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大分交通別大線(バスから激写)
2023.07.07 Ver1.21
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大分交通別大線が走っている場所までに行くまでが長かった・・・。
1971(S46年)の撮影前段を語らせてくだせぇ~。 |
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下関に着くと同時に自分の客車(10号車くらい)からすっ飛び出して先頭客車までホームを激走
※他校や女子車両もあって車両間の通行は不可になっている
ナハネフナンチャラの貫通路部分でカメラを構える。
こんなことをするバカはこの列車には居なかった。掛員さんあきれ顔
現在、前期~後期高齢者の皆さん(失礼!)は夜行列車の機関車付替時にどうされていましたか(苦笑)
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※店主は2023年10月で70歳になります。成人病百貨店大繁盛で活動力大低下中
さらに、コロナウイルス大蔓延中、夏期はマダニが草むらで、川っぺり等でツツガムシがどうこう、
熊が出没、イノシシ、猿など攻撃など気軽に田舎等に撮影に行くには困難が増えました。
法律を改正するまで野獣は増え続けるんでしょうね・・。人が襲われて死者が出てるのに・・・。アホウな国やわ |
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↑解結して引き上げ線に去る
わざわざ起きてこの瞬間を素手と勘露出で写真を撮るガキ店主。よく起きた! |
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↑ 関門トンネルを抜けるためEF30が両側に誘導掛を携えて接近
ホーム側の掛員、ホームに接触しそうで命がけやなぁ~。 |
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↑連結作業中 |
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↑↓門司側でEF30とED76が交代 引き上げるEF3012
この光景は小学生時代に小倉に居たので下関からC62,
岡山だったっけ?からアオダイショウ色EF58等の牽引の時もあって
「さくら」「あさかぜ」「富士」などにご乗車のお坊ちゃまは
よく見た懐かしい光景でもあった |
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↑ED76接近 機番がぶれて読めない-笑 |
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↑↓早朝の日豊本線をのどかに快走
横浜から軽量客車のナハネ、ナハネフを12両以上(数えていない)連結した
南九州方面修学旅行専用客車列車が日豊本線を快走
車両によっては窓から男子が顔を出している。
窓が開いていないのは、きっと女子の車両だろう |
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↑ピヨォェ~~ッ!!
汽笛を鳴らしながらカタンコトン、考えられない長旅である・・・。
どうやって飯を食ったのか等の記憶はぶっ飛んでいる
架線柱の標識にご注目 交流電化で感電しないように・・・。らしいが |
さて、本題、修学旅行のバスから撮影した大分交通 別大線 |
別府で観光バスにお乗り換え~。
お目当ての別大線が接近してきました。
当時の観光バスは窓が開く。席を替わって貰って激写体制に |
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↑104号の屋根付近に日豊線の線路
総括制御が出来ない100形
撮影場所は交換所のようだ |
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↑↓100形のうち8両が総括制御可能に改造され、形式が150形に 総括制御改造車151,153,158,159,161,163,164,166
↓ヘッドライト両脇に電纜接続口、バンパーにエア管がぶら下がっている
方向幕は使用されていない。
↓びっしりとリベットが2列並ぶ裾回り。連結器は首からタレ下がり大丈夫??
このバスは161号にぶち抜かれました |
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↑別大線の車両は全車タブレット交換時に窓破損防止柵を取り付けている
↑右側の線路は日豊線 |
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↑200形
ヘッドライト下の両脇に電纜接続口を取付
エアホース接続は排障器両サイドにコックを取り付けた |
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↑大分交通別大線500形
300形2両の増備として500形を増備。客ドア位置が両端から車掌扉側が中央に寄った。
500形は501,502がS31に、503~507の5両はS34に各々東洋工機で製作された。
連結運転可能、写真の502は上部のヘッドライトは撤去されいる。全車ダミー
300形か500形か幼少期に乗車した時、運転台のブレーキハンドルに自転車のブレーキ
の把手みたいなモノが付属して、それを握るとタイフォンが鳴ったのには驚いた |
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行き先板に「大分ーかんたん」とある。
「かんたん」の平仮名表示は、簡単に読めない漢字「菡萏」だからだろう
500形の一部は「ワンマン」に改造されて方向幕と車番上に表示が。 右側の朽ちかけた店舗など、 あらゆる光景が店主の青春時代の昭和だぁ~。
架線のメッセンジャーからつり下がった「のりば」、背後の大きな鳥居。
この写真の場所は何処だぁ??と大鳥居の写真で探すと
「はぁ~さんの鉄道・旅・よしなし草」様の大分交通のページに
「かんたん」停留所として写真が掲載されていました。 |
【痛ましい事故の記憶】
小倉に居た時、新聞紙の一面に大きく落石で押しつぶされた電車が掲載されていました。1961年(昭和36年)10月26日 垂直に切り立った崖を回り込むように走る仏崎付近で、走行中の大分交通205号の車体ど真ん中に巨岩・土砂が崩落直撃。
車体中央が「くの字」になって潰れ、乗客31人が死亡した大事故になった事は未だに忘れられません。
当時8歳になった店主ですが、デカデカ新聞の一面トップに掲載された写真はものすごいショックでした。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
※日時は、大分交通Wikiを援用
【廃線へ】
別府~大分間は山が海にせり出しており、波打ち際から、道路と大分交通、国鉄がひしめくように走っていた。国鉄はヤバイ場所を手短にトンネルで抜けたが、それでも風光明媚な場所をかなり走っている。
大分交通は道路を拡張したい大分県の格好の用地として見なされ続け、乗客減もあって遂に1972年(昭和47年)4月4日廃線に追い込まれた。
大分県に残る市内電車というか「インターアーバン」的な電車が無くなったことが残念でならない。 |
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小学校3年の撮影 |
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↑↓宿の玄関先を別大線が走っていました。嬉しさのあまり、
力込めてシャッターを押したんですね。
今になれば何と惜しいチャンスを・・・。 |
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↑301号のOKタイプKL-21B台車を撮影する大胆さ |
国土地理院の地形図による亀川~別府間から大分までの路線 |
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↑地図の左側は範囲が切れている。この「別府東部」はほぼ海の図 |
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↑↓別府~大分間は山が海に迫っているので海岸線を
道路→大分交通別大線→国鉄とひしめき合って通っている |
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↑大分の地図にはヒゲ線が描かれている |
参考文献:朝日新聞社 世界の鉄道’73 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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