉄道省の起案書類・申請・進達書類(アンダーパス工事の申請) |
【京浜電鉄】京丑土212号の申請書。大幅に文字が削減され、申請2分割も削除線が。
【神奈川県】から副申 「京浜電鉄から川崎(起点略)~大師終点迄の申請が出されるが、
京浜間第1号国道改修アンダーパスの工事は道路工事と一体なので分離して申請する」とある
裏面に「追って残余の部分は別途申請」と記載されている
【請書】 工事方法書認可申請68文字抹消、最急勾配が30‰の誤りと記載 |
↓同じ内容の内務省起案決裁(軌道法と道路管理の警察) |
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↑工事方法書の一部
四の軌条接続方法が京浜電鉄で多分?この区間のみの独特な方法 |
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↑内務省の照会(神奈川県経由)と請書 |
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県道(和合橋含む)が書き込まれてない図面
図中右側の白文字部分は
大正14年7月4日付 京丑土第211号出願工事の竣工とともに川崎起点38鎖の点にて接続と同時にこの区間は撤廃ス。
※ 撤廃区間:川崎起点(38C)764.6m~(42C22.7L)849.6m=85m
図面上重複する85m分を削除するという珍しい申請とその図面
この図面からは「新宿駅」(単線通票閉塞?)開始の位置が不明である。何処だったのだろう |
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=====アンダーパス完成後旧線路と接続===== |
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↑運転開始届
右図→と下図↓区間を一括して届け |
↑この文書の「監2013」は「京丑土211」申請 六郷橋付近~大師の一部竣工届
六郷橋付近~大師の0哩00鎖の図と0哩00鎖~0哩5鎖間※京丑土211申請はその2に掲載 |
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↑客月18日竣工(T15.12.18)したのでとS02.01.06付で届
上の「監2013」とこの「監2491」が重複部分で重複している?
昭和元年は12.25~12.31までだったのに気づく・・。 |
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↑アンダーパス区間 京丑土212号区間の申請図
上右の図と変更起点が異なる
新線の開通は昭和3年12月28日なので約3年間
川崎方からアンダーパスした線路は旧線路に接続した
これにより全線複線となって単線区間の隘路が消滅
運転取り扱いがある意味、意のままに設定できるようになった |
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↑↓ 国道アンダーパス函渠の図
線路、電路などが更新された現在も健在 |
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↑多摩川の水位上昇対策で排水ポンプ室が設置された |
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↑1/50表記の1/30訂正は上記の請書記載の通り誤謬なので訂正した
国道のトラス橋が記載されており、ど素人の眼には一瞬??となる |
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↑40kgレール、護輪軌条付木枕木時代の和合橋~六郷橋のカーブ(下り線から)
下りカーブはレールと壁の間に角材挟んで線路が張り出さないよう工夫 |
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大師側の 和合橋から撮影した京浜川崎行
戦災の影響で亀裂でも入ったのか煉瓦の積み増しの大きさが異なっている
全壊しでコンクリ壁にする余裕が本線の方に¥が必要だったのか?美意識から? |
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↑↓新線で架橋された和合橋も架け替えの時期になった |
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=====六郷橋駅(初代)~(Ⅲ)の所在地探求====== |
六郷橋駅は初代がループ、車庫があって駅だったことは確実だが地図が無い、
2代目はM35.09.01 六郷橋~川崎間1.9kmが開通して後、地図に残っている
~3代目は停留所となっているが、跡地しかない。 |
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↑六郷橋駅の資材散乱場所(車庫用地?)から撮影されており
初代仮橋は多摩川(六郷川)の上流に架橋されている
右の木橋が京浜電鉄が修繕して国に献納した橋梁と推察 |
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↑地図上に六郷橋停留所Ⅱの位置が示されている |
■初代 六郷橋駅
M32.01.21 大師線開業時に六郷の堤防上の土地に駅と車庫があった。
【国道橋の変遷と京浜電鉄仮橋の位置】
M34.02.01 初代の仮木橋(初代)が六郷川(多摩川)架橋された。
道路橋との位置関係は旧東海道の六郷木造道路橋の僅か上流に位置していた
写真の旧東海道の木造橋はM43年に流失したが、同年に位置を京浜電鉄の仮木橋の上流に変えて木造で建設されたが、またまたT12年に流出した。上図T12.10.10発行地形図の橋に該当。
直ぐに架け替えられたが、T14年に鋼鉄製の橋梁に変わった。
M35.09.01 川崎駅と六郷橋駅を結ぶ線路が開通した。
この時点では蒲田方面と川崎方面の相互直通列車はスイッチバックをしていた
■2代目 六郷橋駅(↑上記停留所の図面)
M39.10.01 複線仮木橋が完成して別線路で川崎~蒲田方面が相互直進運行出来るようになって 初代仮橋梁は廃止された。
線路は川崎から大師へスルーする形に改められ単なる停留所となった
その後、新国道に用地の一部を売却したと思われる |
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↑↓旧単線移設と新設線路の移設計画図
旧東海道~六郷橋間の県道新設工事と
※M39.10.01 複線仮木橋完成で本線は仮木橋(Ⅱ)へ移行 |
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↑アンダーパス工事の旧線移設中の六郷橋停留所予想
※新線は完成が昭和3年になるので、それまでは新線を接続
仮設移転線路だとして六郷橋停留所はどっちにあったのだろう |
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■六郷橋駅(Ⅲ)の場所について
新国道の建設により本当は廃止するはずの堤防上の六郷橋(Ⅱ)は地元要望により発電所前停留所の計画を廃止して国道をアンダーパスする橋梁の川崎寄の擁壁に六郷橋(Ⅲ)を設置した
道路は旧六郷橋駅付近から旧線路そのままに大師方面に県道として和合橋橋梁を架設、大師線を跨いだ
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↑→右側の請け書にあるように発電所前停留所構想は廃止、六郷橋停留所設置となった。
六郷橋停留所(Ⅲ)アンダーパス開通当時は2軸車の運行、新線接続後はボギー車になるも単車運行なのでこんなスペースでOK |
天空にそびえる?コロンビアのマークはビルの無いこの場所のランドマークだった
朝夕のラッシュは超混雑する区間だから、軽量と言われる230形といえども薄っぺらい道床の上の線路を満員の重量をミッシミシ加圧していたのでは。
この区間の軌条の保守は上記の図にあるとおり、箱構造でどこぞ地下鉄を上辺だけ真似たような路盤厚の薄い無砕石の特殊な線路構造だったので、軌間や線路間の寸法維持に苦労している。
写真には絶縁体を挟んだゲージ維持ロッドが密に配置され、線路間維持には遠心力がかかりはじめる緩和曲線部分に角材が適宜挟まれて維持管理されている |
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↑ アンダーパスに進入する川崎大師(小島新田)行
後方は1号国道 旧六郷鉄橋 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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