京急 昭和(その1)

(昭和40年代~)
本線で活躍中の230形、更新前の400形、400形470、500形(系)、600非冷房、非貫通1000形等全盛期の遙か昔の店主が中学2年生の頃からの6×6リコーフレックス、オリンパスPEN-Fで撮影した写真貼りまくり帳ブレブレ等も含め、細く優しい眼で「当時」をご覧願います。
2019.03.10本ページをその1~3に分割しました。
※記憶違いの記載の内容はご容赦くださいまし。判明したら訂正いたします・・。

全ページコツコツ出土写真を新規挿入、組替、補訂を継続中です。(苦笑)
 
2018.01「録音:(昔)真の京急!
 地上激走の三菱モーター「快速特急」他を順次アップしております。「ながら」でお楽しみ下さい

★海岸電気軌道 京急昭和(1~3)
230形
京急昭和(その2)
400形~600形
 
京急昭和(その3)
1000形
鮫洲地上駅時代 南北馬場統合工事
逗子線3線区間     【六郷橋梁】~京浜川崎 雪の日の思い出      
400/500形(鳥見塚)  600形(鳥見塚) 700形 1000形(鳥見塚)  杉田曲線改良・2扉500形    
 本線230形最後の活躍時代 
表示速度改善のためページ分割しました。
京浜急行230形デハ243、245
東京地下鉄道との直通運転を考えて東京地下鉄道1000形と車両規格を揃えた230形。
湘南電鉄デ1形1930年(S5)4月1日に25両、遅れて京浜電鉄デ71形が1932年(S7)7月に12両が製造された。
その後1936(S11)11月、京浜電鉄デ83形12両、1940(S15)年7月湘南電鉄がデ26形6両製作。
この55両が230形の中心となる。デ71形は1,372mmゲージで登場、その後改軌工事を行った。
この後、大東急時代、戦災等の変遷で廃車、改造名義車も編入されて2扉、3扉の複雑な生い立ちを含むグループになった。
しかし、
野望が実現していたら、京急の車両規格はダブルスタンダードになったのか、そのままの規格では最大12連が
私鉄最長の16連とかのとんでもない車両編成になった?とか、都心乗り入れ車両は台車にサードシューが付いて接触防止
のために折りたたみ式で電流OFF構造になったか?パンタや屋根の高さ、冷房はどうやった。あるいは線路改良をやりまく
って16m車8連と20m4連を併結して品川切り離しになったのか。とか、わっくわくする妄想が(苦笑) 
 
 ↑↓大晦日~元旦(3が日)の品川~川先大師(東門前)直通急行。
   基本、3M1Tで運用される大師線は「終夜運転・大線直通急行」
  運転の際はオールM編成も交えて大晦日~元旦(3が日)にかけて普段乗車
  できない本線連絡線を走行した。
  本線直通急行は六郷鉄橋架け替えで連絡線が使用停止になったこと、
  大型車の入線で東門前駅の折り返し有効長不足もあって廃止された。
  「新」連絡線は新町検車区への入出庫以外使わないので、直通運転
   再開する際はを急勾配線での停止操作が必要な場合と、ホームが
   行き止まりという形の中で「慣れた乗務員」も必要で現在は乗客を
   乗せたままの運行は、イベント以外の入線は無い。  
京急230形238
  ↑230形の本線内の普通仕業はオールM4連が充てられた。↑↓客ドアが横桟入りの車両もあった。
京急230形244
 ↑↓本線の活躍の最後は「荷電」。これも400形にバトンタッチしたものの荷電自体が廃止された。
京急230形239
京急昭和 その1-2へ本線230形の活躍
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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