★海岸電気軌道 京急昭和(1~3)
230形
京急昭和(その2)
400形~600形
 
京急昭和(その3)
1000形
鮫洲地上駅時代 南北馬場統合工事
逗子線3線区間     【六郷橋梁】~京浜川崎 雪の日の思い出      
400/500形(鳥見塚)  600形(鳥見塚) 700形 1000形(鳥見塚)  杉田曲線改良・2扉500形    

京急3線区間探訪
海岸電気軌道(前段)と京急大師線、鶴見臨港鉄道

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京急の3線区間は川崎大師駅付近から小島新田駅付近と総合車両引き込み線から神武寺駅構内までの2箇所が存在していましたが、現在は逗子線に残るのみとなっています。
 最初に大師線の3線区間を取り上げますが、路線の関係上、海岸電気軌道まで遡ることにします。
 本ページを作成するにあたり国土地理院の空中写真、地図の承認を得たほか、文献として引用を含んで京急80年史、日野原保様の社内関係文集、サトウマコト様著 鶴見線物語、鉄道ピクトリアルNO.205 吉川文夫様著 鶴見臨港鉄道・軌道線ほか、京浜電気鉄道沿革誌(昭和24年5月30日発行)の本文の引用、参考及び掲載写真の転載させて頂きました。
 ほか、店主調査によるもの、個別に示す資料等を引用・参照させて頂きました。
本文中の(株)は省略
 ※本ページ掲載の地図、空中写真について
 この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図、2万分1迅速図、2万分1正式図、1万分1地形図及び2万分1都市近郊図を複製したものである。(承認番号 平30情複、第1339号) 

■なお、国土地理院の地図は単独或いは貼合わせてトリミングをし、地図活字以外の文字、色線、矢印、着色は店主記載・加工です。
 また、空中写真については国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスに掲載されているものを店主が加工したものです。
■本ページのすべての図、写真は複写・転載禁止です。
海岸電気軌道 その1  2019.04.08 Ver2.1(認-1)
 明治32年1月21日に京浜急行の前身、大師電気鉄道は六郷橋~大師間を開業、その後、京浜電気鉄道に社名を変更、業容を発展させながら新たな鉄道路線の開設を目論んでいた。

■生見尾支線の申請 
 
※以下( )書き、句読点は店主が適宜挿入、仮名遣いも適宜変更部分があります。
 当時の鉄道事業への事業家の関心は現在のIT産業と同じくらい関心の高い「金の卵」と考えられており、主要地間での「路線の特許願」は乱立気味であり、先願特許防御の意味も込めて、開業して11年後の
明治43年に海浜遊覧を目的として生見尾支線の特許を申請した。
 ※特許申請区間は鶴見(総持寺前)~(海浜地区経由)~大森町までの区間
 明治時代は寺社参詣が盛んで、大きい寺社への交通権益を確保しようとする事業は、鉄軌道に参入する者と寺社にとっては輸送人員、参拝者が大幅に増加する双方にとってWin Winの大きな収益源となった。
 京浜電気鉄道の経営実績の重みを付け 「支線」として、総持寺から川崎大師の双寺を海浜遊覧しながらの輸送を目的に申請したが、申請路線は人家まばらな状況で、計画認可されにくい状況であり、これを打開するため追申書も提出したが、既設線への悪影響を理由に
大正5年5月に却下されてしまう。

■ 「生見尾(うみお)」とは?
 明治22.04.01町村制が施行されて「生麦村」「鶴見村」「東寺尾村」が合併して各村から1文字を合わせて「生見尾」村となった。
 大正10年4月1日町制施行で「鶴見町」となり、4年後の大正14年4月1日に潮田町を編入し、昭和2年4月1に膨張著しい横浜市に編入され、同年10月1日、一部地域の区域再編が行われ「鶴見区」として現在に至っている。
※参考:鶴見町Wiki
 

■別会社による路線の申請 
 生見尾支線の申請が却下されたので、別会社を画策して
海岸電気軌道を興す方向で、生見尾支線申請時の路線を多摩川を渡らない大師に変更した。
 海岸電気軌道の発起人は大正5年12月25日に「海岸電気軌道敷設願」を申請し、大正8.12.3「生見尾~大師間」の約8.7kmの
特許を取得した。
 
 
取得後に京浜電気鉄道は大正9年5月15日付けで定款第1章第2条3項4を新設「本会社は本会社経営上必要と認める他会社の株式を所有することを得」として、特許取得後の大正9.11.25に子会社として海岸電気軌道(株)を設立した。 
 ※発起人は全て京浜電気鉄道役員、株式は役員名義で所有、払い込み株金を上回る貸与金も与えた。
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■海岸電気軌道発起人による路線特許申請書の内容
 
(以下申請関係文書は文体アレンジ、要約、双方の文書番号は基本省略)
 神奈川県橘樹郡町田、田島大師河原村から海岸方面は近年多数の諸工場新設、(住宅)戸数も増加、将来も開発余地があり、(現状)では天然の勝景に富んで
陸には鉱泉が湧き、海水清澄な遊覧地として京浜間の一名勝として一般の認めるところなので、神奈川県橘樹郡生見尾村大字鶴見字豊岡を起点として、同郡田島村を経由して同郡大師河原村大字大師河原字中瀬耕地に至る5哩4分(約8.7km)を敷設して一般運輸業を営んで沿岸交通に寄与したく、軌道の敷設特許を頂きたく関係書類を以て奉願(申請)します。とある

■総理大臣宛ての神奈川県知事の副申
 (海岸電気軌道)軌道敷設特許申請の儀に付副申の文書名で(上記の経由路線)は諸工場を建設する者が続出、既に建設終了した工場(旭硝子、浅野造船所、日本鋼管、浅野セメント等列記)付随して漸次居宅店舗の新築を見るに至り、人口、日を追って増加し、交通往来が頻繁になって京浜間の一大工場地が出現する勢いであり、東海道線川崎停車場より田島海岸(後の浜川崎)に至る貨物支線の敷設工事も進み、長年の懸案だった京浜運河も開削も実現予定、川崎運河の開設も既に許可済みとなって本軌道の敷設はその施設計画と相まって益々その効用が顕著となる。
 しかし、極めて短距離なので独立経営が心配されるが、
発起人は皆、京浜電気鉄道の重役または相談役であり、本社も京浜電気鉄道と異身同体の関係を有し、自然将来合併の時機到来を確信するが、この点に深く懸念する。(県としては会社の内容を把握していると言う意味ではないか?)
 発起人の身元調査を省略したが、社会的信用、経験により事業が確実であり、計画上、格別の不備を認めないどころか時期を得た施設と考えるのでここに副申します。
大正6年8月31日 神奈川県知事 有吉忠一  
         内閣総理大臣 伯爵 寺内正毅 殿
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と言う文書が神奈川県知事から副申文書(本件の場合は認可の応援状として)が発せられている。

<関連事項>
■京浜電鉄の不動産事業として川崎運河事業へ進出→当ページ下方に掲載

■関東大震災
 大正12年9月1日発生
 直後から復興が始まったが、全体的には経済が低迷してしまった。

■総持寺
 石川県輪島市に立地していたが明治31年火災で焼失、明治41年鶴見に移転した曹洞宗の大本山。
 ※福井県の永平寺も同宗の大本山。曹洞宗には2大本山があるものの、総本山は存在しない。
 
 $$$$$$$ 妄想 $$$$$$$
何故、海岸電気軌道出願の路線特許申請書が認可になったのか
 (1)京浜電気鉄道は明治43年に生見尾支線の特許申請して大正5年5月却下されたが申請を諦めず、
   同社役員が発起人となって別会社を企て、海岸電気軌道設立の発起人として大正5年12月25日に初(再度)申請
 (2) 京浜電気鉄道申請却下、海岸電気軌道許可の空白のこの期間、臨海部に企業の進出が大幅な増加を見た。
  
明治41年、浅野総一郎が神奈川県に鶴見川河口の海面150万坪の埋立計画を提出
  ・明治45年1月、渋沢栄一、安田善次郎の支援を受けて鶴見埋立組合を設立し、沖合埋立免許取得
   →
大正3年鶴見埋築(株)設立(埋立組合事業引継)
   大正4年以降、埋立地に大規模企業の進出が著しい状態となった。
 
 ・大正9年1月東京湾埋立(株)設立、鶴見埋築を吸収合併(順次埋立・企業規模拡大)
 産業原料や生産物の輸送手段として大正13年2月23日、
東京湾埋立の子会社として貨物輸送専業の鶴見臨港鉄道の路線特許を出願する等、周囲の企業立地は進み、企業岸壁による海運とともに大量輸送の鉄路の必要も生じた。
■ 行政としては
 企業集積が進んで来たので交通網の必要性を感じていたのだろうが、却下した会社に再度申請させることは周囲に類似行為を煽ることにもなり、「異名会社(中身は同じ)として申請すれば?」の示唆をしたのでは?と店主妄想。
 しかし、認可まで3年もかかっている。
 海岸電気軌道開業前の総持寺駅周辺 鶴見T12.10
海岸電気軌道敷設前-総持寺地図
 海岸電気軌道敷設前の鶴見付近 (国土地理院:大正12年発行 1万分の1)↑鶴見 ↓生麦  
海岸電気軌道の線路の架橋は未だされていない
 鶴見地区と潮田地区は渡船(上図右下)の渡船か鶴見市場付近の「鶴見橋」迄大回りした。
 明治44年地域の住民有志が金を出し合って、
有料の潮見橋(木橋)を建設した。
 料金を払って、その橋を渡り会社に出勤する社員を見て浅野総一郎が大正5年に橋を買い取って無料になった。
海岸電気軌道-地図潮田付近
■海岸電気軌道の敷設工事 
 大正9.11.25に海岸電気軌道(株)を設立後、大正13年10月※より軌道工事を開始したと記述のある文献や (工事)施行認可は大正14年3月3日(ピクNo205)とあるが、どう考えても、鶴見川の橋梁工事や線路敷設がたった3ヶ月で出来るわけが無い。
 ※大正13年10月は(鶴見線物語)より。
 橋梁・橋脚工事は発注を含め、工事自体は路線特許を取得後に子会社として海岸電気軌道(株)を設立した大正9年11月.25日以降、本格的な用地買収や工事を(震災以前を含んで)開始した考えるのが妥当であろう。
 まぁ、これを言い出すとキリは無い・・・。しかし、京浜電気鉄道が併用軌道を専用軌道に切り替えているのに、併用軌道に建設しているのもなにやら、大師電気鉄道開業時代の亡霊に取り憑かれているかのようである。鉄道認可でないのも・・・。
 ※鉄道→運輸省、併用軌道→建設省と縄張り争いが、新交通開業においてもあるのだから、縦割り適用による権益はすごい。


■ 線 路
 京浜電鉄と同軌間1372mm、架線電圧600Vトロリーポール集電
  京浜電鉄総持寺停車場際を起点として基本は里道、県道※を併用軌道を基本としたが
専用軌道区間は3区間を数え、
 (1) 総持寺から潮田電停の拡幅前の地点まで、
 (2) 浜川崎貨物線乗り越しのための専用軌道を田辺新田から鋼管前とセメント前停留所の中間まで
 (3) 出来野耕地から京浜電鉄大師停留場前まで
と意外に専用軌道区間がの割合は大きかった。

 
※昭和11年9月25日、主要地方道(俗称産業道路)神奈川県道6号田島羽田線、田島鶴見線に指定

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