北 恵 那 鉄 道(その1)
北恵那鉄道モ560形563
山間部を走る北恵那鉄道の春と秋は景色が素晴らしく、特に春は木々が緑銀色に萌え、
その中に薄紫色の山ツツジがあちらこちらに咲いていて、素晴らしい景色でした。車両の形式写真や沿線写真等3ページ建てです。
 車掌さんは乗っていましたが、ドアは全て手動ドア。自分でガラガラと開閉する魅力はたまりません。
 何度か訪問していますので、撮影時期はごちゃで混載です。
 記述にあたり鉄道図書刊行会刊、私鉄車両めぐり特輯、北恵那鉄道、吉川文夫様記、
同第8分冊白井良和様記を参考、一部引用させていただきました。御礼申し上げます。
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北恵那鉄道中津町駅モ560形、デ2号、デキ251号
↑中津町駅から中津川駅と中央西線中津川駅引込線方を見る(中央西線の架線トラスがデ2号とデキ251の間に写っている方向)。
  中津町駅は中央西線に対して1段低い土地にあり、位置は国鉄線とほぼ直角なため、貨車はこの間、カーブしながら急勾配を
  牽引されていた。この区間にもデ2号が頑張っていたのだから、相当重宝されていようだ。
  右側のデキ251が停車している場所が王子製紙系列製紙会社の積み込みホーム 
北恵那鉄道モ560形563号
 ↑車庫方から中津町駅構内方を見る。 
  繁忙期には貨車が多数入線しての置き場所に困るほど賑わっていた。
北恵那鉄道中津町駅構内
 ↑ 中津町駅構内から車庫方を見る 
デ1形 デ2
北恵那鉄道デ1形2号
 ↑貨車の入れ替えはデ2号とデキ251が行っていた。
 店主はデ2号の入れ替えしか見たことが無かった。
   デ2号は取り回しのしやすさか、使用電力量が少ないからなのか?訪問するたびに動いていた。
  台枠がしっかりしているので木造車体でも両手に貨車状態。
     きょうびの軽量ス●ン●ス車は、グッチャリでとても無理な作業かも。
  構内の各線に貨車が一杯の時ははモ560形が入れ替えの応援をしていた。
北恵那鉄道デ1形2号
  ↑電化開業時に4両揃えた単車デ1形。
      ・4号は忌番号として昭和23年4月に5号に改番。
  ・梅鉢鉄工製大正13年生まれ、木造ダブルブルーフ、一段下降窓、、ポール集電、螺旋連結器で登場。
  ・国鉄の自連一斉交換が大正14年7月17日、その後大正15年5月に自連化。
  ・シングルルーフ、2段窓の木造車体を新製、載せ替え(昭和18年5月竣工届)
  ・昭和32年5月に名古屋市交通局1150形のブリル76-E台車を譲り受けてボギー化。
  ・昭和37年12月にZパンタ化されて、デ2号のみが廃線時まで電気機関車代用として活躍。
北恵那鉄道デ1形2号
↑デ2
 10.71mと10mを超す車体に単台車でポール付けて下付知まで走行していたとは。
さぞかし乗り心地は・・・。
 ボギーになったら、なったで、楽しいジョイントの音を刻んでいたのではと、
考えるだけでもわくわくしてしまう。
 中央運転台のため、暑いときは窓を右側に開けて全開に。
ということは、安全上左側の窓しか上昇しない?
 と思いきや右側も開閉可能。
 腰の部分に付いているのはポール時代のレトリバー。テールランプは埋め込み式
 前面腰部のみ鉄板が貼られているので、これはセミマイクロスチール車?
という新ジャンルに分類か(苦笑) 
 さて、デ2の②マークは下付知側進行左側車体に記され、デ8は右側。双方、
車体に②以外の番号標記は無い。何故?
北恵那鉄道デ1形2号
 ↑Zパンタ(Zビューゲル)の紐が新しくなったデ2
  おでこの横棒はポール時代この範囲以外は行かさんぞ!のプロテクトバー。
  紐は長いポールの先端付近に付いていたので、写真のように屋根を這いづることはなかった。
  使用できないレトリバーに紐を巻き付けているのが何とも言えない
デキ251 
北恵那鉄道デキ251
北恵那鉄道デキ251
デ8
北恵那鉄道中津町車庫
  ↑店主の撮影したデ8形の中で唯一パンタを上げて生きている写真。(1973年(S48)11月撮影)
   昭和25年4月にお輿入れ。北恵那鉄道初のポール集電のボギー車。
   元鶴見臨港鉄道のモハ110形120号と言われている。
同僚の車両として静岡鉄道モハ18形20号の姿は→こちら
   集電装置は昭和37年12月にZパンタ化、さらにパンタ化されて3変化。 
   トロリー線は全線ポール時代からの支持具で掴まれたままで、直接吊下方式。
 
北恵那鉄道デ8号
 ↑現役の時の屋根滑り止め塗料ぶちまけの、おでこ拡大。ワイパーは手動式なのが判る。
  剥き出しのキャンバス屋根。油絵用のキャンバスと同じように
鋲できっちり打ち止めされているのがよく判る。
  木枠ガラスは大きさが違っている。う~ん古豪だけに味がありすぎ。
北恵那鉄道デ8号
↑ 乗務員扉は入線後に1,2エンドの片隅運転台側だけに取り付けられた。
  調子が悪いと言われていたデ8号。 朝晩だけの運行にして乗客を減らすダイヤなので、
  大型の8号を廃車して車種統一(561~565)とク81、ク82の7両で 廃線まで持ちこたえようと決断したのかも。 
  一足お先に大型のク551も廃車になっていた。
   下付知駅で解体待ちの頃。左窓の上にある引掛け金具の用途は南蛇井??
  なお、広い構内にはまだ材木置き場(中継)としての機能があった。
北恵那鉄道デ8号
 ↑デ8号の下付知側の前面。昭和39年5月に横引き貫通扉を取付。
  冬はすきま風ビウビウと思われ、嫌われながら動いていたのだろうか?客用ドアは手動式。
   2エンド側の(左)窓上にも同様に引掛け金具が。※デ8の②マークは下付知側進行右側車体に  
    49年6月に検査切れで廃車になった。 
北恵那鉄道デ8号
 ↑屋根回りの参考に・・・。ならないか・・・。
中津町寄りのヘッダーが乗務員扉の部分もカバーしようと山形になっている。
  なお、屋根の上の白い部分は降雪でなく、滑り止め塗料がぶちまけられていた。
(塗られていたとは言い難い状況)で。
ち ょ っ と 北 恵 那
北恵那鉄道社紋 瓦 北恵那鉄道社紋
北恵那鉄道周辺の
中 津 町 車 庫 の 遠 望
北恵那鉄道中津町車庫遠望
 ↑↓店主が最後に訊ねた頃。
雑草生え放題で、最先端の路面電車の植栽かと思うような光景。
職員が歩かなくなれば・・・。
北恵那鉄道中津町車庫
北恵那鉄道デ1形2号
北恵那鉄道 石積み場
 ↑中津町から木曽川の鉄橋までの区間に駅のあとのような場所がある。
  人気は全く無いし何故??
  この場所に駅があったのですかと問うと、昔、石切をしていて積み込みに使っていたとのこと。
北恵那鉄道木曽川橋梁
 ↑木曽川橋梁の正面。立派な鉄橋である。この鉄橋を自前で注文したのか、
箱根登山の出山橋梁のように国鉄の払い下げなのか
北恵那鉄道木曽川橋梁
↑ちょっとローアングルから。橋梁の上梁の厚さに驚きです。絶対にねじれさせないぞ!みたいな無骨さがあります。
 ↑11月になると夜明けが遅くなり、下付知行き一番電車(削減前)は薄暗い中を木曽川橋梁を渡ってゆく。
 ↑付知峡の広告看板。西股(女)谷、東股(男)谷という表記が。
今ならさしずめセクハラ峡谷になってしまいそうな名前。
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