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(各ページ再掲)
■田尾和俊著「恐るべきさぬきうどん」ブームが絶頂の頃、改装前の昔のうどん店50数軒を制覇すべく通い尽くしながら、撮影した琴電形式車号順画像帳です。各車種を適当に貼るとあまりにいい加減になるなので、撮影した形式車号の順番に貼ることにしました。
撮影したコマをほぼ全て同じ車号もベタベタ貼ってます。撮影時期は例によってゴチャ掲載です。
コメント入れてたら何時アップできるか判らんので、現在は貼り付けを優先してコメントは後刻、適宜入れるつもりです(苦笑) |
1071F
琴電1071(京急605)+琴電1072(京急608) |
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↑京急600形と言えば東急車輌・東洋電機、川崎車両・三菱電機のコンビで(例外あり621+622としとかんと怒られそうやな)各コンビが独特の味を出して快走していたが、2000系の登場によって順次廃車になるところ、都合6両が琴電入りした。
本欄の600形は当初デハ700(浦賀寄)+デハ750(品川寄)として登場した東急・東洋製車両(601~620)のことを指します。
※琴電にはOK台車を履いたデハ621デハ730とデハ780(川車・三菱)は入線していません
琴電は不思議な会社で雨に濡れずに行き先板を替えせたいという理由で貫通扉を付けていた。
確かに幌枠は付けないし、幌貫通させて運転したことも無い。
だったら、行き先板の大きさのHゴム窓にして内側で交換すれば安上がりだし、雪で見えなくなることもほぼないし、と店主は思うが。
方向幕の時代になって非貫通でも良いじゃんと思えば、送出元が全車貫通路付きになったり・・・。世の中も変わる。 |
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↑↓京急久里浜工場(京急車両工業)による改造工事仕上がり状況。
サボ差しや側面方向幕(行先・種別)も撤去され、戸閉、MMカット灯の2種のみとなって、すっきり!!ステップが若干出た。
琴電行きの選択肢は台車のお手入れが楽な東急・東洋コンビが選定された。
この時点でブレーキ関係はHSC-Dから琴電標準電磁弁付きSME(SME-D)に変更されている。ATSや琴電に必要な装備は
ここで取付、準備された。 |
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↑連結器はNCBⅡになっている。仏生山での整備を考えてのことカモ知れない。 |
1073F
琴電1073(京急613)+琴電1074(京急616) |
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↑↓4連は組む相手を見るのが楽しい。上は1031F、下は1076F新塗色車である。 |
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↑この写真でお気づきかも知れないが、1070形が入線した以降、前パンタの車両が絶滅に向かって行く。
店主的には、前パンタに戻して、以降の車も全て菱枠の前パンにわざわざ改造して欲しい・・・。チョンマゲパンタははゴメンや(笑)
さて、阪神車が続々入ると思いきや、非冷房のガラ車体となると、下回り新調などもあって、機器や部品の手当が必要で、間近に迫る冷房化に車体が持つのか(だから阪神は捨てた)冷房化の運輸省?や社会要請にと頭を抱えていたのではないだろうか。
230形の縁もあって、冷房も積んでいるし、もうすぐ扉の改造が不要な良い出物がありまっせ。と琴電に情報が届いたのか?
阪神車は1981年まで計6両で打ち止め。跡継ぎは1984年入線の京急600形1070形になった。 |
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↑京急600形非冷房貫通化編成。やっぱ前パンや! この時期が一番旬やったと思う店主。 |
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↑京急で廃車、移籍した時点で久里浜工場(京急車両)で前面を貫通式に改造したが、設計図を書いた人は800形の窪みを再現しようと思ったのか、「窪ませろ」と言われたのか?元の前面カーブ違うのでアンチクライマー作り直しじゃいらねえや!と思ったのか、そんなことに興味がある店主。貫通使用しないのに渡り板を付けて畳めば方向板が見えなくなる琴電仕様。渡り板は清掃踏み台と連結器に作業服こするなよ!カバーかも。 |
1075F
琴電1075(京急609)+琴電1076(京急612) |
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↑カメラを構えたところのバックがお墓・・・。
移動する時間も無いし・・・。と、ここで1020形の2ショットして退散。 |
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↑高松築港に向かう。入線当初、抜きんでた性能で直線区間のばく進?がファンの話題となったが、早々にスピードリミッターが付けられ、以降の導入車は標準装備となってしまったのが残念。リミッター無しの時代に乗ってみたかった。 |
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↑後方の山はGoogleMapで調べると、どうも「堂山」らしいが、うどん中村の近辺にもこのような「飯野山」がある。
後日、仏生山駅近くで育った大変な肩書きの方に出会い、どうして、こういう山が出来たの?と質すると、
昔、平野で浸食されて残っているのがこの山々とのこと。讃岐人は知とるで~の由。
「ビュート」なる学名が付いている。あの山頂からこの線路の地盤まで浸食で削られた??ウヘェ~びっくり。じゃぁ香川県はものすごい高い所にあった??
調べると、約500万~1,000万年前の火山活動で噴出堆積した岩石は周囲の岩よりも耐浸食性が高く、その地表部が雨水の削りだしに耐え残った部分が屋島に代表されるような地形や飯野山、堂山等円錐形の山。との記載が多い。削り出された土砂は瀬戸内海を埋めていったのか?瀬戸内海は陥没したのか?
軽く調べたらなんと、2万年前の氷河期に遡って海水が上昇し、瀬戸内海が誕生した・・・。とある。ネットは便利やなぁ~。
だったら、地球温暖化なんか対策しても太陽の黒点活動・・・以下略。自然の力と生成過程への興味は尽きない |
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