西鉄北九州線 昭和56年・・・プラス折尾線
魚町~~到津間廃線跡は→こちら |
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↑門司終点。砂津方から来た電車はここで降車させて右側の下り線に転線する。国鉄門司港駅より北(東?)進していた。
138形139号 流線型の顔立ちがワンマン化で見るも無惨なお顔になって。 後方の624は折尾へ出発待ち。 |
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↑順次掲載してゆきます &(_ _ )& |
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↑魚町銀天街入り口付近(パノラマカメラ:以下「パ」略。パはこちらの廃線跡の使用画像再掲です。) |
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↑井筒屋の煉瓦風外壁をバックに勝山橋を渡る。現在は驚くほど幅広の橋となっている。再掲「パ」 |
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↑下到津中央街方面電停 「パ」再掲 |
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↑下到津砂津方電停(再掲)
当時はこの奥にかなり大規模?な県営アパートがあって、活気のある街で電停の利用者は多かった。
店主御幼少時代居住の県営アパートの思ひ出探し→下到津探検(再掲) |
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↑下到津付近を走行中。石畳の軌道敷。 |
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↓北九州線部分を拡大 |
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↑くろがね線戸畑工場側 |
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↑↓中原付近?を快走 500形が福岡からやってきて、ひょとこ形や鈍重形を駆逐してしまった。このお面もすごい改造 |
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↑↓北九線の超主力車として最後まで君臨した(生き抜いた)600形。見飽きる形式だった。 |
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↓中央町→尾倉方面に向かうカーブの水撥ねショーです。↓ |
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↑↓水たまりも「何の園まり、天地真理」って言う時代の・・・。 |
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↑訪問した日は朝から雨足が強く撮影はロクスッポ出来なかった。
勾配の写真を撮ろうとしたが雨がひどく、このジャバジャバで・・・。 |
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↑八幡~皇后崎付近 |
西鉄折尾駅と折尾線 |
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↑黒崎以北(東)が廃止間近を伺わせる看板。
「門司、小倉、戸畑、八幡」の文字が消されている |
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↑↓ホームから見ると住宅地の中の終点のようだが、
手前の橋梁は煉瓦アーチとの合造。風景が変わる |
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↑橋梁の下は筑豊本線の短絡線。折尾駅は1番線が留置用。
ホームは2,3番のみ。出発信号機は3基ある。 |
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↑ホーム全景 |
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↑陣の原付近を駆け下る。 |
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↑↓陣の原 折尾方電停 |
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↓折尾線最後の頃↓ |
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↑冷房搭載の600形が生き残り、単純往復運行になっていた。
冷房積んだ分、足が遅くなった気がした。以下画像のみ |
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↑構内の線路が整理されて、2本になり、出発信号機も1番出発、2番出発に変更された。 |
廃止後の探訪はこちらも→西鉄北九線跡魚町~到津 |
※本ページを作成するに当たり、朝日新聞社刊 世界の鉄道1973年版、(株)電気車研究会 鉄道図書刊行会刊 鉄道ピクトリアル
No292、517、668、847号<特集>西日本鉄道を参考にさせて頂きました。※触れる形式は店主が撮影した形式のみです。 |
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