大正7年栗原軌道→昭和16年栗原鉄道→昭和30年栗原電鉄→昭和39年宮城中央交通→昭和44年栗原電鉄→平成7年くりはら田園鉄道(内燃化)→平成19年廃止
当初ナロー蒸気で平野部の農産物を運搬目的に開業。昭和17年細倉鉱山に到達、昭和25年ナローのまま電化、昭和30年9月1067mmに改軌。
東北には鉱山運搬鉄道として秋田県の小坂鉄道、廃墟の工員住宅で有名な岩手県松尾鉱山、松尾鉱業鉄道を思い出す。でも店主松尾は車窓から廃墟のみ(涙) 
 
 本稿を作成するにあたり、鉄道図書刊行会発行「私鉄車両めぐり特輯第1分冊」栗原鉄道 柏木璋一様著、同社鉄道ピクトリアル477号
栗原電鉄 小林隆雄様著、同560号「西武鉄道時代を築いた電車たち」園田政雄様著、
同「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」小松丘様、大山俊行様、高橋健一様共著、
同「西武鉄道の国鉄電車」久保敏様著、朝日新聞社刊世界の鉄道1974版を参考にさせていただきました。御礼申しあげます。
栗原電鉄M15形151
 最初の訪問は1977(S52).04上野発23時21分EF8027が牽引する十和田3号にて石越6:42分スハフ422027で到着。 
栗原電鉄石越駅昭和61年8月
昭和61年8月の石越駅。栗原電鉄は翌年4月に国鉄が民営化される既に経営が厳しい状態があって駅の周囲にはスローガンが掲げられている。
栗原電鉄ED35形351
↑店主2回目にして最後の訪問の翌年、1987(S62)に貨物営業が廃止となったが、ED35形351の貨物列車は痛恨のバック撮影で、これが撮り納めとなってしまった。
車体も貨物営業廃止を見越して塗装がパッチワークになっている。運転士(機関士?)が貨車の状況を確認している 
昭和52年訪問時の電気機関車と貨物列車
栗原電鉄ED20形203
 ↑ネガカビだらけのスキャンで・・・。ED203
 栗原電鉄ED20形203
栗原電鉄ED20形201、202、203
栗原電鉄の電気機関車の形式は車体の自重で表した。ED20形は20t機関車でED201~3号機
栗原電鉄貨物組成中
 ↑ 貨車入替中  若柳にも農協があり、肥料、農薬なのだろうかワムが在線していた。
栗原電鉄ED20形201牽引貨物
 ↑出発準備完了で通票を渡す
栗原電鉄ED20形201牽引貨物
 ↑石越に向けて出発。最後尾に木造の車掌車ワフ7がお供している。台枠から上は木造なので連結、発停車の際のドッカンドッカンは車体に応えたのでは無いか
栗原電鉄ED20形203
 ↑昭和52年昭和61年訪問時にはED20形のカラーリングが変っていた。
栗原電鉄ED20形203、202
ED202は部品供出車となっていたが、保存時にパンタも戻された。一体どのパンタが?? 
栗原電鉄C15形C152、M15形153
若柳の高校へ通学する細倉方面からの学生が大量に下車。↑↓写真は1977(S52)のもの。以降鉱山閉山、過疎化の進行で同じ若柳町内だが、高校も2001年(H13)統合された
栗原電鉄C17形171
7時01分石越着の一番電車から通勤客がどっと?降車。駅員さんはタブレットを持って駅務室に急ぐ。石積みホームの下は右後方の腕木信号機用ワイヤーが張られている
栗原電鉄石越駅構内
 栗原電鉄石越駅でびっくりしたのは、構内にPC枕木が敷設されていて近代化が進んでいる!と感激したが、全線でPC枕木はホーム部分だけだった事が直ぐに判明。
左下に上の写真に続くワイヤーが延びている
。写真下に車止め、上に架線終端標がちょっぴり写ってエンド写真を構成。パンタ部分に掛かる場内信号機用ワイヤの状況が判る  
 栗原電鉄と言えば、幻~ぃ~っ!のM17,C17
栗原電鉄M17形171
栗原電鉄M17形171車内
栗原電鉄若柳車庫
 ↑石越で折返して細倉に向かうM171+C171。この編成は栗原電鉄唯一の密連装着車。右側に自重35tのED35形351、M181が留置中 
栗原電鉄M17形171
栗原電鉄C17形171
↑↓1987(S62)に訪ねた時は機器の不具合もあって約3ヶ月前に廃車になっていた。
      廃車故、自力で走行出来ない状態で密着連結器には自連アダプターを付けている。 
      来歴は国鉄クモハ11435→西武クモハ375→C17、国鉄クモハ11477→西武クモハ376→M17。
      所沢工場でMc-Tc編成に改造して1977(S52)から栗原電鉄で稼働した。
      しかし、モーター出力が100KW×4と大きく、自社発注M15の2.5倍の電力を喰い、加えて車重も重く30kgレールの線路への悪影響も懸念された。
      ラッシュ用に導入したはずが通学客は毎年落ち込み、入線から僅か数年で M18単行で充分な程までになってしまい、入線10年目の1987年に早々に廃車となった
      活躍期間が短く朝夕以外は若柳庫で昼寝。遠来の旧国ファンにとっては走行写真を撮りにくかった幻の車両であった。
      店主、なぜこの編成を購入したのか聞きそびれているのが残念。※写真は訪問2回の混合掲載です。

栗原電鉄C17形171、ED2形203
栗原電鉄M17形171
栗原電鉄M17形171
栗原電鉄と言えば湘南顔のM18? 
栗原電鉄M18形181
 ↑石越駅に進入する
栗原電鉄M18形181
 ↑↓M181の車両銘版拡大。手持撮影なので拡大するとブレてるが、昔文字の感じが良い
栗原電鉄M18形181
栗原電鉄M18形181
栗原電鉄M18形181
栗原電鉄がS25年ナローで電化後、S30.9に1067mmに改軌した当時、木造Wルーフ16M車体にM16形としてお嫁入り。
   改軌後の旅客営業は新車M15形3両と木造電動車M16形1両、3ヶ月遅れてS31年1月に木造制御車C14形2両の合計6両の陣容の
  一員として活躍した。
   M16の前身は大正15年武蔵野サハ315でデビュー→S3.8電動車化デハ310→S23.6改番モハ204→で約7年活躍ののち栗原電鉄へ。
   しかし、竣工後30年を経過した大正時代を彷彿とさせる木造電動車故、栗原電鉄入線の3年後S34.8に西武所沢工場に送り込まれ
   車体延長・鋼体化され、→M18形181となった。
   各書に旧車の機器を流用とあるので、そのまま鋼体化すれば良いのではと考えるのだが何故、車体延長をしたのか?栗原側が大型車
   が欲しいと言ったのか?それとも18mにするのに丁度良い台●の存在があったのか。どうもわざわざ「車体延長」が腑に落ちない
   同じお顔の西武モハ351(初代モハ501)は昭和29年に登場。3年後にモハ501(2代目)が登場して、車体は昭和33年に最終製造の
   モハ501   (2代目) 501~20が製造されたS33年の1年後輩の円熟作品?
   比較すると正面は手摺りの数、位置までクリソツ、客窓は2代目の仕様寸法。 テールランプは半円盤返式のため、埋め込み式に
   なっていること、連結器高さは880mmで同じだが前面下部の切り欠きが無い。
  窓桟は塗られているのでモハ501初代(クモハ351)の雰囲気に仕上がっている   
車 両 寸 法 対 比 表   (単位mm)
出典:鉄道図書刊行会編 日本民営鉄道車両形式図集
西武モハ501→411→クモハ351  栗原M18 
製造初年  S29   S34鋼体化
車体全長  16,355(17,000連結器入) 18,000(18,640連結器入) 
車体幅  2,805(2,930手摺入)  2,605(2,740手摺入)  
車高  床面まで1,200、床面から2,500  床面まで1,170、床面から2,470 
全高   3,700(通風機除),3880(通風機入)  3,640(通風機除),3905(通風機入) 
客窓想像  座席全長3600/4窓=900(座席,ドア間含平均)
座席全長6,500/7窓=928(座席,ドア間含平均) 
客用ドア幅   1,100 1,100 
クモハ351の客用窓の寸法を流用したのか想像したくて対比してみましたが、単純に写真で比較するとクモハ501の窓に似ていると感じるのですが、
これは
模型をされている方の方が詳しそうで、いずれ車体寸法図が入手できたら、決着出来そうです
前面窓についてはクモハ351は車体幅が20cm広く、ワイパー部分の避けもあり、って、こちらも同じ寸法では無さそうです。 
西武クモハ351
 昭和29年に登場のモハ501※当時クモハ称号無→モハ411→クモハ351 詳細には程遠いですが西武旧型ページへ
栗原電鉄M18形181
S32年に登場した501系の20mバージョン。モハ501 2代目
2代目のスッキリさが、S34に仕立てられたM181になく、どうも初代モハ501(最終クモハ351)のニホイがプンプンする。
客窓・ドアは2代目の仕様だが、客窓は塗装が施されてモッサリ感充分。寸法が一緒なら面白いんだが。
エアに考えると初代、2代目のモハ501の製造は既に終了。
そこで予備品や他の豊富な旧部品などをかき集め、旧車部品の流用と言いつつ、適宜、組んだような。エア想像をする。
塗り分けの違いで印象が変わる。西武鉄道が自社の車両の増備に力を入れて時期に地方に車両を送り出す余力に感心する 
栗原電鉄M18形181
栗原電鉄M18形181、M15形151
栗原電鉄M18形181
 ↑栗原市役所があって商店が多い「栗原田町駅」から買い物帰りと思われる主婦の皆様
栗原電鉄M18形181
↑↓細倉駅付近で連写失敗の巻 後方に遠方信号機?
栗原電鉄M18形181
栗 原 電 鉄 車 両 一 覧  
電圧直流750V
 ※鉱山線DB1、1995(H7).3電化廃止内燃化のくりはら田園鉄道時代
等店主の撮影していない車両は触れていません
 形式 両数  全長(mm)  自重(t)  主電動機(kw)  電動機形式 台車  製造(改造)所  製造(入線)年  旧所有/ 旧番号等 廃車  特記事項 
M15
 15,700   27   40×4  MB-330Ar  FS21  ナニワ工機  S30.9    H7.3    
M17  16,800   43  100×4 MT-7  TR-14   西武所沢工 T14 (S52.12) モハ11477→クモハ376  S62.5  750V降圧改造 
M18   18,640   36  85×4 SE-102  TR-14  日車→
(西武所沢工)
 T15.10
(Wルーフ木造16M)
M161(S30.9)入線
S34.8
車体延長・鋼体化→M181
武蔵野サハ315→
S3.8M化デハ310→
S23.6改番モハ204→
M161 →M181
H7.3   
M18   18,700  34  90×4 SE-201A  NA-31 日車  S46 (H3.8)  福島交通モハ5318→M182,
5319→M183
H7.3   福島交通
1500V昇圧のため
C15   15,700  20  -  - TR-14  川崎造船
(ナニワ工機)
(西武所沢工)
T12.2
S31.1改造入線
S35:C151,
S36:C152
 木造車 阪急81→C141
    同        86→C142
 鋼体化車体延長
    同
H7.3    S52台車交換
TR-11→
C17  1  16,800  33  -  -  TR-14  西武所沢工 T14(S52.12)   モハ11435→クモハ375  S62.5  入線時電装解除C化 
ED20     8,768  20
 40×4
 MB-202Br    中日本重工  S25(ナロー仕様)  202:S62 廃車 H7.3   S30ナロー→改軌
ED35   11050  35   85×4 MT-26   TR-22  東洋工機
(西武所沢工)
 S30
(S44)
 東武日光軌道線ED611
 S43.2廃止
H7.3  初代東芝製凸電西武1号機
S4.4解体。 2代目
600V→750V改造
ト10  6,312  5.3        日車  M43 西武経由  S58ト101廃車
H19.3  播丹鉄道ト3377~79 
ワフ7   4 6,312  6.3        T3天野製
 
ワフ71→(S30)
 同  72→   〃
 同  73→   〃
 同  74→(S34)
 武蔵野鉄道ワブ形
 西武ワブ6→ワフ16
 →栗原ワフ74
右欄  廃車時期
 ワフ71→1987
  同  72→ 1978
  同  73→ 1983
  同  74→H19.3
宅急便のない時代
栗原電鉄若柳荷扱い
 ↑↓若柳駅事務室前の石畳。列車を停めて小荷物を前後の客扉からバンバン搬出。4人がかりの総力戦? 精密部品輸送は無理そうです(苦笑)
栗原電鉄若柳荷扱い
栗原電鉄若柳荷扱い
 栗原電鉄の主役と言えばM15形   M151,M152,M153 3両
  ナローからの改軌が1955(昭和30)9.27完成して1067mm軌間の電車による旅客輸送が開始された。
   車体は岳南モハ1100の項で述べた標準化の地下水脈?車両のトップバッターとしてナニワ工機で一気に3両製造された。
   電気品は細倉鉱山が三菱なので、当然三菱電機製。最高速度は75km/hで穀倉地帯を快走した。
 
栗原電鉄M15形152
細倉駅にて。 ホーム嵩上げの石積み位置はナローから改軌して車両が大型化、車両限界も大きくなったので、若干後退させて上積みしている
栗原電鉄M15形151
 ↑トップナンバー M151
栗原電鉄M15形152
 ↑穀倉地帯のど真ん中を行くM152
栗原電鉄M15形152
栗原電鉄M15形152
 栗原電鉄M15形152
 ↑細倉へ至る勾配区間を登る
栗原電鉄M15形152
栗原電鉄M15形152
 ↑唯一の秋法トンネルを抜ける
栗原電鉄M15形152
栗原電鉄M15形153
昭和30年製。新機軸の台車やMG等機器等が導入され、時代としては先進的な車両であった
住友のFS21を履いて登場 。当時の住友台車の台枠は鋳鋼製が多く、軽量化のため台枠に穴抜きを行っているが、周辺の亀裂防止のため鍔を付けてけている。
台枠にブレーキシリンダを取付け片押し式ブレーキシュー、枕バネにオイルダンパを付けた新機軸台車を採用したのは純新造の意地であろう。
実際、店主が乗車した時代は保線もそれほど悪化しておらず、最高速度に近い状況でも乗り心地は良かった。
出力は西鉄北九州線の1000形連接車主電動機45kw(×4個)より5kw低い40kw(×4個)であり、市内電車より非力であったが、
ギア比を低くして高速域を稼いでいた。しかし、この車両にC15を連結して運用、鶯沢から細倉までの曲線連続勾配を牽引するのだから
モーターも結構な負荷だったと思われる。もっとも、乗客のピークは栗駒町エリア付近で過ぎているので満員牽引と言うことでも無さそう。
店主が本社を訪問した際に、一番先に資料として見せて頂いたのはM15形の車両カタログであった。東北の誉れ※である。
※十和田観光電鉄の3400形も同時期に帝国車両で製作されている→こちらで店主的に「東北の誉れ」は2車、2社でありまする。
栗原電鉄M15形153
 ↑↓M153
栗原電鉄M15形153
栗原電鉄M15形車内
 ↑M152の車内(半分)  蛍光灯カバーは破損防止を兼ねたシャレ乙なデザイン
 栗原電鉄の制御車と言えばC15形 C151、C152
改軌当時の付随車は大正12川造製の阪急の木造車が2両、ナニワ工機で西武からと言われている中古の釣合梁台車を履かせて81→C141、86→C142として
昭和31年に竣工した。M15に木造の制御車とはなんとも珍妙な組成である。この際の走行スピードは一体何km/hだったのか?興味あるところ。
流石に木造車は鋼体化されることになって各車、1959(S34)、1960(S35)に西武所沢に入場、車体1mを伸長して15m化、M151と同様にした。
車体はM15の設計図をそのまま使用して乗務員室の分窓1つ増やして片運化、通風機も綺麗に同じ形に。完コピー車で登場した(としか思えない)
こうなると、「なにやらが」お得意の工場だけに台枠1m延長する大工事より、どこかのタネ車の台枠を流用、書類名義で1m延長?とも疑りたくなる。
当時、流用するに適当な15m車って?あくまでも店主のエアな推測です。
栗原電鉄CM15形151
 ↑C15の前面窓は一旦四角に切り抜いて内側から薄手鋼板をHゴム支持用に溶接。後から前面ガラスを入れる手法。
    山形交通三山線モハ107,110形等も同じ手法

    ※M15もHゴムを取りつける基本は同じだが、前面窓に枠材を沿わせて溶接、Hゴム嵌めしている点が相違。
栗原電鉄M15形151
栗原電鉄M15形153
1977訪問時 後方のC152の雨樋はほぼ真っ直ぐ。1986訪問時。雨樋のドア上形状がM15のように大型に変更されている
栗原電鉄C15形152
栗原電鉄M15形151,C15形
 ↑C152とM151の並び。運転台側にM15等が連結されて牽引されても大丈夫なように、後部標識灯が付いている。
栗原電鉄若柳ホーム
若柳駅に留置されるC152,C151。運転台は石越方向となっている。
栗原電鉄C15形152
栗原電鉄CM15形
栗原電鉄C15形152
石越から回送でやって来て、トレーラーを開放するために入替中 
災害復旧臨時貨物列車
 1986.08訪問前に栗原田町~尾松間(尾松側)で土砂崩れが発生し、土砂の除去工事が行われていた。
訪問時も作業列車が運行されると言うことで現場に行って撮影させて頂いた。
 ↑出発前
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車
 ↑尾松駅方向の災害現場に向かう
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車
 ↑↓人力スコップ作戦でト102、103に土砂を投入してゆく。
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂積み込み中
無蓋貨車ト102、103に投入される土砂だが、機関車を除いて全て木造車!
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
 ↑↓取卸現場に到着。
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車土砂取卸中
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車推進運転
 取卸終了後、営業列車に道を空けるため推進にて栗駒へ戻る。
 
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車帰庫
↑↓作業終了後、栗駒で機関車と車掌車ワフを位置交換して若柳車庫に戻る。 
栗原電鉄ED20形201災害復旧貨物列車帰庫
1986年訪問時ダイヤ  
 通勤か通学者の要望があったのか、細倉始発は5時38分石越着6時17分になっている。
 国鉄接続ダイヤも東北新幹線が開業して長距離列車は壊滅。
 鉱山線列車は既に休止。1988(S63)10.27付廃止

 ※栗原電鉄1985(S60年)改正ダイヤに店主加筆作成
   栗原電鉄様が団体訪問用に増結、車種指定走行、臨時スジを設定してくださいました。
1977訪問時ダイヤ
 細倉始発が6時20分石越着7:01分のまったりしたダイヤ。この頃は鉱山も稼働中で鉱山貨物ダイヤが設定されている  
 国鉄接続には懐かしい列車名が記載されている。駅略号も面白い。「ウエ」なんて何処ぞの駅や!
M171編成は朝細倉の1番列車2レで石越へ3レで細倉返し8レで石越着回送91レで若柳入庫。(現認)
ダイヤ通りで行けば朝イチで下るためには学生帰宅狙いで98レ出庫回送、石越19レ→細倉24レ→
石越23レ(細倉泊)だったのか?でも、そんなに空気輸送したのか。細倉まで送り込み設定を作って
いたのかこの点が不明。ダイヤの(註)書が輸送力列車のようだが・・・。
※栗原電鉄は駅配線の関係で通常若柳で車両交換は基本やらず、石越迄回送を設定している。
  C15を細倉開放で留置き、拾て併結する列車もありそうで今更聞けないのが残念。
 
 貨     車
栗原電鉄ト1形102、103
 ↑↓ト10形は貫通するブレーキ管を持っていたが自車ブレーキは足掛けブレーキのみの昔車両。ブレーキシューが1軸2箇所しかありません。↑写真は101(端のみ)~103
栗原電鉄ト1形102、103
栗原電鉄ワフ70形71
 ワフ71  ↓ワフ74     ワフはエアタンク付けて貫通ブレーキが動作するこの頃の国鉄貨車はほぼ2段リンク化されたが、高速走行しないので1段リンクバネ。
栗原電鉄ワフ70形74
栗原電鉄と言えばM18形182、183と言えない店主 
栗原電鉄M182福島交通当時の5318
福島交通時代の写真 
店主としては栗原電鉄時代の現車を知らない(大涙)
福島交通の1500V昇圧で、同じ750Vの栗原電鉄が5318、5319号を譲受してM182,M183とした。
S46 日車製90kW×4。出力も大きいし、収容力も大きいので輸送力列車以外余り使用されなかったのではないかと推測。
栗原電鉄便所小屋
↑↓ストラクチャーとして屋根瓦のズレ方や電線の引き回し等風雪を感じます
栗原電鉄便所小屋
栗原電鉄の資産の活用して若柳駅周辺にミュージアムや栗電ゾーンが出来ています→こちら栗原市 
M18石越発細倉行き 生録42分
   湘南2枚窓M18形181号 SE102形モーター音。石越ではドアエンジンの減圧弁?不良で凄い扉の閉り方→力走します
石越駅にて 
 ↑↓↓東北新幹線が開業して短編成に改造された電車だらけ。
↑50Hz クハ455 20● 
 ↑↓ED75も絶好調の時期
 速度重視の小荷物列車  MAX75km/hの2軸貨車+コキと思いきや、黄色線が入った貨車が組成されているので65km/hかも??
フィルムの危機紹介
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所  
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