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店主の小学生時代。思い入れの深い自己満足ページ
漫遊北九州 引っ越した時から半世紀経過記念
南小倉からの引き込み線の廃線あとウオーク小倉陸軍造兵廠引込線 |
2020.10.07 小話を追加
謎の引き込み線地図と紫川架橋写真を掲載。山田弾薬庫線も掲載 |
※線路跡の書き込みは地図と照合していません。道路や空き地の推測です→いい加減の範囲越えるかも?
記憶違いはご容赦のほどを。というページですので、よろしくお願いいたします。 |
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↑店主が小学校4年(1963)年の頃、山口ベニー号自転車に乗るようになってから、 行動半径が広がって、 日豊本線を走ってくる9600の「運炭列車」を放課後、このあたりによく見に行った。
ところがぁ~、タンク機関車(C11or12)が引き込み線に入って行くではないか。
急いで引き込み線に平行する小道を少し走って、しばらく待った。
最後まで追いかけなかったのは、どのくらい引き込み線が延びているか判らないので、心理的にきつかったため。
小一時間くらいだったか、線路で遊んでいたらバック運転で貨車を3両くらい牽いて戻ってきた。
興味はあったが、運転時間も判らず、その後見ることが出来なかった。
今回(2011年)、造幣廠は終戦とともに閉鎖だろうし、どうしてその時期に走っていたのか知りたくて
線路沿いにいらしゃったおじ(爺)さんに聞き込みすると、十条製紙に行っていたんだよという。
しかし、十条製紙は川向こうのようだから、鉄橋が無くしては無理とその時は思っていた。
2020.07.01
お爺さんの話の通り紫川に架橋されていることを国土地理院の空中写真から発見しました。下の写真
■お爺さんのもう一つの引き込み線の話
山田弾薬庫に行く線路があって、機関車が脱線して救出する様子を「ホレ、あそこのお爺さんが知っている。」
と家を教わったが、お爺さんの話ではもう線路は跡形もないとのこと。時間も無く、方向違いなので行かなかった。
2020.10.07 山田弾薬庫の小話
先日、北九州出身というお方と、昔ジュリアナ東京があった付近で楽しい昼食を頂きました。
なんと、金田電停から室町あたりをを守備範囲に青年時代を過ごしておられて大盛り上がり。
そしてなんと山田弾薬庫のお話しに・・・。
終戦後からアメリカ軍がこの日本最大級の弾薬庫として管理しており、朝鮮戦争やベトナム戦争時にはトレーラーで弾薬をガンガン飛行場に運搬していたのだとか。鉄道は使用してなかったようだとのお話し。
何でも米軍関係者とお知り合いになって、夜な夜な弾薬庫内のハウスでお遊びしていたとのこと。
私も板櫃中学なんです!!と登場された方もいらっしゃって再度、驚きまくったのでした。うへ~。
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↓お爺さんの話の通り紫川に架橋された写真があった。
↑S25年修正S27年発行のの地図には橋が無いが「製紙工場」として十條製紙の存在が記されている
↑地図右端の「陶器会社」は世界に名だたるメーカーとなった東洋陶器 |
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↓上記の1年後の昭和36年8月の空中写真でもはっきりと架橋されている |
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↓昭和23年8月の空中写真には架橋が無い。
この13年間に架橋された※空中写真基準
工場も13年後には↑大幅に建て変わっている |
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↓山田弾薬庫引込線 |
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造幣廠側から順に撮影しています。途中振り向いて撮影しています |
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後方に金田陸橋がある。 |
南小倉駅方 |
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