北 九 州 モ ノ レ ー ル | ||||
北九州モノレールは1985年に開業したが、代わりに小倉(魚町)から北方まで運行していた西鉄北方線が1980年に廃止された。 北方線は小型連接車331形が主力で運行されたが、非力で狭い道を「ウンウン」言って低速で走る状況で、 店主もモノレールに転換のニュースを聞いたときは、あの輸送力と速度では仕方ないなぁ~。 という思いであった。ただ、魚町終点の位置が一等地。銀天街、井筒屋に至便であった。 当初モノレールは平和通りまでしか出来ず、平和通り迄では、駅にも遠く、井筒屋にも遠く、近いのは旦過下車で商店街。 小倉駅に直通するケタ下を走る西鉄バスに乗るのは仕方ない。 小倉駅の乗り入れにはJRの調整も含め約13年もかかり、結局の費用等の大半は親の北九州市が面倒を見ることになった。 その間に反対していた商店街が衰退する事態になっている。なにをもって反対だったのか真の「裏」が知りたいモノ。 小倉駅乗り入れ後はJRとの連絡が非常に「格好良くスムーズ」で、かくあるべき姿になっている。 現在は、西鉄バスがケタ下を「敵」として走行しており、速さか、安さかで争っている。西鉄バスも乗客減で大変なようだ。 |
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↑モノレールは徳力嵐山口で90度東を向く。日田彦山線の志井公園を目指す。(志井) 北方線の代替と良く言われるが、実は開発の遅れた小倉の奥座敷への交通インフラの役目の方が大きかった。 |
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↑企救丘のクロスポイント。あと、平和通駅旦過寄りに1カ所 | ↑ 城野~北方駅間は高速道路の下を走る | |||
↑ポイント通過の図。 | ||||
↑ 小倉は北九州市の商業の都、その小倉駅前の顔として商業施設を欲したのか、某デパート誘致、不況撤退。 その後入居者がいないなら、他が来る前に?仕方なく?地元、 バスターミナルと鉄道利用客は地下食品街等はこちら利用。その方々には便利。 至近の井筒屋本店は旧来の電車道系統からみのバス客のみで、地下食品売場をはじめ客の食い合い。と店主は見立てるが。 同じ経過は黒崎にも見られる。八幡製鉄の君津移転で一気に区勢衰退の八幡区。新立地、黒崎で区の商業地区、再起企て 行政は「ハコモノ」、デパートモノでいつもヤケド。流通関係大企業は大規模「プレバブ+駐車場」で地域のマネー吸上げ。 固定資産税欲しさの考え方は、いつになったら変るのか。変らないに一票!の店主。 |
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↑ 小倉駅~平和通は当初平和通までの建設経過から、この区間は単線並列閉塞開業。 平和通りの旦過寄りにクロスポイントを設置 |
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↑上り線路を見ると1本1本がPCコンクリートのアーチ状設計が判る。波打ちヘボ橋梁ゆえ、乗り心地が悪い。 他区間にもある。下の写真のように鋼製桁の方がスムーズな乗り心地。 |
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↑志井に接近中 道路もモノレールも高架構造で感じることは、地元に製鉄所や重工業、 橋梁の大手工場が立地すると「鋼ケタ」がかなり混じる。 逆にそれらの工場立地が無い「県や市」は、どんな無理しても 「コンクリ主体」で成せばなる的な構造が多いように思える。 店主は立地した企業の雇用や下請け発注などの地域貢献の恩返しに 入札の優先を保つのは、当然の法律としてもらいたい。 安ければ良いというヤカラが、結果として体力のある大企業しか 入札出来ないように仕向けて、地域経済は崩壊中。 |
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