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2023.04.15 Ver1.01
ページを分割しました→栗原電鉄 その2へ |
大正7年栗原軌道→昭和16年栗原鉄道→昭和30年栗原電鉄→昭和39年宮城中央交通→昭和44年栗原電鉄→平成7年くりはら田園鉄道(内燃化)→平成19年廃止
当初ナロー蒸気で平野部の農産物を運搬目的に開業。昭和17年細倉鉱山に到達、昭和25年ナローのまま電化、昭和30年9月1067mmに改軌。
東北には鉱山運搬鉄道として秋田県の小坂鉄道、廃墟の工員住宅で有名な岩手県松尾鉱山、松尾鉱業鉄道を思い出す。でも店主松尾は車窓から廃墟のみ(涙)
本稿を作成するにあたり、鉄道図書刊行会発行「私鉄車両めぐり特輯第1分冊」栗原鉄道 柏木璋一様著、同社鉄道ピクトリアル477号栗原電鉄 小林隆雄様著、同560号「西武鉄道時代を築いた電車たち」園田政雄様著、同「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」小松丘様、大山俊行様、高橋健一様共著、同「西武鉄道の国鉄電車」久保敏様著、朝日新聞社刊世界の鉄道1974版を参考にさせていただきました。御礼申しあげます。
※M181号の石越→細倉間の生録を聞きながらも如何ですか→生録セレクション(苦笑)ページ |
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最初の訪問は1977(S52).04上野発23時21分EF8027が牽引する十和田3号にて石越6:42分スハフ422027で到着。 |
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↑昭和61年8月の石越駅。栗原電鉄は翌年4月に国鉄が民営化される
既に経営が厳しい状態があって駅の周囲にはスローガンが掲げられている。 |
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↑店主2回目にして最後の訪問の翌年、1987(S62)に貨物営業が廃止となったが、
ED35形351の貨物列車は痛恨のバック撮影で、これが撮り納めとなってしまった。
車体も貨物営業廃止を見越して塗装がパッチワークになっている。運転士(機関士?)が貨車の状況を確認している |
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昭和52年訪問時の電気機関車と貨物列車 |
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↑ネガカビだらけのスキャンで・・・。ED203 |
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栗原電鉄の電気機関車の形式は車体の自重で表した。
ED20形は20t機関車でED201~3号機 |
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↑ 貨車入替中 若柳にも農協があり、
肥料、農薬なのだろうか輸送用のワムが在線していた。 |
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↑出発準備完了で通票を渡す
線路を歩いている背広組はハテ? |
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↑石越に向けて出発。最後尾に木造の車掌車ワフ7がお供している。
台枠から上は木造なので連結、発停車の際のドッカンドッカンは車体に応えたのでは無いか |
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↑昭和52年訪問時
↓昭和61年訪問時にはED20形のカラーリングが変っていた。 |
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↑ED202は部品供出車となっていたが、保存時にパンタも戻された。一体どのパンタが?? |
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↑若柳の高校へ通学する細倉方面からの学生が大量に下車。↑
以降鉱山閉山、過疎化の進行で同じ若柳町内だが、高校も2001年(H13)統合された |
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栗原電鉄石越駅でびっくりしたのは、構内にPC枕木が敷設されていて近代化が進んでいる!
と感激したが、全線でPC枕木はホーム部分だけだった事が直ぐに判明。
左下に上の写真に続くワイヤーが延びている。写真下に車止め、上に架線終端標がちょっぴり写ってエンド写真を構成。写真のパンタ部分に掛かる場内信号機用ワイヤの状況が判る
一番電車が構内進入してきた |
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↑7時01分石越着の一番電車から通勤客がどっと?降車。国鉄駅に急ぐ
駅員さんはタブレットを持って駅務室に急ぐ。
石積みホームの下は右後方の腕木信号機用ワイヤーが張られている |
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栗原電鉄と言えば、幻~ぃ~っ!のM17,C17 |
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↑石越で折返して細倉に向かうM171+C171。
この編成は栗原電鉄唯一の密連装着車。
右側に自重35tのED35形351、M181が留置中 |
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↑↓1987(S62)に訪ねた時は機器の不具合もあって約3ヶ月前に廃車になっていた。
廃車故、自力で走行出来ない状態で密着連結器には自連アダプターを付けている。
来歴は国鉄クモハ11435→西武クモハ375→C17、国鉄クモハ11477→西武クモハ376→M17。
所沢工場でMc-Tc編成に改造して1977(S52)から栗原電鉄で稼働した。
しかし、モーター出力が100KW×4と大きく、自社発注M15の2.5倍の電力を喰い、加えて車重も重く30kgレールの線路への悪影響も懸念された。
ラッシュ用に導入したはずが通学客は毎年落ち込み、入線から僅か数年で M18単行で充分な程までになってしまい、入線10年目の1987年に早々に廃車となった
活躍期間が短く朝夕以外は若柳庫で昼寝。遠来の旧国ファンにとっては走行写真を撮りにくかった幻の車両であった。
店主、なぜこの編成を購入したのか聞きそびれているのが残念。※写真は訪問2回の混合掲載です。 |
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↑廃車留置中 ↓TR14 |
栗原電鉄と言えば湘南顔のM18? |
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↑石越駅に進入する |
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↑↓M181の車両銘版拡大。手持撮影なので拡大するとブレてるが、昔文字の感じが良い |
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↑栗原電鉄がS25年ナローで電化後、S30.9に1067mmに改軌した当時、木造Wルーフ16M車体にM16形としてお嫁入り。
改軌後の旅客営業は新車M15形3両と木造電動車M16形1両、3ヶ月遅れてS31年1月に木造制御車C14形2両の合計6両の陣容の
一員として活躍した。
M16の前身は大正15年武蔵野サハ315でデビュー→S3.8電動車化デハ310→S23.6改番モハ204→で約7年活躍ののち栗原電鉄へ。
しかし、竣工後30年を経過した大正時代を彷彿とさせる木造電動車故、栗原電鉄入線の3年後S34.8に西武所沢工場に送り込まれ 車体延長・鋼体化され、→M18形181となった。
各書に旧車の機器を流用とあるので、そのまま鋼体化すれば良いのではと考えるのだが何故、車体延長をしたのか?栗原側が大型車が欲しいと言ったのか?それとも18mにするのに丁度良い台●の存在があったのか。どうもわざわざ「車体延長」が腑に落ちない
同じお顔の西武モハ351(初代モハ501)は昭和29年に登場。3年後にモハ501(2代目)が登場して、車体は昭和33年に最終製造のモハ501
(2代目) 501~20が製造されたS33年の1年後輩の円熟作品?
比較すると正面は手摺りの数、位置までクリソツ、客窓は2代目の仕様寸法。 テールランプは半円盤返式のため、埋め込み式になっていること、連結器高さは880mmで同じだが前面下部の切り欠きが無い。
窓桟は塗られているのでモハ501初代(クモハ351)の雰囲気に仕上がっている |
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車 両 寸 法 対 比 表 (単位mm)
出典:鉄道図書刊行会編 日本民営鉄道車両形式図集 |
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西武モハ501→411→クモハ351 |
栗原M18 |
製造初年 |
S29 |
S34鋼体化 |
車体全長 |
16,355(17,000連結器入) |
18,000(18,640連結器入) |
車体幅 |
2,805(2,930手摺入) |
2,605(2,740手摺入) |
車高 |
床面まで1,200、床面から2,500 |
床面まで1,170、床面から2,470 |
全高 |
3,700(通風機除),3880(通風機入) |
3,640(通風機除),3905(通風機入) |
客窓想像 |
座席全長3600/4窓=900(座席,ドア間含平均)
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座席全長6,500/7窓=928(座席,ドア間含平均) |
客用ドア幅 |
1,100 |
1,100 |
クモハ351の客用窓の寸法を流用したのか想像したくて対比してみましたが、
単純に写真で比較するとクモハ501の窓に似ていると感じるのです
これは模型をされている方の方が詳しそうで、いずれ車体寸法図が入手できたら、決着出来そうです
前面窓についてはクモハ351は車体幅が20cm広く、
ワイパー部分の避けもあり、って、こちらも同じ寸法では無さそうです。 |
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昭和29年に登場のモハ501※当時クモハ称号無→モハ411→クモハ351
詳細には程遠いですが西武旧型ページへ |
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↓S32年に登場した501系の20mバージョン。モハ501 2代目
2代目のスッキリさが、S34に仕立てられたM181になく、
どうも初代モハ501(最終クモハ351)のニホイがプンプンする。
客窓・ドアは2代目の仕様だが、客窓は塗装が施されてモッサリ感充分。
寸法が一緒なら面白いんだが。エアに考えると初代、2代目のモハ501の製造は既に終了。
そこで予備品や他の豊富な旧部品などをかき集め、旧車部品の流用と言いつつ、
適宜、組んだような。エア想像をする。 |
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↑塗り分けの違いで印象が変わる。
西武鉄道が自社の車両の増備に力を入れて時期に地方に車両を送り出す余力に感心する |
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↑栗原田町での交換風景
上下のホームがずれている |
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↑栗原市役所があって商店が多い「栗原田町駅」から買い物帰りと思われる主婦の皆様 |
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↑↓細倉駅付近で勾配走行連写失敗の巻
後方に遠方信号機? |
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栗 原 電 鉄 車 両 一 覧
電圧直流750V
※鉱山線DB1、1995(H7).3電化廃止内燃化のくりはら田園鉄道時代等店主の撮影していない車両は触れていません |
形式 |
両数 |
全長(mm) |
自重(t) |
主電動機(kw) |
電動機形式 |
台車 |
製造(改造)所 |
製造(入線)年 |
旧所有/ 旧番号等 |
廃車 |
特記事項 |
M15 |
3
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15,700 |
27 |
40×4 |
MB-330Ar |
FS21 |
ナニワ工機 |
S30.9 |
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H7.3 |
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M17 |
1 |
16,800 |
43 |
100×4 |
MT-7 |
TR-14 |
西武所沢工 |
T14 (S52.12) |
モハ11477→クモハ376 |
S62.5 |
750V降圧改造 |
M18 |
1 |
18,640 |
36 |
85×4 |
SE-102 |
TR-14 |
日車→
(西武所沢工) |
T15.10
(Wルーフ木造16M)
M161(S30.9)入線
S34.8
車体延長・鋼体化→M181 |
武蔵野サハ315→
S3.8M化デハ310→
S23.6改番モハ204→
M161 →M181 |
H7.3 |
|
M18 |
2 |
18,700 |
34 |
90×4 |
SE-201A |
NA-31 |
日車 |
S46 (H3.8) |
福島交通モハ5318→M182,
5319→M183
|
H7.3 |
福島交通
1500V昇圧のため |
C15 |
2 |
15,700 |
20 |
- |
- |
TR-14 |
川崎造船
(ナニワ工機)
(西武所沢工) |
T12.2
S31.1改造入線
S35:C151,
S36:C152
|
木造車 阪急81→C141
同 86→C142
鋼体化車体延長
同 |
H7.3 |
S52台車交換
TR-11→
|
C17 |
1 |
16,800 |
33 |
- |
- |
TR-14 |
西武所沢工 |
T14(S52.12) |
モハ11435→クモハ375 |
S62.5 |
入線時電装解除C化 |
ED20 |
3 |
8,768 |
20
|
40×4
|
MB-202Br |
|
中日本重工 |
S25(ナロー仕様) |
202:S62 廃車 |
H7.3 |
S30ナロー→改軌 |
ED35 |
1 |
11050 |
35 |
85×4 |
MT-26 |
TR-22 |
東洋工機
(西武所沢工) |
S30
(S44) |
東武日光軌道線ED611
S43.2廃止
|
H7.3 |
初代東芝製凸電西武1号機
S4.4解体。 2代目
600V→750V改造
|
ト10 |
4 |
6,312 |
5.3 |
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日車 |
M43 西武経由 |
S58ト101廃車
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H19.3 |
播丹鉄道ト3377~79 |
ワフ7 |
4 |
6,312 |
6.3 |
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T3天野製
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ワフ71→(S30)
同 72→ 〃
同 73→ 〃
同 74→(S34)
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武蔵野鉄道ワブ形
西武ワブ6→ワフ16
→栗原ワフ74 |
右欄 |
廃車時期
ワフ71→1987
同 72→ 1978
同 73→ 1983
同 74→H19.3 |
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=== 栗原電鉄 その2へ=== |
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