本項記載につきまして鉄道ピクトリアルNo286、405、546小田急特集、No320、No418、468、620、672相鉄特集の各項、東急特集No335、
関東ローカル私鉄特集朝日新聞社刊世界の鉄道’65を参照させて頂きました。

相模鉄道5000形
横浜市金沢区の住人が相鉄に乗車する「用事」はほぼ無く、大人になってから「二俣川運転免許試験場」に行く程度。
当時、国鉄と競り勝つ電車とか言われた会社の利用者からみると、「ノロすぎる」緩さがたまらない魅力でもあった。ので、たまに乗りたくなる電車であった。
特に5000・6000系の美しいカラーリングも大好きであった。

相鉄線はヨコハマから大和に向かって丘陵地帯を登る線形なのだが、横浜市内はカーブが多く、上星川の西谷側から鶴ヶ峰間は曲線制限や上り勾配もあってスピードが出せない。
並行する競合路線も無いので急行も直線区間で時速70km/hも出せば充分。
逆に横浜方面に向かう急行は二俣川でノッチを投入、鶴ヶ峰に向けて緩く下りながら高梨乳業の付近のカーブの制限速度になる手前でノッチをOFFに。
横浜に向けて丘陵を下るので、自然加速→ブレーキ操作の連続。上星川に向かって西谷のカーブを過ぎた直線でゆったり75km/hに加速、星川駅手前のカーブで減速。そのまま惰行で天王町を越えて西横浜駅手前で減速。急カーブかつ保土ヶ谷駅方面の国鉄貨物連絡のポイントを渡って、先行の普通が支えていようものなら、そのまま惰行。
平沼橋付近で信号開通とともに横浜駅目の前で気持ちノッチを入れる。というゆったりした経済運転ぶりだった。

そのゆったり感は鉄道に無関係な店主の先輩方は、酒席で未だに、親から聞いた話として「蒸気機関車が西谷の坂を上がれなかった」とか「横浜駅西口は砂利置場だった」、「神中砂利鉄道って言っていた」、知らない田舎モノは「
相撲鉄道」と言ってた(ソッチカイ-苦笑)。など話が出る。

それだけ、神中線相鉄線は農村部において急激に発展したのだが、昨今、開発宅地の住民の高齢化等で通勤客が頭打ち?の御様子。
東京圏の通勤客のベットタウン化を狙って直通運転工事を実施中だが、ドル箱の西谷~横浜間の運賃がJRと東急双方への直通化で減少するのか?
自前の横浜駅西口の商業施設への流動がどうなっていくのか。渋谷、新宿、銀座にかなり流れてしまうのか?

朝7時頃から8時頃までは、東京方面に向かう「(若い)正装」OLが足早に改札口を抜け、8時から9時頃は家事をこなして、ギリギリに市内企業に向かう「髪の毛振り乱した・・・」が怒濤の勢いで改札を通過という笑い話ような事象(※)が将来も残るのか。
※この話は、酒席で、のろい相鉄の話題を振ると、御利用の髪振り乱す側の先輩女性陣が、良く笑い話にしてました。(笑) 
※あと星川にガラス瓶製造会社とカーリット製造会社があって貨物の引き込み線があったのが懐かしい。 
5000形
 相模鉄道5000形5013
↑店主的には美しすぎる「美魔女」 5000系  運転台後ろに客窓増設の18m車体(3次車)
  5 0 0 0 0 系 諸 元 表
  製造年  形状  全長  主電動機  台車形式  ギア比  定格速度  自重  定員  廃車 
5001~5004  S30.12.01  片運 17680  55kw×4  日立KBD108C   6.34  40.9km/h  27.0  130(50)  S47.07.26 
5005~5006  S32.05.20 18680  75kw×4  日立KBD108A   5.44  47.6km/h   29.0  136(56)
5007~5010 S32.05.20  S47.12.22
5011~5012 S34.01.07 日立KH22   47.4km/h
5013~5016  S34.04.01  S50.04.22  
5017~5020  S35.12.20 中間  30.3  150(58)
 超 雑 比 較 (MMの回転数?)
 京急1000系 S34  --   18000  75kw×4  TS310/OK18 TS/5.5
OK/4.63
 43km/h  33  140 1001~48 
車体窓割り等のデザインについて 
私鉄経営者協会が昭和30年8月1日に鉄道車両用標準車体仕様書を制定するに至った。経過詳細→岳南鉄道1100形の項へ
相鉄5000系は
竣工予定日から察するに、制定日に向けてこの5000形で日立の技術力、デザイン力、一貫制作能力を、相鉄はメジャーな鉄道会社としてアピールする場としてS29年には開発が進行していた。当時の関係者の思い出としてピク672号P122~に記述がある。
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当初の予定では昭和30年夏に竣工するはずだったが、種々の事情で遅れ(中略)星川工場に11月9日であった。(中略)12月14日に招待展示試運転を行った後(中略)S31年の元旦から営業運転に入ったのであった。
メーカーはこの5000形を記録的な軽量高性能車にしたい。という意識が強かったようで試作的な面が多かった。
1次新車と呼んだ最初の4両はテストカーと言っても良いほどだったと思う」(後略)
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仕様書の制定発表=記者発表にぶつけたかった?日立の気合いが判ろうというもの。
当然、各メーカーは各委員会に関係者を出席させているので、入手した情報で先回りをし、自社アピールの場のチャンスを狙っていた。 
新性能、新機軸車として大手一番手に登場した東急5000系はモノコック構造で車体(ガラ)重量を8.8tとし、窓配置は「標準車体L-3L」とし、
駆動方式は直角カルダンでS29.11に東横線に姿を見せて、濃緑一色を纏い世の中にアッピールしていた。
対する相鉄(日立)は実質1年遅れなので車体塗色を複雑な色でアピールしたのかも。奇しくも形式が5000で同じである。
車体に関しては当時「鉄道車両用標準車体仕様書」が5000形竣工時期までに同時並行的に制定されるので上記同様、協力会社として情報は掴んでいた?
車体、台枠、ドアに始まって、あらゆる構造から部品まで制定しているので仕様書にほぼ合わせておけば、陸運局の申請通りも良いし、余計な指摘や確認事項などの摩擦は回避できる?で車体は区間車用のL-3L形式図の配列にしたのだろう。
外見の窓割り寸法も先頭700mm乗務員ドア500間500客ドア1200間300客窓(戸袋)950桟200客窓(開閉)950×3・・・で寸法が若干違うも配列は同じ。
増大する輸送需要に相鉄は5000系の製造とともに17m廃車国電を17両も購入して車体更新した上で増備とし、新旧平行増備作戦をとった。
5000系は中間車を4両新製を最後に増備を終了した。後続は20m車MT編成の6000系になった。
S30制定私鉄標準車体L-3L 
相模鉄道5000形5014 
 ↑Hゴムが白黒ブチになっている。錯覚で黒の方が大きく見えるが実際もピンポン!だったりして(苦笑) 
相模鉄道5000形5014
↑折り返し白黒ブチ顔の5014が通勤客を満載して西谷に進入
相模鉄道5000形5013
 主電動機のこと
昭和29年 私鉄経営者協会は「技術委員会・電車改善連合委員会」による「電気鉄道車両用標準電動機仕様書」を「標準車体」より1年早い5月27日に制定した
これによって数年間、業界で「縛り」が出来、事実上の標準化の基本となった。以下、抜粋と店主が傍線を引きました。日立の主張が盛り込まれている状況があります。
相模鉄道5000形 
【直角カルダン駆動・発電ブレーキの始祖】
 日立製作所は駆動方式として直角カルダンを提案し採用された。5000系の台車は軸距離2200mmだが、国鉄のDT21をはじめとする新型各車の台車は2100mmであった。
 直角カルダンなので装架するために軸距離が伸びてしまうのが原因。

 相鉄では一番最初に発電ブレーキを装備したが後続が続かず、なんとVVVF車まで発電ブレーキが無かった。
 ディスクブレーキのみで何ともエレガントに停止する車両達だった

相模鉄道5000形5016
 ↑5016F 中間電動車入組成
相模鉄道5000形 
 ↑流し撮りと思って後追いするとオヨヨ! 
相模鉄道5000形+クハ6500
 ↑6000系Tcを牽引中。
相模鉄道5100形時代5104
5000形はS47.726竣工の5100形に車体を載せ替えされた。 この写真ラッキー!5101Fと5105F6連。理由は下記
写真の5101FはMMが55kwのはずだったが、車体アルミ化関係の文献は全て65KWとされている。なぜ65KW標記にしたのか?
実際に絶縁種別を上げる巻直しで耐熱容量をアップして「実効65KW」にしたのかナゾである。アップの記載されている資料を見落としていたらすいません。
ユニット全体でで80KW増は制御器や関連機器は変更不要か手直し済んだ??
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S45に2000系をアルミ車体化して車体重量を軽減モハ2000が41.5t~42.5tだったものがアルミ化でモハ2100が33~35tとなり、車体延長して17m→20mになっても在来の足回りで充分?イケルとなった。
5000系はこの時点で製造後15年、丁度更新の準備に入ろうとする頃と想像されるが、
2100系のアルミ車体化は成功しているので、車体を延長して5000形のと同等程度(1~4:27t、5~16:29t、中間車17~20:30.3t)の車体軽量化となれば、輸送力(収容力)増大となり、相鉄の車体長を20mに揃える絶好のチャンスである
(1) 最初の4両の車体長が1m短く、主電動機の容量が55kwと小さく運用上問題、5000系全体で20両の小所帯
(2) 車体外板の腐食が進行していた
     軽量化のために屋根・外板を通常2.3mmのところ1.6mmと約3割も薄くした等の結果、1~10号の外板の腐食が激しいので、同様にアルミ化の理由の1つにされてしまった。
     ※腐食が進行すれば鋼板の板厚がさらに薄くなり、腐食部分を切り取って新たな鋼板を溶接には薄すぎて、溶接が事実上難しいのではと。
  結果、主な電気品を流用して車体を東急車輌がアルミで先行製作した2100系と同様の車体の5100形となった。
(3)冷房機器搭載車体が耐えられない
    モノコック構造と軽量化の限界設計ゆえ、冷房搭載とMGの大容量化等の床下吊下機器重量増加に車体が耐えられない。
5000形をそのまま車体更新断念の理由がてんこ盛りになってしまった。現場的には床下点検の煩雑さが、最大の場外ホームランなのかも知れない。
普通に考えると2000系を全車アルミ化してから5000形と思うのだが、2000系44両の更新中に並行的してS47.7に6両、S47.12に6両、S50に8両、全20両の更新が実施された。
※2000系の全車2100系化はS45~54まで

車重については5000形竣工時のM1が27t、M2が25.9t、アルミ化5100系はS51.1現在30.0tで揃えられており、75kwのMMであれば他社並みとなる(超雑比較表参照)。
短期間ではあったが発電ブレーキHSC-Dを装備して、VVVF化まで頑張った。
しかし、5101~4はMM出力が低く、代打要員となって稼働が少ない状態だった。理由は相鉄の運用は出庫から入庫まで急行と普通がミックスされているので、多分、増強65KW?MMにかなり負担がかかり、MMや主抵抗器等の発熱が結構あったのでは?と推察。
台車はそのままで5101~5110までがコイルバネのKBD108、11~20がエアサスのKHH22エアサス

 MGについては5107Fから相鉄と日立が開発したブラシレスMGを搭載、サイリスタインバータ登場まで、整流子の手入れ不要のBLMGは全国のスター機器であった。
S63からVVVF化が開始されて台車、主電動機も新品に変更され、遂に5000形の主要機器は無くなった。←小部品が残ったかどうかも判りません $(_ _)$
 旧 型 国 電
相模鉄道モハ2000形2023
 ↑まっとうな2000系旅客車の写真はこれしかない。 
モハ2023→S50.モニ2023化(国鉄モハ11033払下→モハ2023、S35.6車体更新入線)
旧型車のうち、S34~36にかけて西武に倣えとばかりに17両も国鉄から廃車になった旧型国電を購入。
東急車輌で更新してから入線させた。当時の17両の存在は大きく、5000系20両と同等に輸送の主力を張っていた。
写真のモハ2023はS1. 日車製鉄道省モハ30049→クモハ11013→東急車輌で車体更新S35.6.16付で入線

その後S50.7にモニ2023に改造され、S53.7に横浜方に貫通式運転台を増設、
さらにS57.1には架線状態観測用のドームが設けられるという、外観的に改造が一番多い車両だったのではないだろうか?
平成19年2月廃車となった。 
相模鉄道クハ2500形
↑↓ 昭和44年頃の写真。こんな感じで走っていたということで・・・。このころは比較的走っていた
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道クハ2500形2506
クニ2506 
 初代のクハ2506はS27.5に買収国電青梅モハ504を片運転台化した。S41.12廃車
2代目クハ2506はS42.01東横車両電設で新たに製造されたが、書類上、廃車と竣工の期間が1ヶ月では廃車前から製造されていたようで、俗に言う車体**名義??
この時期に17m車を新造するとは考えにくく、窓配置から国鉄モハ11(旧モハ30系)の出物のタネ車?があったと思える。
S50.7東横車両電設でクニ2506に改造された。荷物列車廃止でクニ2511と同じくS53.11日立電鉄へ譲渡した。 

日立電鉄にクハ2504として入線した。 
日立電鉄サハ2504形
 相模鉄道クハ2500形2513
↑クハ2513 
日車製、鉄道省モハ30193→クハ38097→クハ16161払下、東急車輌更新クハ2513 →S35.10.17付入線、
S49.1.21付廃車 
相模鉄道2100系2603
↑2100系  2103F客窓は2段ユニットサッシ(モハ2101~8,クハ2601~4が該当)
2100系の初期車の屋根のカーブは車体より深狭く、雨樋の幅が広すぎる?程であった。以降の更新車はカーブが浅くなっている。 
S1.川造製 鉄道省モハ30016→クハ38056→クハ16106→払下、東急車輌更新 →S35.6.16付入線、クハ2509→S47.12.22廃車※
部品確保のみで車体、台車→西武所沢工場、大場工場経由で伊豆箱大雄山へクハ185。廃車日付は温存?→東急車輌アルミ化S46.10.26付竣工クハ2603に
2606Fは標準屋根?のカーブ。雨樋幅も狭くなっている 
相模鉄道モハ2100系クハ2606
電装品、足回りはそのまま流用されたが、台車の揺れ枕をオイルダンパに変更して台車の見附が変わった。
すいまへんなぁ~台車だけを撮影した写真があらへんで~
相模鉄道モハ3000系クハ3511
 ↑3010系。6000系とテールランプの形状が違う。どうもこの1枚しか所有無さそうな感じ(泣き)
相模鉄道トフ402
↑荷電時代のモニ1008、トフ402 
新製時(S2)は小田急モハ1形→(大)東急(S17)デハ1150形S17貸与名目で1150~59、62~65が相鉄入線、後60、61も含めS22.11譲受→S26改番モハ1000形に。うち1007~1009の3両は中間車化されずに使用され、S40.8届出で星川工場内で東横車両の出張工事により荷物車両モニ1000形に改造された。
竣工は1008(S40.7).1007(同10月,1009(同12月)

日立電鉄モハ1008
↑↓日立電鉄に譲渡、塞いでいた戸袋窓を再度開けた。詳細→日立電鉄吊掛車
日立電鉄モハ1009
 ED10形
相模鉄道ED10形貨物
↑↓ 電気機関車ED10 米軍ジェット燃料輸送で空タンク車を保土ヶ谷経由で返送
1~2がS27.5.東洋電機製、3が29.6、4が関係会社の東洋工機(平塚)でS40.4製
台車は国電仕様のDT-13、MMは国電で使用されたMT30、128kw×4、機関車の皮をかむった電車

相模鉄道ED10形貨物
     
じぇじぇじぇ~!
フィルムの危機紹介
・大量スキャンのアドバイス
・店主的フィルムスキャナ比較
ビネガーシンドローム(フィルムが丸くなる)
スキャン営業内容他
ブローニーSCAN等
・フィルムデータ保管法
・取り込み解像度比較
スキャナー用フォルダの例
喰ったら体重倍返し
半皿~ッ!グルメ

ウケ狙いで、そろそろ古い?
随時更新中。
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・30分以上多数
旧客峠駅売、山スカなどお勧め
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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