筑豊電鉄-その3
2車体連接2000形、3000形編
(昭和56年+平成~)
西鉄乗入車含みます。 |
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↑西鉄1046号。昭和60年3月に筑鉄1046→2108になった。 |
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↑楠橋で転線待ちの西鉄1037と離合する西鉄1002。製造年昭和28年11月。店主と同じ年生まれ・・・。 |
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↑1002号拡大写真。方向幕枠4角形、台車は川車OK-9平軸受(~1010F)。
外板裾の接合部が相当痛んでいる。1984.09.26廃車 |
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↑西鉄1022 この時期、西鉄車は明るいオレンジを腰に巻いて、重厚感の無い塗色になってしまった。 |
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↑豪雨の中、勾配を登って来た1046。パンタの水煙・・・。 |
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↑筑豊本線の情景はこんな感じで、まったり中。 |
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↑西鉄連接車の最後の塗色パターン 店主的にはエラク気に入らない色だった。
ドアを閉めたかったがそうもいかず・・・。 西鉄籍のまま廃車。 |
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↑端正な顔立ち。北九車は前面ガラス2分割でスピード感がある。
その昔はワイパー位置のあたりまでガラスが大きかった。 |
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↑2エンド側から。店主には可愛いペンギン君のようにも見える。 |
西鉄北九州線から筑鉄移籍車1000形→2100形番号対照表 |
本改番推測表は鉄道ピクトリアル517号、688、847号を参考に作成しました。※は推測です。 |
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竣工グループ |
西鉄竣工 |
筑鉄車両欄
製造昭和年月 |
西鉄廃車 |
筑鉄S62改番 |
3000(竣工年月) |
台車交換 ※3 |
1021 |
1 |
33.03.31 |
33.02 |
62.03.09 |
2101→※2→廃車 2006.03.31迄に2101~9廃車 |
1022 |
33.02 |
62.03.09 |
2102→※2→廃車 |
1031 |
2 |
34.09.21 |
34.08 |
62.03.09 |
2103→※2→廃車 |
1032 |
34.08 |
60.03.25 |
1032→2104→廃車 |
1033 |
3 |
34.12.28 |
34.12 |
60.03.25 |
1033→2105→廃車 |
1034 |
34.12 |
60.03.25 |
1034→2106→廃車 |
1035 |
34.12 |
60.03.25 |
1035→2107→廃車 |
1036 |
※1 |
60.03.25 |
1036→2118 |
3001(S63.05) |
H18.11 |
1046 |
4 |
36.02.15 |
36.01 |
60.03.25 |
1046→2108→廃車 |
1047 |
36.01 |
60.03.25 |
1047→2109→廃車 |
1048 |
36.01 |
60.03.25 |
1048→2110 |
3009(H08.06) |
H18.01 |
1049 |
36.01 |
60.03.25 |
1049→2111 |
3008(H08.06) |
H19.08 |
1050 |
36.01 |
60.03.25 |
1050→2112 |
3007(H07.07) |
H19.08 |
1051 |
5 |
37.05.10 |
37.04 |
60.03.25 |
1051→2113 |
3006(H07.07) |
H18.02 |
1058 |
6 |
39.08.27 |
※1 |
60.03.25 |
1058→2114 |
3005(H01.01) |
H18.09 |
1059 |
60.03.25 |
1059→2115 |
3004(S63.12) |
H19.12 |
1060 |
60.03.25 |
1060→2116 |
3003(S63.12) |
H18.01 |
1061 |
39.08.12 |
60.03.25 |
1061→2117 |
3002(S63.05) |
H18.12 |
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※1 鉄道ピクトリアル517号P165の筑鉄表の中に該当する記載が無い。番号順に改番したのではの一部推測表記あり
特に1036号が何故、最終番号の2118号に改番されたのか?忘れていたと言う問題じゃなさそうだし。 |
※2 S63~H1 客窓、前面左右窓のユニットアルミサッシ化。2102号の前面左右窓は2段式に。 |
※3 3000形の台車交換、M台車KW-177、T台車KW-178に交換
製造時から北九州線は川崎OK9平軸受(10編成)、OK-12(1)、OK-12C/D(4)、OK-12F(5)が1030号迄20編成分納入されていたが、そこで息切れ、川車とほぼ同じ時期に納入開始の近車KD-14/A(18)、KD53/A(1)=(19)、川車息切れ後に帝車TB-21(6)、日立KL-13(3)も近車とともに少数納入、後半、日車NS15/A(16)が多数納入。合計64編成の中でダントツの追い上げになった。
現場ではOKタイプに手間がかかるため、ノンOKになって、廃車順位もOK台車、TB-21が最初に選考候補になって、西鉄北九廃止後は使用車両が全て消滅してしまった。
時は経って平成17年度に入り3000形の台車をOKが先祖のような形態の川車製KW177,178に順次交換されるという因縁が生じた
余談ではあるが、福岡はOK-10(15)、汽車KS-111(5)、KS-117(4)=9、日立KL-13(11)で計35編成が構成されていた。 |
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↑筑鉄移籍で西鉄の車号を覆い隠すよう、都合8個の小ねじで筑鉄プレートを付けた。 |
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↑冷房化されないため、バス窓車体の通風を良くしようと、客窓を上降、下昇タイプのアルミサッシ窓に更新。
2101~2103が選定されて1988年~1989年にかけて施工された。
2102のみ前面サッシは2段式試行。小屋が走ってくるような感じでもある。
非冷房のため、夏場の稼働が限られ、減量ダイヤ傾向からこの3編成のみの施工で終わった。 |
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↑2101F 2101、2103は運転台両側の窓は2002と異なり、へそライトながら、
落とし窓から2000形タイプの押し開き形になった。ナンバープレートはペンキ書きに |
筑豊電鉄3000形 編成番号順全車掲載 |
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↑3001F 2両連接の冷房化が待ったなしとなり、
それなら車体を作るアルナ(外国語調)となったとか。←オヤヂ・・・ |
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↑3002F 軽快電車が流行った名残の大仕掛けパンタを搭載して登場。
3006から角パイプ製シングルアームパンタ搭載になった。 |
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↑3002F 筑豊直方駅に進入。通常は階段に近い2番線を使用する。 |
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↑3003F丘陵地が点在しているため、筑鉄の線形は楠橋付近までアップダウンが多い。
切り通しの上に新興住宅地が。 |
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↑3004F 当時の写真ナシで、2011年のデジカメから流用。
ポイントがTOP画像比較して重量レールに更換されている。 |
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↑3005F この付近は穴生駅前踏切を除去のため高架化したので
高低差が変わっている。高架と聞こえは良いが乗降は大変に。 |
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↑3006F 昔写真が無いので2011訪問時の写真をペタシ。 |
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↑筑豊中間駅の直方方。ラッシュ時はこの亘り線を使用して折り返しが
1本おきに入る。→詳細は筑鉄2011訪問記の連写動画で |
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↑3007F OK形が嫌われ、流用台車は製造日も若い日車NS-15・15Aに
統合された3000形だが、全廃された川重台車が姿を変えて再び復活。
H18年から19年にかけて9両全部が台車をKW177(M)、KW178(T)に交換された。 |
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↑3007F (余話()筑鉄の難読駅で「永犬丸」は「えいのまる」と読む。
「ながいぬまる」浅学でとしか読めないんですが。 |
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↑3007F 感田駅付近。読み方教室:なんと読むのでしょう?
「かんだ」ではありません。「がんだ」です。 |
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↑3008F 筑豊中間(「ちゅうかん」ではありません。
「なかま」です。・・苦笑)にある保守基地を横目?で走る |
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↑3008F 順次低床が揃う頃には3000形も車体は30年超、
新品に変換していない部品は60年に近づく。 |
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↑3009F 直流モータもブラシ等のこの先の供給が不安定視。
15~20年程度で更新要求の電子部品化車両となっていきそう
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↑3008F 低床式が登場とアナウンスされているが、それなら玉電や都電のようにホームアップで
床面レベルを揃えてしまう方がとも思うが、一晩で全ての乗降場のかさ上げは困難だし、
ホーム代替地は確保困難で低床式継続のようだ。
※その後2014.11に筑鉄に5000形が導入されました |
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↑3009F 朝陽を浴びて通勤客を運ぶ。 |
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↑3009F
街の活気よもう一度と拡幅された道路に西鉄北九州線のレールが復活し、超低床車が導入されることを・・・。 |
※本ページを作成するに当たり、朝日新聞社刊 世界の鉄道1973年版、
(株)電気車研究会 鉄道図書刊行会刊 鉄道ピクトリアルNo292、517、847号<特集>西日本鉄道、
688号<特集路面電車~LRT>を参考にさせて頂きました。※触れる形式は店主が撮影した形式のみです。 |
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