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その2
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↑クモハ351★ 何となく手作り感のある方向板を差している。
後の編成はパンタが1個なのでモハ601系以降か
※1964年1月に制御電動車全車をクモハと形式改称した。
それまではMcもMも形式はモハであった。
本車は昭和29年7月に初の西武所沢工場製の17m級電動車モハ501形として登場。
昭和31年9月まで501〜520迄20両の制御電動車が誕生したが、サハは20m車で製造されて編成として車体長が揃わなかった。
しかし、3年後の昭和32年に電動車が20m車体全金属車体となった増備車モハ521〜がサハ1521〜とともに製造された。(下へ) |
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↑クモハ351形とクハ1411改造のサハ1411形4連
増備の後続車が20mになって、17m車のままのモハ501〜520は、車体延長工事はせずに新たに20m車501〜20で作り直された。
17mの501〜20は車体のみ残して台車電気品等主要機器を出場2代目の20mの501〜20に供出、
17m初代501〜20は別台車他旧品で電装する手法がとられた。
それに伴い、形式を1958年(S33)7月竣工予定の2代目20m501形に番号を譲るため、同年3月に先だってモハ411形(411〜430)に改番された。
その後1964(S36)年1月に制御電動車の形式変更が行われ、以降、Mcはクモハになった。
制御電動車クモハ411に形式変更の7ヶ月後にクモハ411からクモハ351と形式が変更され、モハ501〜20は当初から4回形式が変遷している。
クモハ351(モハ411時代含む)になって、お相手は専用車ではなくランク落ちのクハ1411形で2連を組むか、同1411形をサハ化改造した車で4連を組んだ。
さて、竣工当時、モハが17m,サハは20mで製造されたのは何故なのか疑問が湧くが、工場として20m電動車の図面とか部品とかが整備されてなかった?
まだ、戦後の混乱期が完全に収まっていない時代である。
工場初の全新製の17m電動車を製作している間に、準備を進めて20m車体及び電装に踏み切ったのでは無かろうか。
この車からの暫く伝統になるワイパーに合わせた前面ガラスである。
↑写真は17mクモハ351と20mサハ1411の未更新4連。クモハの太い雨樋、サハはウインドシル、ヘッダー付 |
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↑支線に進出している時期のスマップ。クモハは更新の際雨樋が細くなって、パンタのランボードが付いた。
自動ブレーキ系のの17m車、お相手の20mクハは空気配管が黄色に塗られて一目で17m系と判った。 |
クハ1411形 |
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↑方向板のデザイン 種別が斜体、行き先が丸ゴチック、トンネルのような絵柄(池) |
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↑クハ1411形 右下に入れ込んだ拡大車番はクハ1450と見える (新)
このクハ1411形は17mクモハ351、20mクモハ451、501等と結構自由に編成を組んでいた。
写真は昭和30〜31にかけて国電の台枠を流用して車体を新造したグループで貫通扉は幅広、乗務員扉と客扉の間の窓が狭い。
だが写真の車番に該当する解説が見あたらず、浅学の店主は??撮影は昭和43年9月のはず。
旧型国電車は 片隅運転台の脇から反対側の乗務員ドアまでH形にポールを渡して区切っていたが、ポールに掴まって前面添乗、最高の気分だった。
床下配管が黄色く塗られているのがクモハ351、クハ1411の特徴 |
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↑ 701系、351系と組んで秩父へ
以下、妄想エキス入りですご注意ください
さて、西武鉄道は「秩父線」用として101系、5000系をデビューさせ、勾配線用という強力な150KWモーター、発電制動用大容量主抵抗器等派手な装備の新車で「山線対策をしっかりしました!」とPRしていたので、ハナタレ小僧は、そうかぁ〜秩父勾配線はこのような車両でなければ対応できないんだ〜。と一人阿呆の様に熱くなっていた。
と、ところがである、開通してみたら写真の様に「351系〜801系」までもがお手々つないで秩父詣で。
実際、501系等の組成車に何度か乗車した店主、狐につままれたような気分であった。モーター出力も120KW程度でMT比1:1、発電制動もない空制オンリーの車両群で無事に運転されていた。 踏面ブレーキ摩擦熱による「輪抜」も無かったようでなにより。
後年、ピクの特集号に眼を通していると「俺たちの考えで」車両作ったから、あとはご自由にお使いください的な車両屋優位の状況ではなかったのだろうか。
「先頭車の台車を中古にしたら気に入っていた」再用品がステータスの独裁経営者の源流があって
(1)「サハを作りすぎたから何とか使ってくれ」→501系の2M4T
(2)「特急車は後年、使い回し出来ないから、作るのなら特急料金で」→なんとか5000系製作
(3)秩父に行かなくても池袋線は101系増殖しまくり。対して新宿線は駅間が短いのにモーター出力130kw。走る場所の高低差は所沢、飯能近辺までほぼ同じ?。新宿線派劣勢?
等々、さらに座談会等には車両屋さんがいないので、鉄道ファン的な話せる車両屋さんがいないか、●が■かったので呼ばなかったのか?←見落としがあったらスイマセン。
なので、作る資金を捻出(説得)して製作する側が(作ってやった)優位に立ちそうで、車両、電力、線路、信号設備等を総合的に考慮して、主に紙と烏口(ペン)で旅客を輸送する計画を立てる「運転屋」とは相容れなかった?
結果、車両不足もあって、計画段階のランカーブで高級車でなくても何とか行けると「運転」側は踏んでいて、秩父に全車種を送り込んでしまえ!になってしまったのかどうか
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↑ 501系(パンタで推測)とクモハ351と組んだ6連急行 クハ1411はグロベン化(池) |
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↑クモハ501(2代目)以下全て501系とします。初代(ク)モハ501形はクモハ351とします。
幼少の頃から池袋線に乗っていたが、一番記憶しているのはこのクモハ501とクモハ351形。
その頃は形式が違うなど全く知らなかった。正直、同じ感じ。(池)
準急で結構乗った。多分、1965年頃の撮影(リコーフレックス6×6 1/100位)
京急とまるで違う世界に西武ファンになってしまった。
前面腰部の鉄板重ね補強前 |
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↑501系★
351系と思ったら車体が長いし何故か小綺麗に車体が揃っている。
でも下回りはほぼ同じ。う〜ん。な形式はこの先も誕生する。
クモハ351は321号からの車体が3m伸びて形式501系となった。
17m車の1〜20号はモハ411形時代を経て351系に
2編成8両の「準急池袋」行き。編成毎の車体下部の配管取付は上手下手の分類か
前面鉄板補強後の撮影。密連の胴受け復心器のバネがへたっているのか?首を振っている |
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↑ 501系8連★
秩父線開通前の準急は「飯能」行きがポピュラーな行き先であった。 |
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↑17m車に比べ配管類が車体内側になっているのが特徴 |
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↑ピンぼけですんません。
↓秩父線正丸トンネル内を吊掛モーターの唸りを轟然と上げて
トンネル内信号所付近まで力行する音はたまらなかった。 |
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↑新旧交代が迫ってきた。 |
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↑この時点は未だ小手指駅が開業していないとき。 |
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↑クモハ501系(2代目) クモハ515F 運転台腰部鉄板補強前。
台車は↑↓昭和36年以降に順次TR25系列の台車を空気バネに改造したもので、何とも小形なゴムベローズであった。
同様の例で相鉄2100系はアルミ車体化する際、枕バネをオイルダンパに変更した
暑いので乗務員ドアが開いている。ガキなもんで、怖くて「そ〜うっと」締めて撮影して、
また開けるなんて云う芸当は出来なかった。運転下通風口もパカッ |
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サハ1501形↑サハ1515↓サハ1506 初代(ク)モハ501のサハなので、
客ドアがプレス製、戸袋窓がHゴム化されてない等の差異がある。 |
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クモハ451系列 |
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↑クモハ476 所沢駅ということで客窓の開き方が・・・。
↓サハ1475 両車ともガーランドベンチレーター |
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↑クモハ475 |
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↑クモハ451の屋根。避雷器が可愛すぎ。
ガーランド形ベンチレーターの製作などに(使えるか!との声頂きました〜。) |
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↑ クモハ411客窓が独立している |
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↑411系の正面。雨樋が洗車機に邪魔にならぬように
車体と一直線に取りつけられているのがわかる |
なお、451系は当初、旧型の引き掛け式テールランプだったが、
速攻、埋め込み形に改造された。 これは高田馬場付近の急カーブを運行中、
先頭車同士のテールランプが接触、破損したため。
同じ20m級のクハ1411のそれがどうして接触しなかったのか?
車体長??手元の形式図を探す気力が無い←イケナイデスね〜。 |
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↑クハの第4軸?目に車速発電機が取りつけられていた。通常は先頭から第2軸が多い様だが |
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↑「糠〜糠、糠〜糠、糠糠の音源」AK3 |
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↑クハ1465 車体は綺麗なので一般乗客はあまり判らないだろうが、
拝島線の直線区間の上下動は釣合梁台車らしい見事な飛びはねっぷりでした。 |
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↑ドッカン!クモハ416ダンプと衝突。乗務員さんは大丈夫だったのだろうか。(石神井区)
乗務員位置の窓は壊れていないが・・・。前面鉄板補強車かどうかは不明 |
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↑何でこんな写真?それはクハ1401と標記が書いてあるから(苦笑) カッビカビ〜 |
クモハ551 |
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↑クモハ551形6連 クモハ551はワイパーが窓上にあった。
テールランプが流線形もやっと埋め込み形になった。
国鉄廃車部品を購入したらしい吊掛式テールランプの在庫が切れたのか
どうか知らんが、451系とともにスマートになった。
※451系埋め込みは上記の別理由による |
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↑クモハ551形6連
ノッペラボウの451系的前面は以降も製造されるが、
この前面は601系で終了。701系顔へとモデチェンされる。
定食屋さんのお決まり(451系列)とお勧めみたいな(501系列〜)西武の前面である。 |
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↑ヘッドライトの形状から551系と思うのですが・・・。
運転台天井から繋がるパンタ上昇ワイヤ。鈎に繋がっている |
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↑屋上パイピング。アレスターケーブルがランボードの下に、
ランボード中央に2本のパイプが。パンタ下降用エアパイプか??何じゃ? |
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クモニ1 |
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単なる不勉強?クモニ2でしょうか |
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↑ 池袋駅にて 1965年頃の撮影(リコーフレックス6×6 ) |
クモニ3 |
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珍 客 |
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↑越後交通ED401 国鉄線内輸送のためパンタシューは外されている
東洋工機・東洋電機製、車体長13m DT12、TDK502S-A/115kw×4
昭和42年10月(新造)600V仕様にて入線(世界の鉄道1969より)
昇圧工事の繋ぎとして西武からE11,E21,E22が貸与された。
西武には多数機関車がいたから面倒見が良くて良かった・・・。
撮影時期は1968年秋(昭和43年)のはず。所沢工場で越後交通の
1500V昇圧工事にやって来たのか終了して返送前なのか?
昭和44年に所沢改造と記載している解説があるので入場しに来たと解釈するのが妥当か。 |
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↑1500V昇圧工事に一緒に来た越後交通モハ5001 |
同上理由でパンタが外されている。富士身延鉄道モハ111号。
昭和3年新潟鉄工製造、国鉄に買収後モハ9306→モハ1206に形式が変化。
1960(S35)東横車輌で両運に改造入線。
床下の「の」字形のフードは雪切対策 なのか珍しい形をしている。
※参照:朝日新聞社刊 世界の鉄道1966 |
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↑小手指駅が1970年11月20日に開業した頃 クモハ311系が停車中
車両の写真は駅開業前に訪問した小手指区の写真も混ざってます。 |
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↓以下スナップを貼っただけです。 |
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↑まだ単線行違があった。元加治〜飯能間。
↓新複線橋梁となる入間川橋梁 |
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↑レッドアローの画と文字で大々的に西武秩父線をPR |
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↑正丸トンネル入り口が見える正丸駅 |
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↑正丸トンネル信号所(サミット)までトンネル内を吊り掛け音を響かせて爆走する |
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↑芦ヶ久保駅↓ |
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↑↓本来の西武秩父線の車両 |
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↑西武秩父線は貨物が終了し、各所の待避線的な線路がポイント連動を外されて線路の活気が無くなっている |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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