東京市電400形ロックフェンダー及びストライカー取付図
京浜電気鉄道 高輪駅
とうとう、日記のように追加が続いています $(_ _)$
最新:2022.09.01 Ve.4.02

高輪駅使用ダイヤ →こちら
当時の社用封筒掲載 →こちら
※※本頁一連の図面は申請時の図面です。完成時の図面ではありません。
【本頁は京浜電鉄品川駅変遷】より分離独立、
京浜電鉄の高輪駅は悲願の品川乗り入れの第一歩となったが、計画では青山、その先の敷設が時代の要請に合わない。と判断されたのか、青山延長線上の位置づけの高輪駅はたった8年で品川駅Ⅲに移転しました。
<以下品川駅移転ページの再掲>
品川駅は昭和8年4月1日に使用開始以来、終端駅から地下乗り入れの通過構造化、通路や跨線橋の増設、ホームの延伸等その姿を少しづつ変えつつも、基本は変わらず現在も
京浜急行のゼロマイルステーションとしてその機能を保持しています。
しかし、2030年の桜咲く頃には、新設の駅に移転する計画です。
【品川駅が再度地表に降りる】
2021年度から東京都が主体となって道路整備(踏切除却)の一環として京急品川駅の地上化計画アナウンスを開始。
事業工程は2029年度迄記載があり、順調になら2030年春開業する?
■この工事関係の東京都発行パンフレット類リンク
 地元説明用パンフ 事業工程入りパンフ質問質問2
----どーでも良いけど-----その頃、店主はこの世にいないだろう-----
■品川駅Ⅲについては→こちら
青山延長線は→こちら
高輪乗り入れのドタバタ
青山支線(高輪~白金猿町)は→こちら
 市電が乗り入れを阻むために、一向に官営品川駅方面に列車を乗り入れ出来ない京浜電気鉄道
青山免許線、この免許線何時完成するのか再三工事状況を督促されている区間の一部。
しかし、駅用の土地を入手しなければ話は始まらない。
■高輪乗り入れに関する土地取得
とにかく、東京市の中心に食い込みたい京浜電気鉄道は官設品川駅周辺で、下記(26)の特許を活かすべく中間駅と位置づける案を画策する。
高輪南町森村氏邸の一部譲渡を前提に設計した案を森村家と交渉したがまとまらず断念。
品川駅近くの毛利公邸の一部を買収して土地を確保した。いたずらに時間が経過する・・・。
(31) 大正13年6月に「青山線高輪駅」として着工。
   白金猿町までの免許を保持したいがため、途中駅までの工事として認可を得ている
(32) 大正14年3月11日 品川Ⅱを北品川に改称し、八ツ山橋の品川方(市電高輪南町付近)~高輪駅分岐点まで東京市電の線路に乗り入れ、遂に都心(山手線の内側)に乗り入れた。
 この時点で京浜電鉄の停留所名としての「品川」は一旦消滅し、
 市電の線路には京浜電気鉄道の営業列車が全て乗り入れ、市電は 鹽(塩)町線のみ北品川(市電品川Ⅲ)乗入、他系統は全て高輪電停(※高輪南町)で折返。
 市電側が品川Ⅲ~高輪間の乗車効率等で譲歩したのか画期的な状況。
 市電は既に五反田方向の路線延伸を諦めていて、その後トロバスになった。
【高輪駅ビル】
 1階の一部と2階に二十数店舗のテナントを誘致し、結構、繁栄したようだ
 しかし、この高輪駅周辺の土地に関しては西武鉄道 堤清二が高輪駅を取り囲むように宮様関連の土地をぐるり取得して、プリンスホテル群で囲み、京浜急行電鉄になった後年、やっと取得した宮内庁所有の土地にホテルパシフィックを開業するだけの、全く周辺開発の旨みの無い場所となってしまった

さて、高輪延伸で一件落着のようだが、この先の画が描けない 八方 九方塞がりの京浜電気鉄道・・・。
「九方塞がり」の残された「一方」として、大正後半辺りから地下鉄免許に活路を見いだして動き始める
(22) 京浜電気鉄道 大正12年10月 東京市内乗入地方鉄道免許申請
(23) 東京都はこの辺から山手線を万里の長城に見立て?域内の市内の交通一元化をもくろむ作戦に動いていた
(24) 大正13年2月 上記申請を新橋まで延伸申請。ところが(25-1)立ちはだかる
  ※現在も新橋駅海側に京急の名を冠した土地や建物、名称があるのは・・・だった
(25-1) 大正14年3月30日内務省告示第56号「東京都市計画高速度交通機関5路線」が決定。
    上記(22)、(23)の類似??路線は東京地下鉄道に上記5路線中、1号線として免許された
(25-2) 大正14年9月 京浜電気鉄道が出願した上記(22)、(23)は1号線絡みで却下される。 
(25-3) 東京市の資金難で4路線の目途が立たず路線の一元化失敗→一部許可→戦後営団設立で「都営」と「営団」で路線をそれぞれ延伸した。 
最終の高輪駅までの設計図ではこのような構想も
 
 ↑ 東京市電の頑固な状況に「市電に関わらなければ良いだろうと」青山延長線の申請当初、民有地買収予定で赤色ホーム部分で設計を行った。
用地交渉がはっきりしないのに申請する明治の時代。おおらかである。
※現在も都市計画などは同じであるが・・・。
地主はオイオイ、俺の土地を無断で!!と怒ったに違いない。当然、買収交渉は決裂し、平行移動した青色部分で再度申請。
そこでも、懲りないというか、地主の道路の半分を乗降場にする図面に地主は「出入りに不便甚だしいと」監督官庁の鉄道省に猛?抗議している 
 
 ↑もう、地主との交渉は無理。と考えたのか、地主の部分を避けた案を。
至る青山方面の夢を捨てずに、こんな感じ。でと。しかし、現実は↓
 
 ↑どうにもならなくなって、到着、出発の乗降場を分離して、市電高輪南町電停前にとりあえず「高輪駅」の暫定案を作ってしまった。
担当者が赴いて監督官の机上で青鉛筆を握りしめて「ですからこのように用地買収して青山方面に」と青鉛筆を動かしたとか???
または、温情溢れる担当官が上司の説明に青鉛筆で「こうなる予定ですが、現状、突っ込むしかないようです」と説明したのか※図面は大正6年度の話です
と、店主の青鉛筆筆跡の妄想は広がる。
しかし本件は監督官庁から青山方面はどうした!となじられる状況に・・・。
■荒技
国道を軌道が占有する幅でイチャモンを付けられないよう、市電の電停線路を省線側に変更させ、空いた線路の一部に下り線を敷設する荒技の図面を繰り出す。
一部、市電の電停先で市電に近接しすぎるようだが、市電側は了承したのか?甚だ疑問・・。
しかし、此の案が出来なくて良かった。と思う店主。
省線、品川駅までの徒歩距離はかなりあるし、市電に乗り換えるにも、ものすごく不便である。此の場所が終点なら、今風に言えば「終わったな・・・。」である
その後、市電との乗り入れ協定も結ばれて、高輪駅は品川駅前で建築となる。
市電乗り入れ契約関係は→こちら東京市電乗り入れ協定
 
 ↑地図と実際では線路のポイント設置点が違う
↑地図高輪南町電停の右側に地平レベルまでの擁壁(黄色着色)が
鉄橋から品川駅まで描写されている。
鉄橋から下り坂になって若干登って高輪停留場に至る
 
 
↑↓ 青山延長線起点から高輪停留所まで
 
↓ 高輪駅の場所が確定した当初の配線予定図と思われる
  大正13年6月19日設計変更回答以前の当初の高輪停留場予定図
上り下り各1面、上りの降車客は地下道で改札を出る不便な構造。
操車は神奈川方面に亘り線は無く、青山方面に引き上げては返す方法
引き上げ線にクロッシングポイントも無く、団体乗降場に至っては、
土地の関係からか、下り線から折り返して入線する摩訶不思議な配線
 ↓駅構内の工事方法変更によるほぼ開業前最終の配線図
 
↑さすがに当初の配線では到着車両が数珠つなぎになってヤバイと思ったのか変更した。
貨物線の位置がこの後、変更になっている。下記に拡大図でどうも怪しい部分を・・・。 
高輪駅本体の工事未完成の為の仮通路
 左:市電分岐点から高輪駅構内までの線路は大正14年3月5日に完成した届
右:高輪駅舎ホーム完成まで数ヶ月の月日を要するため大正14年2月27日に
運転開始から5ヶ月間(以内)仮設備で乗降させて
。と届け出る
 ↑この図では仮設通路で地下通路階段を塞いでいる様に見えるが?
線路竣工時の配線拡大図だが??
  緑色の囲い線の貨物駅は下図の「廃止前線路図」のように後に位置が変わるが施工された。
  紫で囲った部分は施行されなかったのではないか?と現在、謎で調査中

  
線路にあるNo4の文字はポイントの轍差角4番ポイントの略   
 
3面3線各2両分のホームで一番上側のホーム(現在の京急流では4.5番線)はビルと地下道で
  連絡する構造で作られていた(どの程度使用されたか知らないが、結構なバリア フリー 通路)

   
 地図上方の紫枠内の線路は監督官庁に「ここから白金猿町に」と言うポーズのなのか?
   実際にこの駅配置で青山方向に延長するのか?という趣旨の質問もされている  
  上方に「至青山」と記されている。上の上図、↓左下図も参照
 ↑至青山という虚図? ↑貨物電車ホーム ↑最遠ホームは地下道で。バリアやのう 
 国道拡幅で出入り線変更
 
 国道拡幅による高輪駅出入り線路の変更予定図
 書類上は昭和5年7月以降の工事になったはずだが、国道を拡幅する際に市電の線路も国道の中心に移すことになって、高輪駅分岐線も分岐位置が変更になった。←下記の予定だったのかも
 国道の歩道部分から市電の線路まで国道の「踏切」扱いとなるため、ダラダラと国道上に線路を引くことが許されず、最短コースで市電線路に接続するよう変更さた。。
 さて、下の図では開業当初の図面から貨物ホームの位置描写が変わっているので、此の間、何らかの届があったのではでは?と疑う店主。んで現在、調査中
 工事用品等の社用品の貨物が結構あったと思われ、電動貨車が結構増備されていました。
 現在のデトに繋がる歴史が京浜電鉄時代から・・・。

 営業認可を受けた(文献未捜索)貨物列車(電車)も運転されたのか?
 店主は「至る青山」引き上げ線は敷設が無かった。とほぼ?断定しております。←覆るか??
 
 ↑あまり見ない形状のポイントが。
高輪駅のホームの使用状況(資料による推測) 
 
↑昭和2年前後と推測されるダイヤ
不定期が入るとホームは3線3面使用となる。
定期6分毎、不定期6分毎で3分間隔の単車運転
不定期はスジとしては新子安まで引かれている、
実際の折返駅は運行日(需要)の任意だろう
不定期には大森支線の直通車も入っているはず
大森支線廃止申請時のダイヤは→こちら
 しかしぃ~、上記の約1年後に新たに大問題の図面がぁ~。
 
  ↑上図は昭和6年12月に東京鉄道局と交わした承認書の図面と思われるもの
【前置き】
 添付されるべき図面が付いて居ない文書が圧倒的多数で、添付図面は全て拾い切れていません。 
 東京市電の富士山のような書類から此の関係の書類を探せていません。←探さないかも
 なので、何故、何時、此の図面が
(1) 左側の市電のSカーブ
(2) 右側の図面の線路の不整合
(3) 高輪駅出入り線が旧位置のまま
昭和5年7月の図面から上記のような線路図面に変転したのか経過が判りません。
図面から想像できることは
(4) 京浜電鉄が昭和8年3月31日を以て高輪駅を廃駅にし、4月1日から改軌して品川駅Ⅲに移転。(事実確定)
(5) 高輪駅は昭和8年3月31日まで、道路拡張後も市電線路の中央移設や高輪出入り口を旧のままで放置
(6) 三田側から道路拡張が進んで、八ツ山方面拡張工事開始の線路移行図面を利用?でも右の線路は中央
(7) 東京市電は品川Ⅲと高輪南町間の線路が改軌されるので書類上4月1日から運行出来ない
   まさかの3月31日迄1435mmと1372mmの3線構造にした?←冗談ですよ※2
(8) 東京市電も昭和8年3月31日で品川駅前~品川Ⅲ間を廃線、品川Ⅲ(京浜品川Ⅱ)を廃駅とする(事実確定)
 以上の浅はかな推理から
 作図担当者が鉄道省と関係ないところは、適当に継ぎ接ぎ修正した・・・と考察。
以上のお騒がせ図面でした
※2
を含むこの区間の市電の営業形態等その後は、別ページにて図面ともに公開いたします。
 ↓高輪駅が廃止されて約3年後の昭和11年の国土地理院空中写真から
 
  ↑品川乗り入れの新鉄橋は鉄橋側がR50、北品川側がR60の急曲線、約200mの国道上の走行は制限時速25km/hの制限で運転上の隘路となっていた。
2022.03現在、写真の山手線車庫付近は完全に更地化され、京急品川駅も工事用に線路の中に枕木が並び始めて、いよいよ地平化工事が始まった。
乗り入れ車両の問題点 
 北品川駅(元品川Ⅱ)から高輪駅の路面区間の走行に問題が発生 
乗り入れするに当たって、京浜電鉄の車両にある問題が生じた。
それは路面区間の走行車両に義務づけられる「救助網(装置)」が無いことだった。
すでに、京浜電鉄は本線が全て専用軌道になっており、本線走行車両は全て救助網を取っ払っていたので、路面区間を走行するには「構造が不適な車両」となっていた。
        ↑ (1) 京浜電気鉄道から出されたお願い文書
 路面区間は約400mかつ道路も人車分けられており、車両は強力なる空気制動機があるので救助設備省略させて。 
           ↑ (2) 東京都の副申
供用区間は短距離で本区間における事故数は極めて僅少であり、設備省略やむを得ず、軌条建設規定35条根拠に検討ください。と応援文書。 
              ↑ (3) 鉄道省回答
台車のエンドフレーム取り付けたブラケットに木製の保護板を付けてね
と回答。※救助」を「保護」に訂正しているのは、無訂正だと他の事業者が「救助装置」は、それで良いと真似られるから。言葉を厳密にしてる
        ↑ (4) 京浜電気鉄道のそのようにいたします文書
本件作業を請け負う指名された社員が以下の図面のように保護板を取り付ける事を約束します。と回答し下記の図面を提出した
高輪駅路面」乗り入れ用保護板
↑ (5) 京浜電鉄車両に取り付ける木製保護板
これで軌道区間を走る京浜電気鉄道車両の写真に救助網が付いてない状況となった。
※救助網条項はその後、現在の路面電車の形状までに改正されています(正確な全国通達時期は未調査) 
番外 昭和8年夏 東京市電 救助装置で労使対立??
 
↑3営業所の従業員一同からの陳情書
 ↑東京都から効能と変更について申請
現行は安全そうに見えて接触しやすいのでとの見解で新型移行を申請
 ↑内務省の労使主張の見解 ※陳情書の文意を解釈
本省の条文の変更後に・・・。
↑変更される新型救助装置 
 高輪駅ビルディング 大正14年9月1日開業
  一部3階の鉄筋コンクリート2階建(中2階付)
 1階:和洋菓子、果物、洋品、佃煮等
 中2階:幸寿司、藪蕎麦、荒井屋鰻、いろは餅のおしるこ屋等
 2階:中央軒、森永喫茶店、富山書房、理美容点薬局等
 がテナントで入り、駅ナカとして機能したが、それも束の間
 会社は昭和8年4月1日から品川駅(Ⅲ)を開業、 なんと、高輪駅の寿命は約8年と短命だった
 写真は大東急の品川営業局時代。駅移転後は京浜電気鉄道の本社として使用された。
青山線構想は予想外の都市化等で路面電車規格で道路上を走る状況では無くなりつつあった。
この場所から白金猿町への線路の敷設は都市化で絶望的になるとともに、京浜電気鉄道は1両、2両を連結して運行する時代に決別しつつあった。→青山線建設計画ページ
社内には路面電車派が多数いて施策逡巡があった?
経営陣は驚く早さの人口集積とその交通需要に、道路上を走る路面電車の申請などしなければ。
と相当な悔しさがあったのでは勝手に推察。
路線利権の関係で新橋方面も出願していた。これは後々泉岳寺乗り入れに繋がる。


新たに八ツ山鉄橋を架けて、品川駅=地下鉄に活路を見いだすべく、鉄道院と交渉の末、敷地を購入し、市電敷設道路と国鉄の間に割って入る形の平行高架線で線路を敷設。
※道路の擁壁は高架線で隠れてしまった。
高架線の品川駅は軌間を1435mm仕様で建設、八ツ山橋も1435mm仕様で架橋完了し、昭和8年4月1日 京浜間の改軌が完了して、終着駅は高輪から品川(Ⅲ)に切り替えられた。

改軌は両端の接続予定の鉄道が1435mmであったほか、1372mm軌間は軌道法の路面電車の軌間とされて、地方鉄道法に転換し易くするためには1435mm、1067mm(特例中の特例762mmの3メニューであった)※京王は1372mmの逆特例
湘南、東京地下と乗り入れするには1435mmの選択を迫られていた。
※湘南電鉄は1067mm→1435mmに敷設計画時に変更(別項でいずれ)、東京地下鉄道も1435mmだった。
  高輪駅開業直後に印刷されたと思われる社用封筒 
 
封筒の右上には発送日を記入する「大正の年月日」、路線延長で触手を伸ばしていた「池上本門寺」、穴守神社、川崎大師は「平間寺」と正式名称、神奈川には三ツ沢の「豊顕寺」がある。
wikiによれば関東大震災まで桜の名所だったよう。同じく花月園、三笠園も記載。
当時は寺社参詣者、季節波動で花見客がターゲットと云うのが明確にわかります。
幻となった運河沿いの線路敷設構想の「川崎運河住宅地」 、八丁畷を鶴見市場寄に移設、鶴見市場を廃止して「川崎運河前駅」としたかった??一騒動も、ほのかに匂ほう。
路線両端の接続は「市電」、横浜港も堂々名入り。大森、羽田、新子安付近には海水浴場マーク
省線の西はというと「至」はなんと「名古屋方面」
今見ると、中々滋味溢れる封筒と思う店主
 ↑解体前だからか避雷針が撤去されている
 店主の記憶は右側の入り口(消防水利看板の後ろ)から大理石作り?の立派な階段を昇り、
屋上の4階?に出て屋根が無い無い奥の方にプレハブ作りの事務室があって、
その中で、列車ダイヤを作成する運転課があってビックリ。
何で階段の写真を撮影しなかったんだろう!←当時の興味は電車1本!
↑移転挨拶看板
↓泉岳寺に移転した後の元高輪駅→品川旧本社を解体工事中。 
京急品川本社解体中
東京地下鉄道と運命を共にした京浜電気鉄道 
【早川徳治率いる東京地下鉄道】
(W1) 大正6年7月18日 東京軽便地下鉄道として高輪南町(品川)~浅草公園広小路間の免許出願
にはじまり、
(W2) 大正9年8月29日 東京地下鉄道を設立して(W1)の路線免許を引き継ぐ

【京浜電気鉄道の昭和初期の取得路線免許】
地上線の免許を得た東京地下鉄道の駅と自社線を結ぶ構想
■ 昭和3年5月19日 蒲田町~大崎町
■ 昭和5年5月17日東京地下鉄道五反田~馬込町間に乗り入れを申し合わせ
早川徳治率いる資金不足の東京地下鉄道と仲良くなって東京南部をブイブイ言わせようとしたのだが
しかしこの辺りから京浜電気鉄道に暗雲が漂いはじめる

(W3) 昭和10年5月 東京高速鉄道(五島慶太)と直通運転協定締結
(W4) 昭和12年3月1日  京浜地下鉄道を京浜電気鉄道、湘南電鉄と設立、東京地下鉄道の筆頭株主になる
(W5) 昭和12年6月12日 京浜電気鉄道が、(W2)から新橋~品川間の未成線免許譲渡受ける
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 日付的には、ここで五島慶太がナヌ、俺の渋谷~新橋間を運営する東京高速鉄道乗入れを反古にしやがって!と、早川徳治を追い落とすための株式の買い占め策を発動する。
当然、火の粉をかぶる京浜電気鉄道と湘南電軌鉄道。以降、五島慶太の「軍門」に組み敷かれた。
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■昭和14年6月27日 五島慶太が京浜電気鉄道の専務取締役に就任
 経営を乗っ取られ京浜電気鉄道は事実上、五島慶太に支配されてしまった。
 直通運転協定を反古にされた怒りで、東京地下鉄道の株も45万株取得で早川徳治失脚
 早慶の財界人脈戦のハシリとも・・・。
■昭和14年9月16日 東京高速鉄道が東京地下鉄道の新橋駅を乗入可能に改造し、有名なポイントを設置して直通運転開始した。この時点で京浜電気鉄道の地下鉄構想は潰えた。
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それから約30年~ェェン~後
都が銀座の裏側を通る下町ルートで通称:裏銀座線とも呼ばれるⅠ号線を建設。
昭和43年6月21日 品川~泉岳寺(京急)、泉岳寺~新橋は都営1号線として開業し、京急が乗入れて地下鉄構想の品川~新橋間の悲願が達成された。※上記(W5)の歴史が残っている
※2022年現在、朝ラッシュの列車の乗客の大半は新橋で、東銀座でさらに降車、車内に空気感が漂う。
 2ツ先の日本橋ではラスト大手町の官庁街でトドメ。品川からの乗客は座席に座っている人程度となる。
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東京地下鉄道の争奪戦で東急グループになってしまった京浜電気鉄道・・・。
■昭和16年11月25日 五島慶太 京浜電気鉄道の代表取締役に就任
■昭和17年5月1日 京浜電気鉄道を陸上交通事業調整法による東急に吸収合併
 ※傘下になってから大東急になっている点がよくスルーされるので・・・。
<余談>
昭和23年6月1日大東急から独立した鉄道各社の福利厚生関係の連携は続き、各社に乗車出来る職務乗車証、家族パスがあり、学生時代、京王にも乗りたい、小田急にも乗りたい、しかし¥が無い。という店主から見ると、何処でもドアのような紋所であり、所持している人が羨ましかった。
多分であるが国鉄民営化で全国通用の職パス、家族割引が廃止された頃に大東急パス??も無くなったのではと。
現在も各社の健康保険は「東京西南私鉄連合健康保険組合」が一元で事業継承している
なんだかんだで繋がっている各社である・・・。
↑貫通路、サードシューを付けて乗り入れを行うデ41形全鋼製地下鉄乗入用更新車(フェイク画像) 
↓本当はこの姿で乗り入れ車両とかにしたほうが(フェイク画像) 
 
 =====品川駅高架乗り入れ等は→こちら=====
 [参考文献] 大変お世話になりました。御礼申し上げます。
京浜電気鉄道沿革誌、日野原保様 鉄道関係文集、日本鉄道旅行地図帳 今尾恵介様監修 新潮社 、私鉄史ハンドブック 和久田康夫様著 電気車研究会
■東京高速鉄道、東京地下鉄道、五島慶太各Wiki
 京 浜 電 鉄 歴 史 探 索
※全項目、資料等発見次第、随時補訂しています。各ページVer.Up年月日でご判断を
本表のは最近の新規、補訂の意味で付けています
神奈川~新町間の変遷  省横浜駅Ⅲに乗入れまで 鉄道省横浜駅移転3代の図  横浜駅と周辺 1969~ 
品川駅の変遷
複式架線・構内線路追加  
品川(Ⅲ)開業
品川~横浜主要駅の改軌
八ツ山橋梁増設
と線路移設
のナゾ
高輪駅乗入とその後  青山延長線
(高輪~白金猿町)
 (Ⅱ)南北馬場統合工事   南北馬場統合失敗
  目黒川電停は幻に 
  鈴ヶ森駅と鈴ヶ森架道橋  大森支線
出村駅と急行運転  トロッコ(土取線)交差 【六郷橋梁】~京浜川崎 生麦車庫   海岸電軌軌道
橘樹(たちばな)電気軌道
の敷設申請
  
鶴見~小机支線の敷設申請  鎌倉金沢電鉄の敷設申請 湘南電気鉄道(工事申請)
金沢文庫~鎌倉八幡 
 
神奈川台場と東高島駅
じぇじぇじぇ~!
フィルムの危機紹介
・大量スキャンのアドバイス
ビネガーシンドローム(フィルムが丸くなる)
スキャン営業内容他
・フィルムデータ保管法
・取り込み解像度比較
スキャナー用フォルダの例
喰ったら体重倍返し
成人病百貨店盛業中
随時更新中。
お立ち寄りを
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旧客峠駅売、山スカなどお勧め 
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gif-02店主の世相談義
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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