本項記載につきまして鉄道ピクトリアルNo286、405、546小田急特集、No320、No418、468、620、672相鉄特集の各項、東急特集No269、335号、関東ローカル私鉄特集朝日新聞社刊世界の鉄道’65を参照させて頂きました。
相模鉄道5000形
横浜市金沢区の住人が相鉄に乗車する「用事」はほぼ無く、大人になってから「二俣川運転免許試験場」に行く程度。
当時、国鉄と競り勝つ電車とか言われた会社の利用者からみると、「ノロすぎる」緩さがたまらない魅力でもあった。ので、たまに乗りたくなる電車であった。
特に5000・6000系の美しいカラーリングも大好きであった。

相鉄線はヨコハマから大和に向かって丘陵地帯を登る線形なのだが、横浜市内はカーブが多く、上星川の西谷側から鶴ヶ峰間は曲線制限や上り勾配もあってスピードが出せない。
並行する競合路線も無いので急行も直線区間で時速70km/hも出せば充分。
逆に横浜方面に向かう急行は二俣川でノッチを投入、鶴ヶ峰に向けて緩く下りながら高梨乳業の付近のカーブの制限速度になる手前でノッチをOFFに。
横浜に向けて丘陵を下るので、自然加速→ブレーキ操作の連続。上星川に向かって西谷のカーブを過ぎた直線でゆったり75km/hに加速、星川駅手前のカーブで減速。そのまま惰行で天王町を越えて西横浜駅手前で減速。急カーブかつ保土ヶ谷駅方面の国鉄貨物連絡のポイントを渡って、先行の普通が支えていようものなら、そのまま惰行。
平沼橋付近で信号開通とともに横浜駅目の前で気持ちノッチを入れる。というゆったりした経済運転ぶりだった。

そのゆったり感は鉄道に無関係な店主の先輩方は、酒席で未だに、親から聞いた話として「蒸気機関車が西谷の坂を上がれなかった」とか「横浜駅西口は砂利置場だった」、「神中砂利鉄道って言っていた」、知らない田舎モノは「
相撲鉄道」と言ってた(ソッチカイ-苦笑)。など話が出る。

それだけ、神中線相鉄線は農村部において急激に発展したのだが、昨今、開発宅地の住民の高齢化等で通勤客が頭打ち?の御様子。
東京圏の通勤客のベットタウン化を狙って直通運転工事を実施中だが、ドル箱の西谷~横浜間の運賃がJRと東急双方への直通化で減少するのか?
自前の横浜駅西口の商業施設への流動がどうなっていくのか。渋谷、新宿、銀座にかなり流れてしまうのか?

朝7時頃から8時頃までは、東京方面に向かう「(若い)正装」OLが足早に改札口を抜け、8時から9時頃は家事をこなして、ギリギリに市内企業に向かう「髪の毛振り乱した・・・」が怒濤の勢いで改札を通過という笑い話ような事象(※)が将来も残るのか。
※この話は、酒席で、のろい相鉄の話題を振ると、御利用の髪振り乱す側の先輩女性陣が、良く笑い話にしてました。(笑) 
※あと星川にガラス瓶製造会社とカーリット製造会社があって貨物の引き込み線があったのが懐かしい。 
5000形
 相模鉄道5000形5013
↑店主的には美しすぎる「美魔女」 5000系  運転台後ろに客窓増設の18m車体(3次車)
  5 0 0 0 0 系 諸 元 表
  製造年  形状  全長  主電動機  台車形式  ギア比  定格速度  自重 (t) 定員  廃車 
5001
.321
~5004 
S30.12.01  片運 17680  55kw×4  日立KBD108C   6.34  40.9km/h  実測27.0
M2は25.9
 130(50)  S47.07.26 
5005~5006  S32.05.20 18680  75kw×4  日立KBD108A   5.44  47.6km/h   29.0  136(56)
5007~5010 S32.05.20  S47.12.22
5011~5012 S34.01.07 日立KH22 
空気バネ
 47.4km/h
5013~5016  S34.04.01  S50.04.22  
5017~5020  S35.12.20 中間  30.3  150(58)
 超 雑 比 較 (MMの回転数?)
 京急1000系 S34  --   18000  75kw×4  TS310/OK18 TS/5.5
OK/4.63
 43km/h  33  140 1001~48 
車体窓割り等のデザインについて 
私鉄経営者協会が昭和30年8月1日に鉄道車両用標準車体仕様書を制定するに至った。経過詳細→岳南鉄道1100形の項へ
相鉄5000系は
竣工予定日から察するに、制定日に向けてこの5000形で日立の技術力、デザイン力、一貫制作能力を、相鉄はメジャーな鉄道会社をアピールする場として、
S29年には開発が進行していた。当時の関係者の思い出としてピク672号P122~に記述がある。
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当初の予定では昭和30年夏に竣工するはずだったが、種々の事情で遅れ(中略)星川工場に11月9日であった。(中略)12月14日に招待展示試運転を行った後(中略)S31年の元旦から営業運転に入ったのであった。
メーカーはこの5000形を記録的な軽量高性能車にしたい。という意識が強かったようで試作的な面が多かった。
1次新車と呼んだ最初の4両はテストカーと言っても良いほどだったと思う」(後略)
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仕様書の制定発表=記者発表にぶつけたかった?日立の気合いが判ろうというもの。※東急5000系は電気品を東芝に統一された。(鉄ピク335号P68)
当然、各メーカーは各委員会に関係者を出席させているので、入手した情報で先回りをし、自社アピールの場のチャンスを狙っていた。 
その1年前のS29.11に新性能、新機軸車として東急5000系がモノコック車体重量(ガラ)8.8t、窓配置は「標準車体L-3L」、駆動方式を直角カルダンにして東横線に姿を見せて、濃緑一色を纏い世の中にアッピールしていた。
対する相鉄(日立)は実質1年遅れなので車体塗色を複雑な色でアピールしたのかも。奇しくも形式が5000で同じである。
車体に関しては当時「鉄道車両用標準車体仕様書」が5000形竣工予定時期に制定され、仕様書で制定される車体外形、台枠、ドア、部品等を仕様書にほぼ合わせておけば、陸運局の申請通りも良いし、余計な指摘や確認事項などの摩擦は回避できる?ので、車体は区間車用のL-3L形式図の配列にしたのだろう。
外見の窓割り寸法も先頭700mm乗務員ドア500間500客ドア1200間300客窓(戸袋)950桟200客窓(開閉)950×3・・・で寸法が若干違うも配列は同じ。
5000系は中間車を4両新製を最後に増備を終了した。後続は20m車MT編成の6000系になった。
しかし、この時期、増大する輸送需要に相鉄は5000系の製造とともに、安価な17m廃車国電を17両も購入して車体更新した上で増備とし、新旧平行増備作戦をとった。
S30制定私鉄標準車体L-3L 
相模鉄道5000形5014 
 ↑Hゴムが白黒ブチになっている。錯覚で黒の方が大きく見えるが実際もピンポン!だったりして(苦笑) 
相模鉄道5000形5014
↑折り返し白黒ブチ顔の5014が通勤客を満載して西谷に進入
相模鉄道5000形5013
 主電動機のこと
昭和29年 私鉄経営者協会は「技術委員会・電車改善連合委員会」による「電気鉄道車両用標準電動機仕様書」を「標準車体」より1年早い5月27日に制定した
これによって数年間、業界で「縛り」が出来、事実上の標準化の基本となった。以下、抜粋と店主が傍線を引きました。日立の主張が盛り込まれている状況があります。
相模鉄道5000形 
【直角カルダン駆動・発電ブレーキの始祖】
 日立製作所は駆動方式として直角カルダンを提案し採用された。5000系の台車は軸距離2200mmだが、国鉄のDT21をはじめとする新型各車の台車は2100mmであった。
 直角カルダンなので装架するために軸距離が伸びてしまうのが原因。

 相鉄では一番最初に発電ブレーキを装備したが後続が続かず、なんとVVVF車まで発電ブレーキが無かった。
 ディスクブレーキのみで何ともエレガントに停止する車両達だった

相模鉄道5000形5016
 ↑5016F 中間電動車入組成
相模鉄道5000形 
 ↑流し撮りと思って後追いするとオヨヨ! 
相模鉄道5000形+クハ6500
 ↑6000系Tcを牽引中。
相模鉄道5100形時代5104
5000形はS47.726竣工の5100形に車体を載せ替えされた。 この写真ラッキー!5101Fと5105F6連。理由は下記
写真の5101FはMMが55kwのはずだったが、車体アルミ化関係の文献は全て65KWとされている。なぜ65KW標記にしたのか?
絶縁種別を上げる巻直しで耐熱容量をアップして「実効65KW」にしたのかナゾである。アップの記載されている資料を見落としていたらすいません。
ユニット全体でで80KW増は制御器や関連機器は変更不要か手直し済んだ??--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
S45に2000系をアルミ車体化して車体重量を軽減モハ2000が41.5t~42.5tだったものがアルミ化でモハ2100が33~35tとなり、車体延長して17m→20mになっても在来の足回りで充分?イケルとなった。
5000系はこの時点で製造後15年、丁度更新の準備に入ろうとする頃と想像されるが、
2100系のアルミ車体化は成功しているので、車体を延長して5000形のと同等程度(1~4:27t、5~16:29t、中間車17~20:30.3t)の車体軽量化となれば、輸送力(収容力)増大となり、相鉄の車体長を20mに揃える絶好のチャンスである
(1) 最初の4両の車体長が1m短く、主電動機の容量が55kwと小さく運用上問題、5000系全体で20両の小所帯
(2) 車体外板の腐食が進行していた
     軽量化のために屋根・外板を通常2.3mmのところ1.6mmと約3割も薄くした等の結果、1~10号の外板の腐食が激しいので、同様にアルミ化の理由の1つにされてしまった。
     ※腐食が進行すれば鋼板の板厚がさらに薄くなり、腐食部分を切り取って新たな鋼板を溶接には薄すぎて、溶接が事実上難しいのではと。
  結果、主な電気品を流用して車体を東急車輌がアルミで先行製作した2100系と同様の車体の5100形となった。
(3)冷房機器搭載車体が耐えられない
    モノコック構造と軽量化の限界設計ゆえ、冷房搭載とMGの大容量化等の床下吊下機器重量増加に車体が耐えられない。
5000形をそのまま車体更新断念の理由がてんこ盛りになってしまった。現場的には床下点検の煩雑さが、最大の場外ホームランなのかも知れない。
普通に考えると2000系を全車アルミ化してから5000形と思うのだが、2000系44両の更新中に並行的してS47.7に6両、S47.12に6両、S50に8両、全20両の更新が実施された。
※2000系の全車2100系化はS45~54まで

車重については5000形竣工時のM1が27t、M2が25.9t、アルミ化5100系はS51.1現在30.0tで揃えられており、75kwのMMであれば他社並みとなる(超雑比較表参照)。
短期間ではあったが発電ブレーキHSC-Dを装備して、VVVF化まで頑張った。
しかし、5101~4はMM出力が低く、代打要員となって稼働が少ない状態だった。理由は相鉄の運用は出庫から入庫まで急行と普通がミックスされているので、多分、増強65KW?MMにかなり負担がかかり、MMや主抵抗器等の発熱が結構あったのでは?と推察。
台車はそのままで5101~5110までがコイルバネのKBD108、11~20がエアサスのKHH22エアサス

 MGについては5107Fから相鉄と日立が開発したブラシレスMGを搭載、サイリスタインバータ登場まで、整流子の手入れ不要のBLMGは全国のスター機器であった。
S63からVVVF化が開始されて台車、主電動機も新品に変更され、遂に5000形の主要機器は無くなった。←小部品が残ったかどうかも判りません $(_ _)$
 旧 型 国 電
相模鉄道モハ2000形2023
 ↑まっとうな2000系旅客車の写真はこれしかない。 
モハ2023→S50.モニ2023化(国鉄モハ11033払下→モハ2023、S35.6車体更新入線)
旧型車のうち、S34~36にかけて西武に倣えとばかりに17両も国鉄から廃車になった旧型国電を購入。
東急車輌で更新してから入線させた。当時の17両の存在は大きく、5000系20両と同等に輸送の主力を張っていた。
写真のモハ2023はS1. 日車製鉄道省モハ30049→クモハ11013→東急車輌で車体更新S35.6.16付で入線

その後S50.7にモニ2023に改造され、S53.7に横浜方に貫通式運転台を増設、
さらにS57.1には架線状態観測用のドームが設けられるという、外観的に改造が一番多い車両だったのではないだろうか?
平成19年2月廃車となった。 
相模鉄道クハ2500形
↑↓ 昭和44年頃の写真。こんな感じで走っていたということで・・・。このころは比較的走っていた
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道モハ2000形
相模鉄道クハ2500形2506
クニ2506 
 初代のクハ2506はS27.5に買収国電青梅モハ504を片運転台化した。S41.12廃車
2代目クハ2506はS42.01東横車両電設で新たに製造されたが、書類上、廃車と竣工の期間が1ヶ月では廃車前から製造されていたようで、俗に言う車体**名義??
この時期に17m車を新造するとは考えにくく、窓配置から国鉄モハ11(旧モハ30系)の出物のタネ車?があったと思える。
S50.7東横車両電設でクニ2506に改造された。荷物列車廃止でクニ2511と同じくS53.11日立電鉄へ譲渡した。 
日立電鉄にクハ2504として入線した。 
日立電鉄サハ2504形
 相模鉄道クハ2500形2513
↑クハ2513 
日車製、鉄道省モハ30193→クハ38097→クハ16161払下、東急車輌更新クハ2513 →S35.10.17付入線、
S49.1.21付廃車 
相模鉄道2100系2603
↑2100系  2103F客窓は2段ユニットサッシ(モハ2101~8,クハ2601~4が該当)
2100系の初期車の屋根のカーブは車体より深狭く、雨樋の幅が広すぎる?程であった。以降の更新車はカーブが浅くなっている。 
S1.川造製 鉄道省モハ30016→クハ38056→クハ16106→払下、東急車輌更新 →S35.6.16付入線、クハ2509→S47.12.22廃車※
部品確保のみで車体、台車→西武所沢工場、大場工場経由で伊豆箱大雄山へクハ185。廃車日付は温存?→東急車輌アルミ化S46.10.26付竣工クハ2603に
2606Fは標準屋根?のカーブ。雨樋幅も狭くなっている 
相模鉄道モハ2100系クハ2606
電装品、足回りはそのまま流用されたが、台車の揺れ枕をオイルダンパに変更し、ブレーキシリンダを装荷し台車の見附が変わった。
すいまへんなぁ~台車だけを撮影した写真があらへんで~。ブレーキシリンダとダンパは何とか・・・。
 
 ↑屋根深トップナンバー4連急行 ハナタレ、夕方まで粘ったよう
 
 ↑海老名旧駅 3M1Tの4連急行
3010系
相模鉄道モハ3000系クハ3511
↑6000系とテールランプの形状が違う 
 3010系のタネ車両はS21年にメーカーが国鉄向けに製造中のモハ63形を(大)東急小田原線に入線させた新車6両と相模鉄道が購入した戦災復旧車3両の合計9両。
 それに3010系車体載替時に編成上必要となったサハ1両を新製。3010系は合計10両となった。
 新製63形の入線は大手私鉄に振り向け、地方私鉄に手持ちの16~18m車を供出させるためのトコロ天式便宜策で、(大)東急小田原線向けに20両が振られ、デハ1800形、クハ1850形となった。
 本来なら(大)東急小田原線で全車活躍、生涯を全うしても。と思うのだが、先行入線8両の小田原線での評判が悪く、後続12両はイキナリ(大)東急に経営委託していた相模鉄道に配属されてしまった。
 S22.05.31に(大)東急の経営委託解除に伴って相鉄線には下表のモハ63形の新製6両が相模鉄道に移籍した。
 
 この運用で相模鉄道は施設を20m車運行用に整備、後の相鉄の輸送力の基礎となった。
 ※(旧)相模鉄道はS18.4.1に神中鉄道と合併。約1年後のS19.6.1にに茅ヶ崎~橋本、寒川~四之宮間を国鉄に買収されて、配属時点は神中鉄道の路線のみとなっている
 ※S21.12に横浜~二俣川の600V区間の昇圧を果たして横浜~海老名間の全線1500V化が完成した。
 3000系番号変遷
元車番(※下記注記参照)  入線時車号(年月) S26.11.18改番   廃車 機器流用視点からの
3010系新規車番・竣工 
流用台枠車番 
K:モハ63208(新製S21.8) デハ1806-S22.6.1 モハ3001 S39.7.7 モハ3011 /S39.8.25  新製
K:モハ63196(新製S21.6) デハ1807-  〃 モハ3002  S40.4.8 モハ3012/S40.4.8  クハ3501
W:モハ63100(新製S21.4) デハ1808-  〃 モハ3003  S40.2.25 モハ3013/S40.2.26   モハ3006
N:モハ63311(新製S21.8・非電装)   クハ1856-S22.6.1  クハ3501  S39.12.9 クハ3511/S39.12.12  モハ3001
N:モハ63321(新製S21.9・非電装)   クハ1857-  〃 クハ3502  S40.7.3 クハ3512/S40.7.5-  モハ3003
N:モハ63323(新製S21.9・非電装) クハ1858-  〃 クハ3503→モハ3006
(S35.3.19電装) 
S39.10.8 モハ3016/S39.10.16   新製
N:モハ60003(戦災)半流  デハ1307-S24.8.26
復旧:本田工業所
モハ3004  S40.11.24 モハ3014/S40.11.24   クハ3502
N:サハ48025(戦災) モハ3005-S28.04.28
復旧電装:浦田車両興業
モハ3005  S41.1.24  モハ3015/S41.1.24 クハ3504
N:モハ63056(事故廃車S24.3) クハ3504-S27.10.30
復旧:カテツ交通工業
クハ3504  S40.8.19 クハ3513/S40.8.26  モハ3002
T:サハ3514(3010系化時に新製増備)  ー  ー ー  サハ3514/ S41.5.16 新製 
※新製時の番号はメーカーの受注番号で国鉄入籍は無い。竣工入線時は(大)東急番号を正式番号としている。
※メーカー略称K:汽車東京、W:川崎車両、N:日本車輌東京、T:東急車輌 
<東急との関係、小田急乗入、全線電化と京浜230形の応援> 
 昭和10年代には神中鉄道の資金力が枯渇して、資本金を半減するなど運営体制の脆弱さから東京横浜電鉄がS14に(株)を過半数買い付けていた。
 (旧)相模鉄道も同じく東京横浜電鉄がS15筆頭株主になって経営権は実質、五島慶太になりS18.2.1(S18.4.1記述あり)相模、神中の両社が合併し、
存続会社名は相模鉄道になった。ところが、1年もしないうちに相模鉄道の厚木線本体はS19.6に国有化され、神中線のみが相模鉄道として残った。
<電化> 
 大東急グループ傘下になって援助や融通が受けられるようになり、入手困難な石油燃料動力から転換すべく、東急相模野臨時建設部により電化・複線化工事が進められた。
 S17.5に星川変電所完成(S21.12.26廃止)同年6.1から(神中鉄道)横浜~西谷間を自社星川変電所送電で電化、東京横浜電鉄からの木造譲渡車10両で運行を始めた。
 二俣川に向けて延伸、西谷~二俣川を東急渋谷営業局高島変電所から600Vの給電で電化。S18.8.1に600V区間の電化が完了した。
 ※S18.4.1相模鉄道に合併したので神中鉄道としての運転は約10ヶ月であった。
 続けて海老名からは新宿営業局(小田急)柿生変電所から1500V受電で二俣川方向に電化工事を進め、海老名~相模大塚がS18.12.23に、相模大塚~二俣川が
S19.9.20に完成、異電圧の全線電化が完成した。
  異電圧区間を直通する横浜~海老名間の列車1往復あり、蒸気牽引であった。蒸気列車の最終運行について手持ち文献が無いが、全線同一電圧化までに旅客蒸気列車は廃止、貨物はS25.5国鉄から払い下げを受けた電動貨車モワ1~3、S26.6モワ1があり、電動貨車が貨物を牽引した記述もある。
  厚木線(相模国分~厚木)はS24.11.1に電化されたが、この時点で新たな電気動力の貨物牽引車が無いので蒸気が活躍していたのか。まさかの小田急借り入れ?
  ちなみに全廃直前に活躍していたと思われる「1」,「2」、「4」号機はS26.7.19廃車。「3」号機はS24.10.30碧南臨海鉄道に転出。で旅客、貨物全廃詳細不明。
 ※蒸気機関車は他にも在籍していたと思われますが、本稿は鉄道ピクトリアル468号P141車両変遷表から廃止直前稼働機とおぼしきを抽出したのみです
 ※(旧)相模鉄道厚木線の蒸気は国有化もあって戦後の神中線に乗り入れていないと勝手に判断しました。C12も在籍・・・。
 ※全線電化をS19.5とする記載もあるが、実際と届けの違いか誤記か不明。
 ※S21.12.27に600V区間は東急電鉄湘南線から給電を受けて1500V化され、少ない負担でとりあえず全線の電圧は統一された。
  自社電源化は二俣川変電所2000KWが完成してS24.04.02東急電鉄小田原線、京浜線からの受電を停止
 ※自社厚木線(相模国分~厚木)はS24.11.1に電化。東急に経営委託時に横浜~海老名間を「厚木線」としたので「厚木線」の名称扱いは本気でヤヤコシイ。

<小田急厚木乗入>
  神中鉄道はS16.11.24に相模国分から海老名(小田原線列車は通過)に至る路線を開業、小田急線に渡り線を設けS16.12.25からディーゼルカーが相模川を渡り、小田急線相模厚木(現:本厚木)に1日4往復乗り入れた。同時に相模国分~(国鉄)厚木間は旅客営業を廃止して貨物専用となった。
  S48に.相鉄海老名駅と同位置に小田原線海老名駅が設置され、小田急線の海老名国分駅は廃止された。
  ディーゼルカーの乗り入れは戦局の悪化に伴いS18.3.31限りで中止。電化後S20.12.25から二俣川から~相模厚木乗入を再開、S21.12.26に1500V統一後は横浜~相模厚木13往復の乗入を開始し、S24.4.10~16往復に、以降17~18往復となって、S34..4.1~12往復、S37.12.3に6往復、S39.11.4で乗入廃止となった。廃止理由は小田急線列車頻度が高くなって相模厚木駅の構内余裕が無くなったこと、海老名駅で小田原線下り本線横断の余裕が無いことが理由とされた。
  ※S20.12.25乗り入れ再開時の運用は横浜~二俣川600V車4運用、二俣川~海老名間は1500V車2運用(朝夕2本が相模厚木まで直通)

<東急京浜線デハ5230形の異軌間活躍>
 600Vと1500V異電圧の期間、応援車として横浜空襲で一部焼損していた東京急行京浜線の複電圧車デハ5230形5281,5285の2両が、井の頭線デハ1450形焼損車の台車を履いて1067mm軌間車両で復活。主に1500V区間車としてS20.12.25から前述のように二俣川~厚木(本厚木)間の直通運転を行った。
 複電圧で横浜~本厚木間を走行したとすると約2年間の直通活躍であったようだ。
 荻原二郎氏の記述によれば、デハ5230形2両は主電動機を1450形の75HPを利用。車体は回送用台車で東神奈川(新町車庫から横持ち?)~星川(工場)、台車は永福町から小田原線経由、海老名~星川まで台車のみ4台を結合させて夜間回送した。と記載されている。
神中線・厚木線は進駐軍専用車両も運行されていたので,GHQから横浜~厚木間の直通運転要望があったのではないか?
大東急京浜線に復帰したのは全線1500V化になる直前のS22.11付。
※230形が異軌間台車を履いたもう一つの事例は昭和52年3月10日深夜(装着は11日未明)琴平電鉄向け輸送時に京急産業道路駅電停067mm甲種車両用台車に履き替え、塩浜操車場経由で高松まで輸送された→こちら
※湘南線クハ5220を台車自体を改軌しクハ3140として3両、600V区間に編入した。昇圧後は碑文谷工場経由→南海貴志川線に、電動車は静岡鉄道等に譲渡された
 このような柔軟なことが可能だったのは、小田急、京浜が統制で大東急の一員となったこと、
S19.6に相模線の国有化で社員が分散し、S20.6.1資金や体制が不充分な相模鉄道が1年の契約で東急に経営委託し、体制が整うのにさらに1年延長され昭和22年5月に契約期間満了になった事実がある。同時に東急の持株は新生相鉄役員に譲渡された。
 神中線は厚木線と呼称された。文献の委託契約書には「鉄道営業にかかる一切の費用を東京急行電鉄が負担する」詳細が記載され、如何に相鉄の体力が弱体化しているかが読み取れる。
※委託解除はS22.05.31付け→新生相模鉄道の誕生 
<余談>
 鉄道ピクトリアル相鉄特集各号を読むと東急関係者は「経営委託」を相鉄飛躍の鍵と記載、対する相鉄関係者は「経営委託」の事実を文字表現程度に記載、50周年社史には「東京横浜電鉄の各線改良工事の廃物・余剰品をくず物商に払い下げても、実質価格の1/3程度で再利用法を検討した結果、神中鉄道を傘下に収めてこれを転用使用とした」(要約)と会社公式書物に記載された。しかし、東急社史編室の方は「鉄道ピクトリアル269号」で「当社(注:東急のこと)は絶えず各鉄道線の改良を行い、設備の改良につとめてきたので、未電化の同社をさん下に収め、変電所や電車を転用しようということで、前記のように昭和14年9月にさん下におさめたのである。(中略)当社の手持ち材料によることとし、星川変電所の建設を進めた(以下略)」との記述がある。
 さらに鉄道ピクトリアル誌相鉄特集で「乗っ取り」とまで記載する方がいて双方の感情がかなり相違している。
 しかし、大東急の「乗っ取りに」あって電化工事が進捗し、電力融通、車両確保や20m車入線、小田原線の相模厚木乗り入れ、京浜線車両の台車を交換してまで相鉄の輸送力をアップのマネージメントしたことは間違いない。これら施策が現在の相鉄の屋台になっていることを考えると、恩義を感じない書き方の当時の相鉄関係者は一体どのような感情を持っていたのだろうか。
 さらに「スマートな最新式ディーゼルカーから大正11年12月汽車会社東京支店製の木造中古電車に乗せられることになり、しかも西谷で乗り換えさせられることになった乗客は迷惑なことだったろう」と高名な鉄道ファンであった相鉄関係者の記述は、現在のリスクマネジメントがんじがらめの社会でファンサービスの文章としても絶対にあり得ない、自由な時代の貴重な記述文として店主、感極まります。
相模鉄道トフ402
↑荷電時代のモニ1008、トフ402 
新製時(S2)は小田急モハ1形→(大)東急(S17)デハ1150形S17貸与名目で1150~59、62~65が相鉄入線、後60、61も含めS22.11譲受→S26改番モハ1000形に。うち1007~1009の3両は中間車化されずに使用され、S40.8届出で星川工場内で東横車両の出張工事により荷物車両モニ1000形に改造された。
竣工は1008(S40.7).1007(同10月,1009(同12月)
日立電鉄モハ1008
↑↓日立電鉄に譲渡、塞いでいた戸袋窓を再度開けた。詳細→日立電鉄吊掛車
日立電鉄モハ1009
 ED10形
相模鉄道ED10形貨物
↑↓ 電気機関車ED10 米軍ジェット燃料輸送で空タンク車を保土ヶ谷経由で返送
1~2がS27.5.東洋電機製、3が29.6、4が関係会社の東洋工機(平塚)でS40.4製
台車は国電仕様のDT-13、MMは国電で使用されたMT30、128kw×4、機関車の皮をかむった電車
相模鉄道ED10形貨物
  相模鉄道その2 小田急電鉄1970年代  箱根登山鉄道1970年代 
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