小田急1969~
カラーは中学時代のハーフ判~です。ながら、ながらで見てくださいまし~ぃ。(ver1.04)
 本ページ作成にあたり鉄道ピクトリアル286,405,546の小田急特集各号、アーカイブセレクションNo.30名古屋鉄道を参照させて頂きました。
執筆された各位に御礼申し上げます。
2400系HE車
 ↑豪徳寺 2400同士の離合・・それがどうした!
ハーフサイズの4800dpiスキャン元ファイルを2種類切出
※ハナタレ撮影でぶれている
1080pix横位置で切り抜き
600pixで横位置切り抜き
双方シャープマスク掛ける等いじっていますが
ぱっと見では600pixぐらいが、見られます。
店主しかし、画像荒くなっても拡大しまくる。見た目の迫力というか大きさというか。まぁ・・・。
小田急2400系HE2466
2466 ↑↓客窓全開の時代
クハの車体を短く、モハを長くして経済車HE(ハイエコノミカル)車と銘打って登場。
ホーム長の制限※や登山乗り入れ等の事情からMは19.3m、Tcは15.9mとし、全長を70.4mに抑えた。
S35~S38迄にM,Tが58両ずつ総数116両製造された。※ホーム延伸の近郊区間S36完了
HEの略称や次に増備されたオール20m車の2600系はNHE(NewHE、特急記号はSE、SSE、NSE・・・。等一般受けするイメージ戦略、マニア向け(社内語)はHB、ABF、ABFM等制御器区別を公表?して記号で車両認識させる商売上手。
 店主知る限り2600系以降ニックネーム?が付いてないようである。ラグジュアリー等の女性が喜ぶ世界の単語はあるようだが
 例えばであるが、ブロック工法:BK車とか薄手ステンJR東もどき車:USJM車とか、酸っぱい顔のメトロ入特急:SPMTEXの等の名称が無くて寂しい。
 さて、手動加速車はHLハンド(H)ロード(L)、マスコン手動で動かし架線電圧が直接印加しされているマスコン内の接触スイッチを動作させる(通常市電等は直接600Vかそれ以上は降圧が一般的?)。
この電流が床下の制御器のカム(接触器)で進段させ、直列や並列などの組み合わせをさせるのに対し、HBはマスコン内の回路を低圧(おおよそ100V以下)のバッテリー(B)で接続を組替て制御器のカムモーターや接触器を動かすのでHB。
 運転士,検車掛はマスコンに高圧が来ないので安全性は上がる。HL車は蓄電池が高価で性能が良くなかった時代の申し子?
 2400系の一代前のオールM2200形は制御器の略称でABFM列と言われ、略称の単語はA:自動進段、B:バッテリー(低圧回路)、F:弱メ界磁(WF)、M:多段(マルチ)、D:発電制動(ダイナモ)。
 これを手動マスコン化するとハンド(H)ロード(L):負荷になるとHBFM系となるのかなぁ。
 ノッチは市電のように
円周に多数の刻みのある、マスコンをグルグル多段回し、さらに低速,中速,高速の切替付きとなるのか。趣味的には楽しそうだ~。(大苦笑) 
H01.1.19.予備1本残して営業終了
小田急2400系HE2452
 連結器はNCB-Ⅱ
小田急2400系HE2554
 ↑密連、電連未装着
小田急2400系HE2452
 ↑流してみたいお年頃・・・。 ちなみにフィルム傷だらけです。
 ↑新松田行。電連未装着  ↓電連付き
小田急2400系HE2464
 ↑まぁ、まともな2400の写真はこれ1コマと認識しています $(_ _)$
 ↑シルエット的な写真も撮ってみましたがご覧の通り・・・
1600系
小田急1600系1602
 ↑1602
 S2..4に開業した後、S4年に江ノ島線開業時に増備して以来、久々の増備車としてS17.川崎車両で車体長15800mmの新車としてデハが10両製作された。
 搭載した主制御器はABFと略称され、93kwの主電動機とともに2100系までの34両の電動車に搭載され
た。
 この多数の共通電動機や制御器が後年デハ4000形まで使い回しで影響を及ぼす。台車はKS33L。
 S26に1607~1610が履いていた台車を4両分をデハ1700に廻し、本来、製造時に1700が履くはずだったタネ車のDT12を1607~10が履いた。特急車としてDT12では乗り後心地が厳しいと判断したのだろうか。翌26~27年にFS108A台車を新製してKS33Lは1600形に戻された余った4両分のDT12は?(調査続行中としておきます)
 クハはS16.12に1650形3両が製造された。国鉄の雑形木造ボギー車両の台枠を使用し、出入り口以外の中央部が台枠ムキダシ状態のよくある木造車鋼体化スタイル。車体長は16150mm。
 当初は長距離用電動車の俗称「甲車」※に連結使用され、終戦後に1600形のクハとして使用された。
 ※区間用の車両は「乙車」

 S23.6大東急から分離、新生小田急の顔としてS23.10.16から【復興整備車】板を前面に掲げ、中扉締め切り座席仮置き、シートカバー等車内を整備して新宿~小田原間ノンストップ週末特急にも運用された。
 S24.7.9~特急ダイヤ改正でS24.08.06~1600はその任1900形Mc-Mcに渡した。以下1900の項。
デハ1600廃車表  クハ1650形諸表  
 番号 廃車   番号 タネ車 完成時型式番号   車体新製会社  竣工  廃車
デハ1601  S44.06.04  クハ1651  国鉄ホハユ3158  クハ601  帝国車両工業 S16 S44.06.04 
デハ1602  S44.10.16   クハ1652 国鉄ホハニ4152  クハ602 S44.10.16 
デハ1603  クハ1653 国鉄ホハニ4204  クハ603 東京工業所 S16.8
デハ1604  S45.10.22  クハ1654  国鉄サハ19022   ー  日車東京 S27  S45.10.22
デハ1605  S44.06.04  クハ1655  国鉄サハ19023  S44.06.04
デハ1606  S45.10.22  クハ1656 日車東京   S28  S45.10.22 
デハ1607  S44.08.02  クハ1657 S44.08.02
デハ1608  S44.08.02  クハ1658 S51.11.30
デハ1609  S44.08.02  クハ1659 東急車輌    S44.08.02
デハ1610  S45.09.05  クハ1660    S45.09.05
  クハ1651~1653  車体更新 東急車両  S33  
クハ1601  クハ1602  車体更新時、編成番号交換
新宿向きデハ、クハは奇数車に変更
 
   
クハ1602  クハ1601 
クハ1651  クハ1652 
クハ1652  クハ1651 
 ※クハ601~603の完成時型式番号は大東急以前に決定したため存在
  同様ににデハ1600もデハ1000形で計画されていた。大東急時代に1600形と付番され、そのまま引き継がれた。
 クハ1652のタネ車は諸説あるが、ここでは吉川文夫氏の実調から発表されているホハニ4152とした。
小田急1600系1602
 ↑ポイント渡りで単車のようで後ろがイキナリ小さく写る
小田急1600系1658
 ↑クハの前面雨樋はカーブが付いていた。デハは直線、何故なのか?
1900系
小田急1900系1964
クハ1964の雨樋は直線↓のデハはカーブしている。
登場当時のクハ1601~1603は雨樋の直線が確認されているが、その後の車体更新で後番号のクハと同様になった。デハ1600系の雨樋と逆?
小田急1900系
 1900系
【デハ1900系】
 S24に3扉ロングシートでMc1900形6両,T1950形3両計9両が竣工。基本3連×3
 S28追加でデハ1900形3両、クハ1950形3両が竣工し、1900系の2連が誕生
 S31.Mc-Tc編成又は×2編成4両で運転するため、サハ1950形3両をTc化クハ1950形に、組成上クハが3両不足するので同時に新製。
【デハ1910系】
 S24.2扉セミクロスシート車として1910番台を名乗ってMc-T-Mc×2本計6両が製作された。
 同年8.6.から
2扉セミクロスシート1910形1911~14=4両(川車)、T1960形1961~1962=2両(東急)が特急運用に入る。
 ※特急運用時日東紅茶が当時ハイカラな紅茶軽サービスを開始した。
 ※森永はS38より参入。サハに喫茶供給ブース設置、炭火コンロをでお湯を沸かしてサーブしていた。
  S30の2300形からコンロは電化。 
 S25.8.1小田原~箱根湯本間が3線軌条化されて湯本乗り入れ開始 2000形は急行運用に
 S25. 1910形は2000系に車番変更。
 特急運用2年→2700形就役で暫時、急行に使用→一般車格下→S31にMc-Tc化。
 デハ2000をデハ1900形、サハ2050形をクハ1950形に編入

 赤石様記事としてS28.8.25.一般車色(マルーン)になった2001Fが1901-2051-1902、2001-1951-2002編成の現車確認記載がある。
1900形概略表 
赤字は改番、桃字は赤字後再改番、青字新製車 
S24製造編成  (S31~)Mc-Tc化    
編成 (M17m+t20m+M17m) サハ新製時の旧番 扉数 製(改)造年 改番後編成  4両固定化 
デハ1901-サハ1951-デハ1902 モハ50044 3 S24 デハ1901-クハ1951 デハ1901-サハ1951-サハ1952-デハ1902 
↑サハをクハ化改造       デハ 1902-クハ1952  
デハ1903-サハ1952-デハ1904 モハ60120 3 S24 デハ1903-クハ1953 デハ1903-サハ1953-サハ1954-デハ1904 
 ↑サハをクハ化改造       デハ1904-クハ1954  
デハ1905-サハ1953-デハ1906 サハ36003 3 S24 デハ1905-クハ1955 デハ1905-サハ1955-サハ1956-デハ1906 
 ↑サハをクハ化改造       デハ1906-クハ1956                 
  ↓特急用の番号に独立。編成ごと改番(S25)   
デハ1911-サハ1961-デハ1912 モハ50058 2 S24
デハ2001-サハ-2051-デハ2002
↓格下げ改番
デハ1907-サハ1958-デハ1908
  S31.2  デハ1907-クハ1957 
S29トイレ喫茶ブース撤去、S31.サハ1958をクハ化改造 3  S29  デハ1908-クハ1958
デハ1913-サハ1962-デハ1914 クハ65180 2 S24
デハ2003-サハ-2052-デハ2004
↓格下げ改番
デハ1909-サハ1959-デハ1910
3 S31.2  デハ1909-クハ1959
S29トイレ喫茶ブース撤去、S31.サハ1959をクハ化改造
3  S29  デハ 1910-クハ1960
Mc-Tc化改番後の再度 クハ改番(S31)      
クハ1956 クハ1961    
クハ1957 クハ1962       
クハ1958 クハ1963       
 二代目1911~13  S31.クハ改番      
 デハ1911-クハ1956  クハ1961   S28   デハ1911-クハ1961
 デハ1912-クハ1957  クハ1962   S28   デハ1912-クハ1962
 デハ1913-クハ1958  クハ1963   S28   デハ1913-クハ1963
デハ1914-クハ1964 帝都電鉄モハ208→大東急デハ1458→小田急1501→S35車体載替→デハ1914
 〃  クハ502→大東急デハ1502→小田急1551→S35車体載替→クハ1914 
小田急1900系1910
最後まで横碍子式のパンタは変更が無かった。白厚化粧としか言いようのない。まぁTOUBUも似たようなセンスのなさ・・・。海老名駅↓→後方に相鉄 
1700系
小田急1700系1702
 ↑1700系
 S26.2に特急用として東急車輌で戦災国電の台枠を再用する。戦災車はTR23台車を履いていたが、乗り心地上の観点からかデハ1600の台車KS33Lをデハ4両分借用し、1600に戦災車の台車と電動機を履かせた。サハはTR23,MD-5を履いた。
 Mc(全長16,800mm)-T(同20,000mm)-Mcの3連で登場。台車については翌27~8年にかけてFS108Aを新製、デハ1600に戻した
 2本目※は26.7に日車で同様に製作された。※2本目を2次車と解説する例が多いが、5ヶ月違いで全体の仕様が同じであれば「次車」では無く「本目」で良いのではと思う店主。当文では3編成目を2次車としました。
 客用扉はモハの連結面寄りに1箇所、サハには無く、編成で2箇所しか客用扉の無い特殊な車体形状で編成を組んだ。
 最終の3本目(2次車)は日車で台枠もろとも新造し、前面2枚窓、張上屋根でS27.8に登場した。
 製造した編成は3本で、型式番号は1900形が先に就役してるので2000系※になると思いきや、下位の空き形式の1700が当てられた。

 ※日車は前面2枚窓を様々にデザインして小田急をはじめとする京王、阪神、長電、地鉄、遠鉄、福井、西鉄、定山渓やそこそこ最近では新京成等、前面2枚窓スタイルを納めまくった。

1700系の就役により1910系(2000系)はたった2年で一般車の1900系化された。
が、しかし、、1700系もSE車がS32に登場したため、全車たった5~6年活躍でS32~33に3扉化され、サハを3両新造して各編成に組込まれ、Mc-T-T-Mcの4両固定化されて一般車に格下げされた。
その際、サハは20m車体を16800m車体に切り詰められたうえ、S32.10東急車輌で製造された相棒のサハと編成ごとの改番を行った
新製サハは1752,1754,1756で、改番されたサハは1752→1753、1753→1755となった。
3扉化工事は扉、窓配置からすると骨組みから変える工事と思われ、サハの車体切り詰めも含め、側面はほぼ新製になったのでは無いか。
S37に2次車1705Fの更新工事が行われ、McはS37に前面を1,2次車と同様に変更された。
続いてS39に1701F,1703Fの更新が行われ全車窓枠のアルミサッシュ化、室内のデコラ板化が施工された。
塗色変更はS37.10以降にマルーンからオレンジとブルーの2色に、S44以降にアイボリーにブルーの帯に変更された。
S49形式消滅
特急車激変期    
デハ1600  S23.10.16   →あっという間に一般車格下
デハ1910    S24.8 ↓ 判りづらいのか改番
デハ2000  デハ1910を改番  S25.10  一般車改造格下   
デハ1700    S26.2   同上  
デハ2300  SEそろう迄の中継で製作  S30  特急仕業から「準特急」仕業を経て2200へ改造編入 
デハ3000     SE車 S32 
1800系
小田急1800系1852
 ↑ロクサン割り当て車の車体更新 
戦後の地方私鉄車両疲弊救済策として、製造予定のロクサン形を入線可能な会社に割り当て、ほぼ同数の中、小型車を地方私鉄に有償譲渡方式で転出させる施策がとられた。大東急時代の小田原線にも割当が来た。
 第1回目の配属は4編成8両。運行するためにムリムリ小田原線の車両、施設限界等を大きくして、今日の小田急の基盤を作った立役者であるが、中型車の取扱や性能等に慣れている?現場から嫌われて、S21に2回目の配属の6編成12両は大東急に調整依頼して?神中(相鉄)に全車放出。S22.05.31に(大)東急の経営委託解除に伴って6両を相模鉄道に移籍し、6両が小田急に戻った。
 一方、名鉄にも20両割り当てられたロクサンは、本線が全線の1500V化された後も建築限界が支障して豊橋~栄生間の限定運用しか出来ず、持て余してS23.12に小田急3704~3706のMc-Tcの3編成を売却、残りを東武に売却した。
 小田急は当初嫌ったものの、再度、大型車両の増備で輸送混乱を少しでも軽減したいことで購入になったのか?
 割り当て車は合計10編成になったが、S32~33に東急車輌で全車新造車体に載せ替えられた。
 戦災事故復旧車も2両1編成4扉のMc1820形1821(モハ42005)、3扉のTc1660形1661(モハ60050)→1870形1871→1861がいたが、同様の施工を受け、クハ1861も3扉→4扉となって1800系の最終車番に組み込まれた。
 なお、デハ1821は入線当時、前面を非貫通としてS28入線し、クハ1661はS25にほぼ原型で入線している。
 車体更新の形状は、よそ者に対する風の厳しさ?でアンパン切り妻の構造に滲み出た。と言いたいが、初っ端から台枠、車体の骨組みから違うので仕方が無いさ~ぁ(沖縄調)
 
廃車はS54.07.30付1801~6のMc6両、1851~56のTc6両,S55.07.30付同1805,10と1855,606各2両、S56.07.30付で残りの06,09,11各3両廃車で形式消滅した。
1800系 ※大東急小田原線時代はS17.05.01~S23.06.01この間の改番は大東急と記載 
デハ 新造時(仮)番号   入籍日(使用開始日) 
1801  63050  S21.09.18(21.08.27入場)
1802  63052 S21.10.11(※クハ1852と同様?)
1803  63064 S21.12.26(21.11.12) 
1804  63098 S21.12.26(21.11.19) 
1805 63088 S21.12.26(21.11.19)  
1806  63250→大東急デハ1809→ S22.03.14(22.02.20)  
1807  63256→大東急デハ1810→  S22.03.27(22.02.20)
1808  63129→名鉄モ3704(S22)→大東急デハ1811 S23.12 
1809  63131→名鉄モ3705(S22)→大東急デハ1812 S23.12 
1810 63133→名鉄モ3706(S22)→大東急デハ1813 S23.12
1811 42005※ -吹田工場S19年4扉化、S20明石被災
戦災復興車入線時非貫通化
→デハ1821(車体更新S33)→
S28 ※S27入線説、車番003,004説あり。
クハ 新造時(仮)番号   入籍日(使用開始日) 
1851 - S21.09.18 (21.07.30入場)
1852  - S21.10.11(21.07.30入場)
1853  63317 S21.12.26(21.10.31) 
1854  63319 S21.12.26(21.10.31)  
1855   63305 S21.12.26(21.11.13)  
1856  63191→大東急クハ1859→  S22.03.14(22.03.02) 
1857  63193→大東急クハ1860→  S22.03.27(22.02.02) 
1858  63272→名鉄ク2706(S22)→大東急クハ1861→  S23.12  
1859  63274→名鉄ク2705(S22)→大東急クハ1862→  S23.12  
1860  63276→名鉄ク2706(S22)→大東急クハ1863→  S23.12  
1861  60050 →S24.1下十条事故廃車→
クハ1661→1871(S27.1870形に変更)→※
S25 ※S33車体更新4扉化後1861に
小田急1800系1858
 ↑↓見えにくいが枕バネがオイルダンパ化され、ブレーキシリンダが台車に装荷され応答性を高めている。
4000系
小田急4000系4057
  デハ1200~1600形の主電動機MB146-CFR8/93.9kwを流用、他の機器も新品同様にして再装荷、車体は2600系もどきを貰う。
  4001F:S50.03.17竣工
  クルクル台車P-Ⅲ706(706M,706T)は高速域で空制のみの制動システムを強化すべく勘案して、ディスクブレーキによる制動力増を期待して採用された。
  電制使用車に比較すると減速度がやや低いため、運転台パネルの塗色変えて注意喚起を行った。
  主電動機は93kwなので、最高時速は95km/hくらいとの記述がある。
  最終総勢は92両に達した。S63.9.16最終廃車
  何故かしゃべる(C-ⅢPO)←この台車?ルーカス社製か??
  「ご主人様・・・。1800系と連結してカーブで徐行したら、あらら、2度も脱線しちゃいました。」
 <事故概要>  
  1800系と併結をはじめて4年後、4/19,5/2と脱線が連続発生。
 検証すると浮上り脱線だった。
 航空機事故も良く連続的に発生していたが、なにか天の采配的な物でもあるかと疑りたくなる。
 以下S43.05.02朝日新聞等を参照
 発端は
 (その1)S48.4.19に半径500mのカーブで徐行運転中に1800系と4000系の併結運転列車が脱線。本社運転本部の事故調査班が約十人体制で原因究明中だった。
 (その2) S48.5.2.午前8時頃、百合ヶ丘~柿生間の百合ヶ丘3号踏切付近(カーブ)で8両編成※の6両目の前方台車が外側に脱線。約80m走行した。
 この編成は片瀬江ノ島と小田原双方から1800系と4000系編成※が相模大野で併結。※(4000-3連+1800-2連=5連)+4000-3連=8連。新宿寄りがどの編成だか不明。
 当日は生田駅で人身事故があってダイヤは乱れていて時速25キロのノロノロ運転が続いていた。
 脱線後、直ぐに車掌が発煙筒と赤フライ旗を振って後方防護し、後続の準急が急停車して約20メートル手前で停止した。
 ※ダイヤ乱れ回復を急ぎ、閉塞ごとに1列車が停車したら輸送しきれないので、赤信号の内方を規定速度以下で運転していたと思われる。
 2事故とも編成が1800+4000だったため、事態を重く見た運輸省鉄道監督局は指示を出した。
 <運輸省の指示>
 S48.5.3運輸省鉄道監督局は4000系と1800系のような異なった車種の編成を取りやめて同系の編成に切り替えるよう指示。
 この指示の結果、1800形との併結運転は取りやめになり、運行上、必要数な11編成の組み替え作業を行った。
 4000形で5連を組む際に増結を受けるMc1のジャンパ改造、連結器を交換し、増結する側のM2小田原寄り貫通路を鉄板で塞いで5連を組んだ。

 その後S49~50にクハ4050形の台車をPⅢ706Tから軸ばね式片押しブレーキのTS814に交換した。余剰になった22両分のPⅢ706TはPⅢ706Mに改造されて、全26両の新造中間車のうち22両のM車新造に流用された。残り4両分の台車はTS814と同じ方式のTS818を新製した。
 S60~からPⅢ706台車の車両を軸ばね式外側ディスクブレーキのTS826台車を新製して交換。主電動機も2400形の120Kwを流用し、台車と主電動機を交換した。
 この工事の結果、PⅢ形式は小田急から形式消滅した。
 
 脱線の原因は双方の台車のバネ特性が違うとか、P-Ⅲの3次元的な動きが悪い、等諸説言われている。
 店主的には1800系と併結運行後4年経過して発生しているので、徐行中に車体の傾斜でクハ4050形の空気バネ台車が輪重抜けに近い状態なったところに、デハ1800のコイルバネがどっしりと車体沈下(ラッシュ時)自重42t、128kw×4の主電動機がノッチを入れた(入れてた)とすると、制御器の進段状況によっては4000形の主電動機の出力が違う状態で、進段タイミングまたは出力差、台車特性が重なり、デハ1800がよっこらしょとクハ4050を押して台車が浮き上がりかと推測。
 ※ノッチを入れていたのかどうかは不明ですが、こうなるときは、こうかなの素人推測です。
 編成禁止前の1800+4000の5連。 
小田急4000系+1800系併結5両
小田急4000系
余談だが
間違って、ブルーの帯を細いレッド帯に変えたらKEIOU-TEITOに(苦笑)。そういえばTOUBUもホワイトクリーム(セージとも)一色になったり。SEIBUは黄色一色。関東の山方面に走る私鉄は時期は違えど塗り替えブームに沸いた感がある。 
  
小田急4000系屋根上機器
 4106の屋根 室内から見ると扇風機だろうか屋根がイボ状になっている。
 ↓何形だか不明
2200形
小田急2200形2211
小田急2200形2227
小田急2200形2238
2600系NHE車
小田急2600系
 ↑↓ニュー小田急色もやってくるが、未だ少なかった。
小田急2600系2652
小田急2600系2856
小田急2600系2862
小田急2600系2656
小田急2600系2669
 ↑流してみたいお年頃・・・。
小田急百合ヶ丘旧線
5000系 
小田急5000系
↑やっと冷房車の写真・・・。
 5000系の加速度は2600系2.8km/secの空転対策を考慮して2.4km/secを標準とし、
雨天時空転検知で1.5km/secに自動切替するという、当時の某赤い電車CO.が卒倒するようなシステムであった。
回生制動の失効対策として急行用5000系は発電制動オンリーとして熱対策として強制通風抵抗器を導入した。
※都市部以外では運用車両が減少し、変電所は通常運転の1500Vより電圧より下がらないように送電するので、回生制動を行えば前後の架線電圧が1650Vとか各社の設定上限以上に電圧が上昇して回生制動が失効、発電制動または空制に切替わり、切り替え時の空走時分、回生停止ショックで「後ずさり」、と空制立上りの急加圧で「前のめり」と乗客に前後動を2回体感させる乗り心地と制動距離延伸の問題があった。
小田急5000系5054
小田急5000系5057
 ↑前面窓のガラス取り付け方法変更により1段凹みが無くなった。
小田急5000系5002
5062冷房機の脇のベンチレーターが壮観+非冷房2400 
小田急5000系
9000系 
小田急9000系9304
 ↑↓9000系は斬新なデザインであったが、客室内から運転台を覗くには貫通扉の1箇所しかなく
見にくいことこの上なく、さらにブレーキング時に電制から回生に切り替わるショックが大きく、
営団トンネル運転やとの信号機器の関係で「窓を潰した」のだろうが、店主「一番嫌いな車両」であった。
小田急9000系9304
SE、SSE
小田急3000系SEはつはな号
3000系SE車デビュー後のS33~34頃の新宿駅「はつはな」号。愛称板の下に前照灯2連のスタイル
後ろの映画看板入れたくて、こんなん大きくしました。SE
これ1枚 $(_ _)$
小田急3000系はこね号
 ↑↓「はこね号」運用は2編成併合10両運転
小田急3000系重連はこね号
小田急3000系さがみ号
小田急3000系さがみ号
小田急3000系さがみ号
小田急3000系さがみ号
小田急3000系あさぎり号
小田急3000系あさぎり号
御殿場駅発車。やけに身を乗り出している車掌さん
小田急3000系あさぎり号
小田急3000系あさぎり号
 ↑小田急御殿場乗入用キハ5102↓キハ5002の両車が晩年、関東鉄道で活躍していた。↓のキクハ3は元クハ1652。台車は違うので車体のみ。
NSE
小田急3100系あしがら号
小田急3100系はこね号
小田急3100系はこね号
小田急3100系はこね号
小田急3100系はこね号
小田急3100系はこね号
小田急3100系はこね号
銀行の看板が懐かしくて 
荷 電
小田急デニ1300形1303
デニ1300は開業時から活躍、S35まで2扉両開き化、S44に両運転台のまま荷電化された↓↑ 後年2灯化される。
小田急デニ1000形1001
デニ1001 
 開業時S2.11日本車輌でモニ1、モユニ1形をS35.1500形初代の車体に載せ替えられてS46.デニ1000に、後年2灯化されてS51.10.30に1002が、S59.07.15年に1001が廃車となって形式消滅した。 
以下はソフトのお遊びです。
小田急2400系2420
 ↑まぁ、夕方風
 ↑夕陽の残光を浴びて風・・。
 ↑ちょっと怪談風かなぁ~
 玉電廃止  相模鉄道    箱根登山鉄道1970~ 大平台貸切露天宿泊と
箱根ゴールデンコース
 
***** 
 3系統横浜駅前~山元町 横浜市電の終焉と花電車  横浜市交通局トロリーバス  川崎市電廃止 神奈川臨海鉄道50周年  
じぇじぇじぇ~!
フィルムの危機紹介
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・店主的フィルムスキャナ比較
ビネガーシンドローム(フィルムが丸くなる)
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