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【京浜電鉄歴史】
大森支線(海森線)の変遷
2022.11.30 Ver2.51
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京浜電鉄の本線終点として機能した時期のある八幡(大森海岸)~官設大森駅 |
この項、もう少し詳細は【京浜電気鉄道品川駅の場所変遷】をご覧ください
京浜間の敷設特許路線特許出願争で、多数の起業者が路線特許を申請したが、
(1)雨宮敬二郎他の発起人による【軌道条例による「京浜間電気鉄道」】が一旦は却下された
(2)明治31年2月 は品川町字南品川から川崎町六郷橋に至る間の敷設を再度願出、
(3)敷設特許を得そうだとの情報に接し、特許を取得されると,
この区間での特許取得は望めない状況になる
(4)大師電気鉄道は発起人雨宮敬次郎等の【軌道条例による「京浜間電気鉄道」】合併を急いで名を捨てて、自社の権益確保に舵を切った。
(5) 大師電気鉄道は明治32年4月25日 社名を京浜電気鉄道株式会社に変更(設立)
(6) 明治32年11月28日 川崎~品川橋(目黒河岸)間の特許下付
(7) 明治33年7月19日 六郷架橋組合より六郷橋橋梁買受 →六郷橋ページ多摩川渡河する
(8) 明治34年2月1日 六郷橋~官設大森駅間7.2km開通 (六郷橋~八幡※間は国道上に敷設)
八幡(海岸にM37.05.08改称)~官設大森は京浜電鉄の専用軌道
となったが京浜電鉄の野望は「都心乗り入れ」。引き続き敷設準備を進めた (9) 明治35年10月29日 品川橋(目黒河岸)~八ツ山間特許下附により、(6)と併せて品川(八ツ山)間の敷設特許が揃った
(10) 明治37年3月1日 既存全線の軌間を1372mmに変更
(11) 明治37年5月8日六郷橋~品川(Ⅰ)間 全通
八幡(大森海岸)~品川(Ⅰ)が専用軌道で開通、学校裏~八幡(大森海岸)も専用軌道化
八幡(大森海岸)~官設大森駅間は支線に転落 車内
(12) (時期調査中)八幡(大森海岸)の分岐ポイントの位置変更
乗客の流れから六郷→官設大森方向から品川(Ⅰ)から官設大森方向に変更した。
これにより、官設大森~品川(Ⅰ)の直通列車の設置などの変化を見た
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六郷橋~官設大森駅までの第一期工事の経過を
京浜電気鉄道沿革誌のページを併合加工して掲載します。 |
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一番古い地図 |
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↑ループ時代
地理院で販売する一番大森の1/2.5万の古い地図 |
国道上を走っている時代を過ぎ、1372mm改軌も終了しポイントの方向も品川方向に変わってしまった後 (泣)
ループで向きを変えた四輪単車はトレーラーを連結した場合大師または川崎で回ったのか?さらに品川(Ⅰ)にループは無いのでトレーラーを連結した際は軽便鉄道よろしく付け替えたのか?ナゾ。多分、品川(Ⅰ)方向はトレーラーの連結許可が出なかったのでは←調べればだが疲労
連結は無かったかももアリだが・・・。単車で運び切れたのか? |
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↑大正2年10月10日発行 |
なお、[大正2年7月21日付]で
大森駅位置及び車庫乗降場を改めたいので至急許可ください
という文書を出しているが、現在、図面を捜索中。??
大森駅前の車庫の大正10年以降に川崎車庫の拡張が完成し、以降廃車、休車置き場としたが、その後、廃止した(時期調査中)
多分だが、本頁下段の大森線廃止直前の大森駅の配線が廃止後に相当するのでは?と考察。白木屋が進出??
新国道はまだ陰も形も無い |
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↑横浜側から出入りポイントを品川側に向きを移設改造後
さらに大正9年5月申請で 大森線の旅客ホームを島式に、貨物扱い開始のため貨物ホームを新設
そこから貨物電車が品川方に発車できるよう、亘り線の新設を含む配線に変更した。
しかし、下記照会文書(中央)にあるように亘り線について運転保安上の疑義をとなえられている |
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↑工事方法書 |
↑配線がオカシイよ~(素晴らしい書体) |
↑回答だが、信号が電鈴!?? |
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↑ 黄色文字は図面に記載されている文字を拡大表記したものです
大正15年10月27日(申請)の構内図
下図の大正15年5月13日認可の2連用本線ホーム延長予定図のほうが最終的には正確なのだろう。この時点では、本線ホームが延長されていない。
構内配線がシンプルになって、線内折り返しは島式ホームの上り線で発着するような図面が提出された。
大正9年の係官の心配した照会のとおりだったのかも。
図面に記載があるが、×番線と記載せず×号線とある。
ピンと来る方は関西通!京浜時代は×号線に列車参りますだった。
京浜電鉄は何時まで號線を使用していたのだろうか
さらに推測だが、自働とあるポイントは発条ポイントのことではなかろうか |
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↑上記より時期が半年以上遡る 大正15年5月13日認可の2両連結運転の改良申請図。
大森駅からの亘り線が逆付けになり下り線で発着を繰り返す形に
以降、 運転系統の変更、事故防止のためと、簡単な構内配線に切り替えられた
この工事のため、旧支線ホームが壊され、支線の上り線用のホームが無くなっている。
上り線の使用は川崎車庫から出庫してきた車両が、大森支線に転線するのに使用したのか非常用か???
昭和12年3月7日の営業廃止まで此の形態と思われる。 |
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↑ループが無くなってホームと留置線に変わった。
上記の構内改築文書の関係と思われるが、大森終点構内の線路が減っている |
■大森支線になって、(社内的に海森線と呼ばれたようである)は海岸~省大森駅前を結ぶ0.7kmの短路線
(1) 一駅の盲腸線であり、会社としては本線の乗客を省大森に運ぶより品川に運ぶ方が採算はとれる。
(2) 東京市は省大森駅前に道路を建設しようにも工場群に挟まれて困難であった。
国道が新国道に移行する時期に大森支線を廃止してもらいの土地を買収して道路専用に、平行して運行中のバスを増便すれば。という案を画策。京浜電鉄と水面下で打ち合わせを重ねた。
議会の承認などいろいろあったが、京浜電鉄も用地をお買い上げ頂けるし、バス化でコスト削減・・・。 |
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電車の運行状況 |
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↑↓廃止申請関係の書類から |
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↑廃止届時添付ダイヤ
24時間制を採用していない。夜間も9時、10時の表記 |
T15.10.27日の保安設備変更補正届の海岸線の設備使用に絡む記載として(記載は店主アレンジ)
(1)旅客
通常、線内を単行で折り返し運転、本線に直通するダイヤを組むのは年に1回程度であり、その場合は線内の折り返し運転を中止する。と記載されている。
(2)貨物
貨物ホームは平常使用しないと記載、需要が全くなかったようである。
■その後、廃止までの間に上記廃止時提出(書類の)ダイヤ朱書きのように「朱線は現行品川~大森間直通車、---不定期電車」とあって、本線の不定期ダイヤの上に朱線が引かれている。
見方によっては全列車不定期?とも見えるスジの乗せ方である。
21時から以降は赤線乗せ、白線のままの列番付きの海岸折返(止)?
赤線かぶせは本当の直通スジかと思わせる御乱交ぶり。さらに直通車スジでアリながら海岸で▲??
役所を欺く大森線の活気を装う便法書の偽ダイヤだったのかとしか思えない・・・。
高輪(S8.4.1からは品川Ⅲ)直通の大森線の時刻表とかあれば・・・。検証出来そうではあるが。
さらにS5.2.6に省横浜駅Ⅲに乗り入れしているが、ダイヤでは駅が神奈川で止まっている。
此のダイヤは一体何時のダイヤをいじくって作成したモノなのか??
■S5.8.27付の別途書類に川崎車庫午前4時40分に車両の回送を行い、
始発は海岸5時発、大森5時4分発、所要2分、此の間6~12分間隔、終車は海岸24時00分、大森25時06分
表定速度は18km/h |
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廃止申請提出による内部稟議書 |
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↑乗り換え客の負担にならない様に 適当なる方策を定め実施すること |
↑趣旨に沿うようにコンナン形で実施します |
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鉄道営業の実績 |
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自動車運行の試算 |
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昭和12年3月7日を以て営業を終了。翌3月8日から代替えバスの運行を開始した。 |
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↑大森線が撤去された後の整備予定図 |
=======まだ、ナゾ多く、補訂を継続いたします。===========
[参考文献] 御礼申し上げます
京浜電気鉄道沿革誌、日野原保様 鉄道関係文集
日本鉄道旅行地図帳 新潮社 今尾恵介様 監修 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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