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杉田線廃止装飾電車 |
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↑杉田発の電車に乗っていたら「さよなら杉田線」装飾電車とすれ違い
ハナタレにしてはシャッター1/100のリコーフレックスでドンマイ。
↓上の写真はこれをトリミング。なんと架線セクションが写っていた。 |
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洪 福 寺 線 廃 止 装 飾 電 車 |
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↑5系統お別れ装飾電車 高島町電停(左:保土ケ谷橋方面のポイント、右:横浜駅方面) |
■横浜市電は市内の比較的大きな商店街のある地区と繁華街の伊勢佐木町を網羅的に結んでいました。
横浜駅から桜木町間の海側は三菱重工横浜造船所の巨大なゾーンがあり、各通用門の近くに電停があって 高島町電停から京急戸部までの国道沿いに飲食店、雪見橋電停から山側道路に岩亀(がんき)横丁がありました |
5系統は洪福寺(こうふくじ)~間門(まかど)間だったが、米軍接収地区に平行する三渓園~間門区間が先に廃止され、東海道線を尾張屋橋オーバークロスする洪福寺~高島町間がS44.7.1に廃止された。 |
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↑2重撮りが同時代の車両の思い出写真になるとは。
高島町電停を左折して洪福寺方面の電車を2重撮影に。ア~ア |
原因は撮影カラーフィルムを「ベロ」を残すよう慎重に巻き取って取り出し、代わりに白黒フィルム入れて撮影。終了後再度ベロ出しカラーフィルムをセット。レンズに蓋して既撮影枚数分シャター切ってOKと撮影続行してこの惨状になった
結構、懲りずにこの手法で失敗している。カメラが2台無く白黒とカラーと同時撮影したかったんだな~。
↓同日に東急高島町駅で撮影した高架線の状況 |
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全 廃 さ よ な ら 花 電 車・装 飾 電 車 |
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↑撮影ポイントで思い浮かんだのは京急との交差 空振り~ぃ!
↓去って行く |
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↑↓花電車は電動貨車8号、10号がその任に当たったらしい。
店主にはどっちがどっちだかさっぱり不明 |
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↑中村橋 |
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↑ 花電車が大江橋を渡るがバスに隠れてる |
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↑↓ 大名運行の花電車 |
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↑↓500形単車523号・花電車・1000形1007号の3連運行 |
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↑国鉄桜木町駅を半周するような形でガードをくぐる |
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↑根岸線(桜大線)延伸前のこのような情景の時代もありました。【コクリコ坂から】より |
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↑後ろに東急5000系が停車中 |
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↑桜川新道の交差点を行く |
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↑現在の「にぎわい座」があるあたり。後方は「野毛大通」電停
右側の電柱の看板文字にご注意。無断貼り付け横行時代 |
野毛大通電停は野毛飲食街の中心部入り口。野毛は小路が多数あって、メイン通路は夕刻になると
すれ違うのに肩がぶつかるほど混雑していました。(三菱重工移転で一気に閑散化)
野毛は京急日ノ出町、伊勢佐木町、関内方面どこへでも行ける、来られるワンダーゾーンでした。
店主は先輩方に行ってはイケナイ小路や場所を結構たたき込まれました。
その場所の変貌「突撃(笑い)」ページへ別ページ開きます |
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↑現在のWINSになる前「ご来場は電車かバスで」の横断幕が。 |
娯楽がパチンコか競馬の時代。土曜日はまだ半ドン勤務。
好きな人は上司だろうが部下だろうが、急いで職場を後にして、午後をここで競馬新聞片手に一攫千金を狙う方々で溢れかえっていた。
スマホ時代で無いので、ここに来ないと買えなかった。実際に購入しないノミ屋大繁盛→取締の悪循環。
勝った人は野毛で豪華に祝杯、負けた人はオケラとなって、超格下の立ち飲みでウサ晴らし。 |
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その2 ↑↓500形単車523号・花電車・1000形1007号の大名3連運行 |
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↑↓前里町3丁目付近 |
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↑滝頭電停 |
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↑即売会に向けて販売品を洗ったりまとめたり職員総出で頑張る |
市電の車庫(総称)は乗務員も在籍し、ツーマン時台横浜市の御紋を掲げる交通局の従事者と家族などの関係者が多く在籍し、生麦、浅間町、滝頭、麦田の車庫周辺には商店街が形成され、特に浅間町、滝頭周辺の商店街は規模が大きかった。
市電廃止後はバス車庫等に転換され、従事者数が減少して時を経るごとに居住者も減少、高齢化して商店街の勢いは無くなっていった。 |
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↑交通局の先導車に連れられて |
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↑↓花電車は夜に威力倍増。
現在ならLEDでチカチカ可能だろうが、色電球を点灯して周囲に光を届けた |
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↑↓以下も含め、多分フィルターが電球光を乱反射しています。「安ッ~すい奴やん!」 |
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↑堀割川沿いに夜景撮影。バスがきれいに写ってしまう。
↓増感とかトライxとか何も知らない当てずっぽうハナタレ撮影
この写真見て今更ながら、自分の若き頃の感傷に浸る。 |
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↑電球の色感をとアンダーにしてみました。(下は別コマ) |
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↑↓芦名橋
お見送りの方々の感じを出すために明るくしてみました |
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↑手を振る子供たち。純真やのう~。
順次廃止後の職員さんたちは中年以上の方々がほとんどで、その都度、区役所等でマスコンをペンや電卓※ソロバンに持ち変えたり、自動車運転手に変わったりの配置転換が行われ、不慣れな職場で大変な苦労をされていました。
※電卓はまだ無く、機械式タイガー計算機かソロバンでした。 |
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本ページを作成するに当たりネコパブリシングRMLIBRALY横浜市電(下)
岡田誠一・澤内一晃様著を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます
※当時の記憶のある方用に極力風景を入れました。
2020.09.18【スタジオジブリ全作品の場面写真の提供】により1画像使用させて頂きました |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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