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日立電鉄 吊掛在来車の時代
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→営団車時代(その1)へ |
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↑大甕で交換+時間調整中の常北太田行き モハ1000形1006号 |
小田急開業時のモハ1形転入車両
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↑店主が所有している小田急モハ1形に一番近い形状の写真。モニ化に当たってドア両端の客窓塞ぎ、車体中央の荷物ドアの新設が行われた。
エアでトフの後ろの非Hゴムの前面窓と両端の客ドア間に1段下降の客窓が連続していたとご想像下さい(苦笑) |
小田急の開業時のモハ1形が直接または相鉄を経由して10両在籍していた。
小田急が昭和2年4月一挙に新宿〜小田原全線開業時に18両が
新宿〜稲田登戸(向ヶ丘遊園)間のローカル用乙車として日車で製作された車両。
本表に掲載の車両写真は原則コメント入れてません $(_ _)$
日立現車号 |
小田急
モハ1形 |
大東急改番
モハ1150形 |
分離後の小田急改番
モハ1100形(廃車年) |
相模鉄道 (入年)→改番・改形式(年)
※一斉改番はS26.11 |
【入年】日立改番(年) |
廃車 |
モハ1001 |
5 |
1155 |
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デハ1155(S22)※S17年以降に貸与→モハ1001(S26) |
【S38.12】S43~S44?車体更新、片運化 |
H4.7 |
モハ1002 |
6 |
1156 |
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デハ1156(S22)※S17年以降に貸与→モハ1002(S26) |
【S38.12】S43~S44?車体更新、パンタ無中間電動車 |
H4.7 |
モハ1003 |
7 |
1157 |
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デハ1157(S22)※S17年以降に貸与→モハ1003(S26) |
【S38.12】S43~S44?車体更新両運 |
H4.11 |
モハ1004 |
2 |
1152 |
1102(S35.02) |
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【S35.8】1001(S39)→改番。車体更新S40or41?片運化 |
H4.11 |
モハ1005 |
4 |
1154 |
1104(S35.02) |
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【S35.8】1002(S39)→改番。車体更新S40or41?片運化 |
H4.11 |
モハ1006
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9 |
1104 |
1109(S35.02) |
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【S35.8】1003(S39)→改番。 車体更新 S40or41?ワンマン化(S47) |
H5.4 |
モハ1007 |
13 |
1163 |
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デハ1163(S22)→モハ1007(S26.11)→
モニ1007(S40.10) →S53.1廃車、日立用竣工 |
【S54.5】座席設置等旅客設備設置、両開扉片方固定(S54.05付)片運化 |
H3.12 |
モハ1008 |
14 |
1164 |
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デハ1164(S22)→モハ1008(S26.11)→
モニ1008(S40.7)→S53.11廃車、日立用竣工 |
【S54.5】座席設置等旅客設備設置、両開扉片方固定(S54.05付)片運化 |
H3.12 |
モハ 1009 |
15 |
1165 |
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デハ1165(S22)→モハ1009(S26.11)→
モニ1009(S40.12)→S53.11廃車、日立用竣工 |
【S54.5】座席設置等旅客設備設置、両開扉片方固定(S54.05付)片運化 |
H3.12 |
サハ1501 |
3 |
1153 |
1109(S35.02) |
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【S35.8】→車体更新S40or41?中間車 |
H4.11 |
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↑モハ1000形1001 |
一連の車体更新は久慈浜工場で行ったのか?どうも記載を探しているんですが調査能力低く不明です。
客窓廻り等が東濃鉄道駄知線モハ100形の車体に似ている様な気がするが東芝製であるからその系統はあり得ない。
どこかの車両メーカーの出張工事なのか、メーカーに送り込んだのか |
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↑パンタ無の日立電鉄唯一の中間電動車モハ1002。1(小田急1102→S35.8入)
同僚他車の車体更新に比較するとノーシル,ノーヘッダで窓の高さ等の関係でツルンな鈍重感がある。 |
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モハ1005-サハ1501-サハ2801-モハ1004(常北太田方) |
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↑モハ1004 |
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↑サハ2801 |
側面から見ると台形、独特な流線型?前面構造を持っていた(前)相模鉄道相模線のキハ1000形電気式ディーゼルカーの同形付随車(キサハ1101)としてS13竣工した。
S19.6.1相模鉄道茅ヶ崎〜橋本間とこの間に分岐する支線が国有化された。何故かこの車両だけ相模鉄道に残り、国有化されてコハ2370に改番されて使用された。
→昭和26年3月払下で相鉄線に戻りサハ1101となったが同年9月の一斉改番でサハ2801された。この時点での車体は同じで非貫通、その後、貫通路付切妻に改造されて3連で活躍後S34.10日立電鉄入りした。 |
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↓サハ2801のKSK-LL台車 鋼板組立、要所をL(逆T?)アングルとして強度を出している。 |
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↑サハ1501 |
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↑↓モハ1005 |
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↑↓モハ1006 |
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モハ1008-サハ2504-モハ1009(鮎川方) |
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↑モハ1009 |
下のモニ1008と比較すると相鉄から日立に入線するまでの間のどこかで
方向転換を行ったようで、モニ1008、1009とも車体が逆方向になっている。
大甕の連絡線が残存していた国鉄経由で入線の場合は改造工場での方転か、トレーラーなら
搬入時に反転したのか、方転しなければ行けなかった理由がイマイチ不明。 |
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↑相鉄線時代のモニ1008(トフ402の次)-再掲 |
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↑モハ1008 |
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↑クハ2504 |
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↑相鉄クニ2506→ 日立クハ2504 |
初代のクハ2506はS27.5に買収国電青梅モハ504を片運転台化した。S41.12廃車
2代目クハ2506はS42.01東横車両電設で新たに製造されたが、書類上、廃車と竣工の期間が1ヶ月では廃車前から製造されていたようで**名義??
この時期に17m車を新造するとは考えにくく、窓配置から国鉄モハ11(旧モハ30系)の出物のタネ車?があったと思える。
S50.7東横車両電設でクニ2506に改造された。荷物列車廃止でクニ2511と同じくS53.11日立電鉄へ譲渡した。客室整備を何処で行ったのか?東横車両電設か? |
↓クハ2503 ←相鉄クニ2511 |
相鉄クニ2511を客室整備。
国鉄クハ16121の払い下げを受け、S35.8東急車輌で車体更新した。S50にクニ2511に改造された。
S53荷物輸送列車のトラック化でS53.11日立入 |
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↑モハ9形 (常北太田方) |
S16年3月に経営権を日立製作所が握り、S19年7月に「常北電気鉄道」から「日立電鉄」に改名した。
モハ9,10の竣工がS18.5なので経営権を握ってしばし後に日立製作所に発注されたと考えられる。
台車、電気品は日立製S38に貫通路を設置、S46にワンマン改造を行った。日立電鉄が発注した唯一の車両 |
↓鮎川方 |
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↑(常北太田方) モハ11形モハ12↓(鮎川方)
S23日立製。営団に納入される車両を2両(モハ11,12)回して貰ったという「伝説」の車両
鮎川方の貫通路は狭いため、使用出来ないように手摺りを渡している。日立製作所の銘版が読める |
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↑モハ13号 |
前身は側面から見ると台形、独特な流線型?前面構造を持つ(前)相模鉄道相模線のキハ1000形電気式ディーゼルカー。S10.汽車会社製で括制御付き。 相模線をキサハ1101を挟んで3連でも運用された。さしずめ今風に記号化するとEDc-DT-EDc or Dec-DT-Dec S17年、相模線から神中鉄道に移籍し(合併はS18.2.1)翌年、相模鉄道SはS19.6.1国有化されて何故かキサハ1101だけが残った。 経営的にはすでに神中鉄道の資金力が枯渇して、資本金を半減するなど運営体制の脆弱さから東急がS14に(株)を過半数買い付けていた。
相模鉄道も同じく東京横浜電鉄がS15筆頭株主になって経営権は実質、五島慶太になりS18.2.1相模、神中の両社が合併した。
存続会社名は相模鉄道になった。
これによって大東急グループの援助や融通が受けられるようになり、資材困難な中、電化工事が進められた。
て二俣川を境に横浜〜順次二俣川までが自社給電と東横線から給電で600V、海老名からは1500Vで二俣川方向に電化が進んでいた。
電圧は違うものの、S19.5全線の電化が完成した。
※S21.12に小田急、京浜電鉄から1500V給電を受けながら1500V化され、少ない負担でとりあえず全線の電圧は統一された。
S20.6.1資金や体制が不充分な相模鉄道は東急に経営委託をした。※委託解除はS22.05.31付け→新生相模鉄道の誕生
この間、電気式気動車キハ1000形は機関を撤去してパンタを乗せ、主電動機(TDK583-H-B)を2個直列として600V仕様の電車デハ1000形1001〜1004とした。
電車化工事はS18に2両、S21に2両が竣工し、その後、デハ1050形に改番され、電圧統一までの間、デハ1000形は横浜〜二俣川の600V区間で使用された。
全線1500V化の後は、600Vの東急東横線に転籍して2連組成で運用された。
車両不足のラッシュに使用するも、TKK※の東横線では小型過ぎてS22前半迄には日立電鉄へ譲渡された※書類上は23年1月
※TKK=とても(T)混んで(K)殺される(K)が後年、流行語となった。
-----------------ふうっ〜、前書きが長くなった〜。---------------
日立電鉄は当時ポール集電だったので集電装置はポールに換装された。換装場所、時期は不明。 |
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↑大体こんな形の流線形車体で。
店主写真持ってないのでラフということですいません。 |
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モハ13形14号 |
昭和10年の竣工の台枠・車体が平成の世まで大活躍。台形流線型の形状は汽車会社設計陣が他社に、負けじの安価な流線型の夢だったのか。
日立電鉄でもそのままの形態で活躍していたが、将来のワンマン化を見据えたのかS40にカマボコ断面の貫通型に大改造。
前面の傾斜部分を垂直に立ち上げて、貫通路を設けて片隅運転台を作り、その側に乗務員扉を設置した。
電気式気動車時代からのTDKモーターは交換されなかったようで、なかなかの長寿だった。 |
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↑モハ1301
S4宇部鉄道モハ21形モハ22として竣工、国有化後S28に改番され1300形となる。富山港線を最後にS32.11転入した。 |
■ 営団車時代(その1)へ |
記載につきまして鉄道ピクトリアルNo286,405,546小田急特集、
No320,672相鉄特集の各項、No418関東ローカル私鉄特集日立電鉄(茨城大学鉄道研究会)、
朝日新聞社刊世界の鉄道’65を参照させて頂きました。 |
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