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土佐電鉄 鉄道線 その2
2023.11.28 ver1.06
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5004+クハニ3501
土佐電鉄鉄道線クハニ3501+モハ5004
 ↑松を借景に夜須川橋梁を渡るモハ5004+クハ3501
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5007+クハ300形3001
 ↑同上 モハ5007+クハ3001
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5004+クハニ3601
 ↑クハニ3501を先頭に手結駅を出発する安芸行
土佐電鉄鉄道線クハニ3500形3501
 ↑↓手結駅のクハニ3501+5004
後免町方面の低床、高床ホームの階段にご注目といっても・・。
その当時は手摺りが無くても当たり前。
土佐電鉄鉄道線クハニ3501+モハ5004
 ↑クハニ3501
履歴は自社発注のキハニ2000形2000号に遡る。昭和11年4月、日車製で2000号~2002号の3両が竣工した
同時期の江若鉄道鉄道キニ11形と同僚のような関係である
昭和16年に荷室側の前面から700mmせり出した柵囲いを作り、鉄道用木炭ガス発生炉(愛国式木炭ガス発生装置)を搭載して運行した。
鉄道線の電化は昭和23年11月24日に電化工事起工式を行い、御免~手結間が昭和24年4月18日、手結~安芸間が同年7月20日に開通した。
全線電化開業後、動力を外して付随車化された。「サハ2000形2001」と0号から1号に改番された。
Mc-T-Mc組成以外は終端駅での電動車の付け替えが必要なため、昭和27年10月4日付けで、制御車となった。「クハニ2000形2001号」
昭和39年4月23日荷物室廃止,記号番号変更の竣工届。「クハ2000形2001号」
翌年、昭和40年2月25日付けで客室側の流線型運転台の撤去、屋根を延長して貫通路設置、荷物室の再設置、記号番号変更の竣工届「クハニ3500形3501号」の変遷を経ている。
製造時のガソリンカーの面影を遺していた唯一の車両
土佐電鉄軌道線600形616
 ↑手結駅の低床ホーム
軌道線3連ギリギリ?と鉄道線2.5~3両用(3両の確信が無いため)の延長をもったホーム
土佐電鉄軌道線600形616
 ↑タブレット交換を終えて、車内で運転士がタブレットを未だ持った状態。立ち客多数
土佐電鉄鉄道線クニ2100形2101
↑クニ2100形211
佐久鉄道が昭和12年1月増備したキホハニ51→国鉄キハニ40701、全長11m800の小型車
昭和18年10月から当線でキハニ40700形として稼働、昭和19年頃以降、燃料事情悪化のため
機関を搭載したまま、付随車として稼働していた
電化直前の昭和24年3月12日竣工届で付随車化。サハ2100形2101に
昭和25年12月27日に旧荷物室側に運転台を整備、片運制御車クハ2100形2101とした。
昭和41年3月26日竣工届で荷物車に改造、クニ2100形2101号となった
荷物車となってからの車内の鉄?木?の窓ガラス保護柵が物々しい。 
土佐電鉄鉄道線ED1000形1001
 ↑ED1000形1001
富岩鉄道→国鉄買収→昭和25年5月譲受使用認可
主電動機出力60KW×4
自重25tを30tに制御方法を直接式から間接式に変更、昭和35年3月21竣工届 
昭和39年3月31日付で形式称号をED1からED1000形に車番を1001に変更(届) 
土佐電鉄鉄道線ED2000形2001
↑ ED2000形2001
電化後、最初で最後の自社発注車両
中日本重工(現:三菱重工)三原製作所製、昭和26年3月納車、同年9月竣工届
車重:30t、主電動機:60KW×4、制御装置:電磁空気単位式
昭和39年3月31日付で形式称号をED2からED2000形に車番を2001に変更(届)  
 電化を機に鉄道線の車号を4桁、軌道線は3桁に分けた
土佐電鉄鉄道線クハニ3501
 ↑↓国鉄御免駅に隣接した土電御免駅。
写真右側のホーム跡は国鉄と共用していたホーム(トイレ小屋?で行き止まり)。右側は撮影時、国鉄が使用中
既に線路や連絡線、貨車留置線は撤去されている。レンズに雨滴が付着して円形の露出がオカシイ症状が生じ、簡単修正
土佐電鉄鉄道線クハニ3501
 ↑昭和17年頃までキハニ2000形として3両が国鉄高知駅まで乗り入れた。
現在の土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」の運行形態の先陣
土佐電鉄鉄道線モハ5000形
 ↑↓長閑に国鉄後免駅に向かう
遠目に見てもバラスト散布が判る。数年前からの作業だったのか??
土佐電鉄鉄道線モハ5000形
土佐電鉄鉄道線クハ3000形3001
↑クハ3001 
   ↑出自は昭和12年1月に自社発注車キハ2000形2002号(詳細は下部のクハニ3500で)
キハ2002号、2003号は安芸寄の運転台を残した制御車に改造された。
昭和39年9月までにモハ全車とクハ2002、2003号が台車や一部機器を流用して阪神の車体に載せ替えられた
クハ2002→阪神車体1101→クハ3001、クハ2003→同1102→クハ3002
車体更新の際、モハは5000形、クハ2両は3000形に形式が変更された。
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5006、5001
↑モハ5000形 5006、5001 
電化時に車体を京阪100形※に求め、台車は南海のブリル77E2として、電気品は三菱電機から購入、ナニワ工機でダブルルーフの車体に鉄板を巻いた「ニセスチール車」
※入線当時と思われる写真よりナニワ工機でニセスチール化したと推定しています。
に改造、8両を組み立て、昭和24年に1000形として1001~4,1005~8が2次に分けて納車された。
※京阪は木造車両100形等の置き換えを推進していた。
その後、お屋根のシングルルーフ化、両端の乗降扉移設、前面窓2枚化等の改造を行ったが老朽化により、阪神電鉄の小型車淘汰の流れで明かり取り窓の付いた阪神1100形車体がお輿入れ。
昭和39年1月~39年9月)までに(※5008は昭和40年4月)1000形8両全車が台車、電気品を載せ替えて阪神由来の5000形に代替された
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5007
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5007
 ↑↓後免町駅構内
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5007
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5001
 ↑モハ5001
阪神1101形1109の車体。1109・1110は試験的に明かり取り窓を取り入れた最初の車両
店主は昭和8年に登場したこの車体が、4年後の昭和12年阪神国道線71号金魚鉢デザインに
インスパイア影響を与えたのではないか?と
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5006
↑モハ5006号は阪神1121形1146号の車体 
■阪神1111形、1121形は明かり取り窓の高さを拡大、その分、屋根を浅くした量産型車体
■同上1121形は外観上、ガーランド形ベンチレーターを取り付けたくらい
5001→阪神1009、5002→1121、5003→1125、5004→11325005→1137、5006→1146、5007→1148、5008はクハ3003の項 
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5006
 ↑5006号と5007号はアンチクライマーの装備が無い
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5008
↑モハ5008号 
モハ5000形の中で、この車両だけ明かり窓が無いタイプ。
理由は 
旧番はモハ1001号。一時期、休車時期があった。
車体代替え期のS39.6に阪神1107号の車体に代替し、クハ3003号になった
翌年S40.4に輸送力強化のため、電動車化され5008号となった。
クハ3両は阪神1101形1101~8号は明り取り窓が無いタイプ
阪神1101→元クハ2001→(S39.09.22竣工届)クハ3001
阪神1102→元クハ2002→(S39.07.27竣工届)クハ3002
屋根上はランボードとベンチレーターらしきモノがあるが、」実態は未調査
土佐電鉄軌道線600形625-2連
土佐電鉄鉄道線安芸駅後免方面
 ↑波しぶきの飛沫を浴びながら鏡川橋に向かう2連
土佐電鉄軌道線600形626+625
 ↑夕陽をバックに到着する2連
土佐電鉄軌道線600形626+625
土佐電鉄軌道線600形625
 ↑夕陽を浴びながらの後撃ち。安芸駅手前で方向幕は鏡川橋になっていた。今でも何処でもやる方法
土佐電鉄軌道線600形622
↑↓2連で来て、その次の2連の1両を増結。翌日朝の3連運用の組成を終えた600形3連
未だ17時台ではなかったろうか、今では考えられない長閑な運用と思える。
翌朝まで潮風をたっぷり浴びる留置となる。
当然、乗務員数名は宿泊となるのだろうか、それとも段落としで業務に入ったのか? 
土佐電鉄軌道線600形622
 ↑凜々しいのう~
土佐電鉄鉄道線モハ5000形5005
↑ 客窓上部の小窓から漏れる明かりが美しい
実はバルブで撮影したのだが、小僧、強風で車体が微妙に揺れているのに気づかず・・・。
土佐電鉄鉄道線クハ3000形3001 非運転台面
 ↑夕暮れなずむ安芸駅で発車を待つ625+626とクハ3001(非運転台側)
クハ3001は安芸着の単行モハ5000形を待っているテイ。エアホースと自連のナックルが解放されている。
さすがに電纜はヤバイのでしまってある。
駅で教えて貰った宿屋(様)へ行くと、女将様曰く、うちは焼き肉屋なんで、夕食は焼き肉しか無いけど良い?
何も食べてなかった鼻タレガキは、凄い勢いで、焼き肉、ご飯とお替わりしまくって、大満腹、大感激。
きっと大、大赤字にしてしまったと思う。何と寛容な女将さんだったのだろうと、今も記憶に残る大感謝でした。 
土佐電鉄鉄道線 直通600形622他3連
↑↓このために安芸に来たと言っても過言でない、待ちにまった600形3連304列車
貫通路が無いため、運転手1人に車掌2人とかの豪華列車
土佐電鉄鉄道線 直通600形622他3連
 ↑↓後免町で前2両を分割して準急で先行、残る1両が普通で後追い
なお、分割は「到着時に列車の集電装置を下ろして作業を行った」とRMライブラリーに記されている。
毎回、3両全ての集電装置を下ろしているとしたら、相当な手間である
土佐電鉄鉄道線 直通600形622他3連
 ↑600形3連は手結駅の折り返し列車もある。と頂いた整理ダイヤ表で判明。
もう一泊延ばしてでも撮影すべきだったと大反省・・・。
↑頂いた運転整理用ダイヤ表 
 書き込み及び赤字及び消し文字有り
鉄道線は昭和49年3月31日に廃止となったが
店主が訪問したのは、ほぼ10日前であった。そのときは、何処の箇所にも鉄道線
廃止の掲示は全く無かった。
昭和49年2月8日に臨時株主総会で鉄道線の営業廃止と鉄道建設公団に売却を承認。
同月12日に運輸省に廃止申請を申請、同月22日に廃止許可を受けている。
通常、定期券等の関係もあるだろうから、1ヶ月前には公示をするのでは?と
思われるが、廃止日の3月末10日前になっても掲示され無かったのは、一週間前
に掲示されたのか?実に不思議であった。
印象に残ったのは
・ほぼ全区間で道床に目立つ白い砕石が大量に散布、保守がされていたこと
 廃止直前なのに一体、何年前から作業をしていたのだろうか。
・鉄道線の車両や設備は路線買収の話が相当前からあったからか、
 道床を除いて最低限の保守しか行われてないように思えた。
・買収話が無かったとしても、施設や車両をほぼ新品に更新しなければならない
 ほどの老朽化感が強かった。
・鉄道建設公団が江若鉄道鉄道同様新線建設のために路盤を買収するために
 公団予算の関係もあってか、慌てた感じで3月31日廃止に持ち込んだ感が強い
・同じ例は昭和44年10月31日を以て営業を終了した江若鉄道があった。
 同じ狙いの北丹鉄道は買収して貰うまで、その身が持たず希望未遂になった。 
 掲載にあたり、山本淳一様著「土佐電気鉄道(上,下)」RMLIBRARY、
「世界の鉄道’73 」朝日新聞社刊を参照させて頂きました。
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