筑豊電鉄 その2 
(昭和56年+平成13年~、3車体連接2000系編)
筑豊電鉄2000形2004,西鉄北九州線1000形1013
 ↑楠橋の折り返しポイントで、非冷房の西鉄車1013と筑鉄車2004の並び。屋根上通風機形状相違 
   2000形の非冷房時代は運転窓下の通風口位置が違う。冷房化で撤去。
   福岡勢の排障器は優雅な楕円形のデザイン。北九州車は単なる柵形も特徴。
   西鉄車は1013号八幡駅前行き。後方は新幹線の高架橋。
筑豊電鉄2000形2001A
 ↑居宅が横浜に戻った店主は不勉強にも、筑鉄の3連接車を西鉄北九州線から移籍したと思い込んでいた。
   ある時、写真を見ていてあれ?西鉄3車体連接車の中間車にドアあったっけ?そういえば前面の窓桟が無い。
   このタイプは主電動機出力が7Kw/個も低くて嫌いな、低加速の福岡市内線車両じゃん。等々疑問が。
   ※御幼少期(苦笑)に乗車した福岡市内線の1000系列の加速の悪さに立腹・・・天神岩田屋が花の時代っす。 
筑豊電鉄2000形2001B
 ↑↓先頭車後部ドアと中間車ドアは乗車専用として車掌を1人省いている
幼少期には3人乗っていた記憶があったが
筑豊電鉄2000形2001A
筑鉄2000形3連接車改造対象表
各色は2007年より順次「トレインボー色」化をイメージ。車号(筑鉄呼称色)、◇:パンタ取付側
筑鉄編成 ◇2001A(紫) 2001C(1977 ) 2001B
タネ車 福岡1301A- 北九1043A 福岡1301B
◇2002A(藍) 2002C(1977) 2002B
福岡1302A 北九1043B 福岡1302B
筑鉄編成 ◇2003A(青) 2003C(1977) 2003B
タネ車 福岡1303A 北九1044A 福岡1303B
◇2004A(緑) 2004C(1977) 2004B
福岡1304A 北九1044B 福岡1304B
筑鉄編成 ◇2005A(黄) 2005C(1977) 2005B
タネ車 福岡1205A 福岡1013B 福岡1205B
◇2006A(橙) 2006C(1980) 2006C
北九1062A 北九1063B 北九1062B
筑鉄編成 ◇2007A(赤) 2007C(1980) 2007B
タネ車 北九1064A 北九1063A 北九1064B
※1062~1064は福岡用に製造だが、北九で入籍。
(ピクトリアル517号P165)01~03は1977.6~8月、04、05は同9,10月、06、07は1980.6月製造
(ピクトリアル668号P87)会社の沿革(表) 01は7月5日運行開始、10月15日迄に5編成竣工、 06、07は1980.7月1日運行と記載有り
■おへそライト改造時
 左右分離型の大牟田、宮地岳共通仕様のアルミ鋳物製放熱強化形?ライトケース化にあたり、前面左右窓の下落としが出来なくなり、蝶番を上下2カ所付けて前方へ若干開くように改造された。
■C車改造方法
  タネ車のB車はA車と同じ向きに方転、 運転台と客ドア、窓1枚分を切断し、残りを車体とした。編成の車体分類的にはA+A’+B
■主電動機積替
  55Kw×4個(編成)C車挿入時に施工。
■冷房化
 バス窓のまま1984~1985.06迄に全車竣工。 冷房機AB車8500kcal×2/両、C車10,000kcal×1
■1990~1998の更新工事
 ・アルミサッシ窓化
  上窓下降、下窓上昇のユニット窓化
 ・ステップ段差短縮工事
  昇降口から床面の段差を380mm→290mmに改善 ※どのように改造(善)したのか手元に資料無く不明。
■九州車両
  西鉄北九州線(戸畑線)の大門~日明間にあり、上下列車とも日豊本線の専用跨線橋(に向う、又は過ぎて)直線加速する区間に立地しているため、 じっくり見ることは非常に困難な位置(幼少期記憶上)にある車両工場だった。
 戸畑線に沿って木造の長い建屋があり、建屋と戸畑線の間の留置線?上に連接車両がバラされてゴロゴロしていた。
 戸畑線から引込渡り線があり、入出場はそれで行っていた。修繕が専門のようだったが、九州車両製造と新造車メーカーに名を連れるのは、文献上、1062~1064の福岡向けだけ。福岡行かずにそのまま北九州に来ちゃったこの3編成が最後の新造車のよう。
 ネットで「九州車両」を索引しても見つからない。←探し方が下手なだけか。跡地とおぼしきところは大規模開発かバスの・・・。
筑豊電鉄2000形2001A
連 接 車 比 較 (筑鉄3000形は除外)
全長 定員(人) C車長、ドア有無 A.B各車長(合計) 出力 総数 編成番号
筑鉄3連接 25.30m AB48、C36 6.90mドア有 9.20m(18.40m) 55KW×4※2 7本 2001~2007
北九3連接 23.70m 160 5.30mドア無 9.20m(18.40m) 45KW×4 7本 1045,52~57
北九2連接 18.40m 130 - 9.20m(18.40m) 45KW×4 57本 1001~1064※3
福岡2連接 18.40m 130 - 9.20m(18.40m) 38KW×4※4 30本
  筑鉄3連接定員:02F、06Fの各AB車47人。(ピクトリアル847号P104)
※2 2連接時代は38KW×4 ※4 1305、06の2編成は45KW×4
※3 3連接と連番なので3連接車化編成を除いた車番となる。
   3連接化は当初2連接で就役し、3ヶ月~2年後にC車を新製、組込んだ。
2000形ベタベタ写真
筑豊電鉄2000形2001B
筑豊電鉄2000形2002A
筑豊電鉄2000形2002B
筑豊電鉄2000形2002B
筑豊電鉄2000形2003
↑非冷房2003F ポジで撮影していたら花の色も判ったのだが・・・。
筑豊電鉄2000形2003B
 ↑黒崎駅前行
↓筑豊中間行
筑豊電鉄2000形2003B
筑豊電鉄2000形2004A
 ↑非冷房時代。豪雨で撮影が本気で大変・・・。
筑豊電鉄2000形2004A
筑豊電鉄2000形2004A
筑豊電鉄2000形2004A
筑豊電鉄2000形2004A
筑豊電鉄2000形2004B
 ↑筑豊中間行
筑豊電鉄2000形2004B
筑豊電鉄2000形2004B
 ↑黒崎駅前行
筑豊電鉄2000形2005B
 ↑2005Fはこの写真しかない・・。よほど運が悪いのか。
筑豊電鉄2000形2006B
↑2006と2007は福岡用に前面をニューデザインにして製造されていたが、北九で使用されることになった。
  大きくなった方向幕や前面ガラスの取付位置がワイパーモーターが下部になった関係で上がる等が他車と違う。
筑豊電鉄2000形2006A
 ↑冷房を不使用のようで、上部窓を開けている状況が判る。
バス窓は数十年に亘って上部の換気が出来なかった。
   A車には排障器の上に非常連結棒を吊り下げている。
筑豊電鉄2000形2006A
筑豊電鉄2000形2006A
 ↑曲線にカントがあまり付加されてないのも特徴。付ければもっと・・・。
筑豊電鉄2000形2006A
 ↑橋梁の枕木を交換していたので、交換部分がよくわかる。
筑豊電鉄2000形2006B
筑豊電鉄2000形2007A
 ↑暑いのか左側の側窓を押し開いている。風圧で閉まっちゃうことは無かったのだろうか。
筑豊電鉄2000形2007A
筑豊電鉄2000形2007B
 ↑連接車が快走している証は「幌布パタパタ」。これを見ると元気で走ってるなと感じる
 ※本ページを作成するに当たり、朝日新聞社刊 世界の鉄道1973年版、(株)電気車研究会 鉄道図書刊行会刊 
鉄道ピクトリアルNo292、517、668、847号<特集>西日本鉄道を参考にさせて頂きました※触れる形式は店主が撮影した形式のみです。
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