フィルムスキャン&プリントのS、 鈴木写真変電所
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 黒崎の名店だった「唐そば(2代目)渋谷店」   店主北九州でドイツ般若湯
 やまぎんレトロライン
 関門人道トンネル 
 レトロ門司港界隈   唐戸市場・海響館   巌流島渡船競争関門渡船 
  リバーウオーク   旦過市場(商店街) 西鉄北九線跡魚町〜到津 山陽電軌長関線跡の唐戸〜御裳川を歩く。火の山ロープウェイ  
 若戸渡船・若松・戸畑界隈    小倉の豚骨ラーメン  小倉のグルメ・フレンチ
 北九州モノレール  帆柱ケーブル夜景プラス  筑豊電鉄2011.12  南小倉造幣廠引込線跡探訪
思い入れの深い自己満足ページ漫遊北九州 引っ越した時から半世紀経過記念  2016.03訂補
  下到津・到津小学校周辺はどうなっているかなぁ。と思われている方専用です。
  
訪問時期は2011年12月のとある日曜日
  西鉄北九州線(元)下到津電停から下到津県営アパート周辺まで散歩。なお、カラー写真の一部に1991(H3).09の写真も加えました

※(2013.04) 同じ棟だった方からご連絡をいただいて、50余年ぶりにメール交換させていただきました。
  そう言えばそんなことも・・・。なんて当時が思い出されて凄く嬉しかったです。
  ひょっとしたら同級生の方も見てくださる可能性が?と、そんな意味でこの枠を作りました。
■当時のクラスメートの方へ(昭和28.4〜29.3生れの小学生の方が同級となります)
  男がピアノ弾いている。と後ろ指(苦笑)。 苗字は当時「お」がついていました。
 一緒に遊んでくれた 「てかん」さん、「スッポン」さん、「つねこん」さんほか皆様お元気ですか。
 メールは
 2100*filmscan-print-s.comです。コピー&ペーストで*を@に置き換えてご連絡ください。
 よろしくお願いいたします。(2013.04記)

  2016.06.26<北九州っ子様>より嬉しいお便りを頂きました。本ページ中段に。直ぐの方は→こちら

  転勤族の子供だった店主が小、中学校(ともに一部)時代を過ごした場所だけに、なつかしさと思い入れはひとしお。
 でも、もう跡形も・・・。まぁ、そのかけらを探し出すのも楽しみなんで。

 八幡、戸畑の重工業と石炭積み出しの若松、商業の小倉、当時から衰退中の海運の門司。
   裏山から戸畑方面を見ると空が煤煙で真っ黒。
 そんな中で、「クジラ肉」と「すうどん」が主食?の食糧事情でも、小学校高学年になると
   山口ベニー号自転車で下関水族館や門司港、八幡へと遠乗りしました。
 西鉄電車も戸畑線や金田、砂津の国鉄越えの専用線に入ると、胸ワクワクのフルノッチ。戸畑、筑鉄は素晴しいスピードでした。
 これらの思い出が、本当に懐かしい年齢になってしまいました。

  小学校では裸足で運動がお約束、地理は切り抜き積層立体地図で背振山脈などを積み上げ、社会では筑豊の出炭量が全国1位?の時?
  捕鯨も北欧の国々との比較を「鯨」の絵数でダントツのご教育を受けました。技術家庭科では布製の道具袋入り工具一式を学校で購入配布。
  その一部の曲尺やカンナは工作好きなので、今でも手元にあります。トンカチも5年くらい前まで健在でした。(泣)
 
 当時の下到津グルメは、駄菓子屋さんの店頭で「真っ黒なおつゆの鍋に浸かった串おでん」、橋のたもとの「お好み焼」
 神社の階段下でひっそりおじいさんが焼くポン菓子、公園に米持って行くと、焚火焚いてドッカン〜ンと大音響で爆弾あられ。
 ロバが牽いたパン屋さん、夜泣そば「正平ラーメン」、下到津市場通の「素うどん」。
   下到津市場はまだまだ活気があって魚屋さんの店頭には四角いハムの固まりのような鯨肉が並んでいました。
 病気はぐったりしながら魚町の「記念病院」。小2の時に喘息で入院したこともありました。
   隣の井筒屋でバナナをねだっても高くてダメ!でした。海外土産がキスチョコ!井筒屋裏白タク多数待機。
 2016.03現在数えで63歳に。墓標が見え始める年齢になると、回顧、懐古でこうなるんだなぁ。という実感も沸いてきます。

 あと、何度行けるか。できるだけ通ってみたい北九州です。2011.09.24記  (2016.03訂補)
※1960〜66年の記憶で文章構成を記載しています。
記憶違いはご容赦のほどを。というページですので、よろしくお願いいたします。
画像は当時の記憶比較用に掲載しています。他の意図は一切ございません。
 
1979年撮影
 下到津電停から板櫃川の八幡橋、神社、県営アパート方向に進みました。
↑電停の交差点から ↑鳥居を過ぎてから電停方向
↑板櫃川に架かる八幡橋は拡幅されていました。 ↑公園脇に建つ鳥居が見えてきます。
↑当時、存在感のあった、石灯籠です。鳥居の後ろに「紙芝居」の
 おじさんが来て 水飴白くなるまでネリネリ。すぐ舐めると「指導」
 ↑八幡大神とあります。子供の頃は見もしなかった・・・。
↑到津八幡神社への階段 神社のホームページ→こちら ↑神社の森に沿って到津小学校へ坂を登ります。 
↑雪が降ったとき、ミカン箱のそりで遊んだ急坂 ↑坂の途中にY下文房具店がありました。
↑坂を登り切ると境内は駐車場になっていました。 ↑卒業して46年後(2012現在)の小学校
↑校舎は反対側に建て替え。 ↑通用門らしき。こちらが運動場で裸足で運動がお約束。
 
 1991年(平成3年)9月の廃線間近の頃の写真3枚   下到津 ↑砂津方面電停  ↓折尾方面電停。
 1992(H4)10.25にこの区間(砂津〜黒崎駅前)は廃止になりました
 
 
 ↑八幡様通り 1991年(平成3年)9月撮影
 2016.06.26<北九州っ子様>より嬉しいお便りを頂きました。ありがとうございました。

私は(32年〜33年生まれ)の到津小卒業生です。
ずっと北九州に住んでいますが、三年前に小倉に舞い戻りました。

私がとても懐かしかったのは、八幡様下のボン菓子せんべいです。
薄暗いお店で焼いていたおじいさん(当時はそう見えました)
何か不思議な空間でした。
あの空間はもう二度と味わえませんね(笑)

先日、たまたま中学時代の友と四人集まりました(小倉の魚町で)
東京在住の友が帰郷したからですが、その友のご実家は今でも あのポン菓子せんべいの近くです。
ちょうど、あのポン菓子せんべい屋さんの話が出たのですよ。(^−^)

昔を懐かしむ年齢になりました。
到津市場の●田精肉店さんの話を実家の兄にしたところ、
兄がまだ電車が走ってた頃の到津電停の画像(鈴木写真変電所さんのもの)を
ラインで送ってきました。
兄妹で偶然 同じHPを見ていたのもおかしかったです。(^−^)

地元に暮していますが、懐かしくHPのお写真拝見いたしました。
昔の記憶が見え隠れするようで、楽しい時間が過ごせました。

八幡神社ですが・・・
地元の小さな神社と思っていたら、お正月はあの石段に行列ができるほどの盛況さです(笑)
雪降る中でも階段の上から下までぎっしりの参拝客です。(^−^)

今も昔も北九州市民より
銀杏並木が。日産の大衆車が「サニー」と決まった頃です。 ↑高速道路の「下到津ランプ」。電球の東芝工場を思い出す。
 ↑小倉も高層マンションが結構ある。 ↑←左から少し右にカメラを向けて 
↑店主が通学した反対側の坂道 ↑この坂が「いちょう坂」とは知らなんだ。名前あったのかなぁ〜
↑坂を下りた交差点にY野文房具店がありました。学校で手洗い
 習慣のために紙石鹸が必要で良く購入。水が付くとお釈迦(笑)
↑左側の鬱蒼としたお墓の林はきれいさっぱり。蝉取りの思い出
  M谷うどん店は跡形が・・。出前の唐辛子袋が記憶に蘇る
↑県営アパート入口から団地内市場方向。看板が取外れていた ↑良くお遣いに行かされたが、全て閉店しているようだ。
↑市場脇の公園 公園から西南女学院を見る。森(お墓)が綺麗さっぱり
↑住んでいたアパート方向へ。懐かしさでいっぱいだったが。 ↑りゃりゃ〜っ。住んでいたアパートと右の公園が撤去されていた。
 1979年撮影。その昔と遊具や設置位置が変わった。
 こんな場所に結構な人が住んでいたから、夜にチャルメラを吹きながら、正平ラーメンさんが来た。
 暗い電球の中で引き出しから色々と「具材」を出して入れてくれるのだが、見ていて楽しかった。
 階段でこぼさないように、丼をそ〜っと持って行く緊張感は忘れない。
 たまに、この公園に業者が来てお米を持って行くと、圧力釜にお米を入れて薪をバンバンくべて加熱。
 クルクル釜を回して、金具を叩くと、「ドッカーン」あられにしてくれた。子ども達は米持って並んだ。サッカリン問題もこの頃。
 今は騒音問題、使用許可、衛生許可、金銭収受の有無。あ〜せせこましい。
 中学の前後だったか、新日本製鐵君津に大移動が始まり、同じ建物にいた人も君津に引っ越していった。北九州の没落のはじまり。
↑階段を上ってみる。50年以上経過している。 ↑今来た道を振り返り、当時を思い起こす。右に印刷所があった
↑この地に3〜4棟、下に2棟程度並んでいた記憶がある。 ↑一番奥に。小学校時代に電球製造工程を見学した東芝が。
 フィラメント線を1回巻き、さらにそれを巻いているのが特徴と
 明るさだったか、断線だったかの工夫を説明してくれた。
↑戸畑を結ぶ道路も立派に。板櫃中はこの奥。今回タイムアップ!! ↑小倉工業の校舎。生徒さんにちょと勉強教えてもらった記憶も。
↑Y野文具店跡に戻って、いちょう坂の交差点から電停に向かって「下道」を。 ↑掛け替え時に、もらい受けたのでしょうか。お庭風に。
↑振返る。右側の石は右上のもの。白い軽自動車が学校方向へ ↑電停方向に再び。この区間は拡幅されていません。
右上写真横断歩道入神社の森正面。ガードレールが小学校へ
登り道になります。付近でお爺さんが粉煎餅を1枚づつ圧力焼
していました。新聞紙を糊付けした袋でくれた。おやつアッチ!
↑八幡橋の改修日は平成2年3月改修と判明(改修回数は不明)
↑橋から電停方向。橋のたもとの左側にお好み焼きの食堂があった。鍋に串おでんが一杯入っていておやつに食べた。
 同級生のお店がこの通りにあったが、転居したのかなぁ〜。
↑高橋尊師のワイン教室で、ツタの絡まる「999」看板のお店を話題を出したら とても美味しいお店なのよ。と生徒様に花丸の御推薦を頂いた。
 今度いかなくちゃ。(店名はサンキューだそうな)
 日曜日に寄ってみました。到津市場 全店お休みでした。
 ↑入り口  ↑精肉店があった方の出口付近から撮影。おいしいうどん屋さんがあった。
 ↑なかなか味のある看板をショット。  ↑日曜日とあって真っ暗です。コワ〜イ。
電車道を挟んだ反対側は東筑紫学園短大他(とうちく(軒)むらさき)と読んではいけません。(笑)
 小倉西高校の一大文教地区に変貌。びっくり。
↑広大な面積に多数の校舎を構える学校法人東筑紫学園。幼稚園もあります。
↑小倉西高等学校の校舎。耐震補強が部分的だが、これで大丈夫なのか?   
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・ビネガーシンドロームの実態
・自分で大量スキャン実行方法 
当店のスキャン業務等   店主の地方鉄道巡り  店主のお散歩・グルメ
 ※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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