フィルムスキャン&プリントのS、 鈴木写真変電所
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 十和田観光電鉄(その1)  十和田観光電鉄 その2へ(生録3401号)
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 十和田観光電鉄鉄道線は2012年3月末を以て廃止されました。

 十和田市、三沢市の市勢凋落と道路の発達で、近年、自力で事業の継続が難しくなっており、
 老朽化した東急3000系の取り替えも沿線市町村の補助が無くては、不可能な状況であった。
 しかし車両は出物。社員、OB総力の必死の根回しが奏功して、沿線市町村の補助も決定、
 2002年9月22日から、あっと驚くインバータ制御車が営業開始となった。

 しかし、東北新幹線が、十和田観光電鉄の下を交差。南部縦貫鉄道悲願の「七戸」に駅名こそ違えど駅が誕生。
 店主が10年前に訪問したときは、東北新幹線との交差点に駅が出来ないと定期外旅客が激減し、死活問題になることが
 予測されていた。
 十鉄は十和田市駅と駅ビルを横断橋で直結、テナントのダイエーには鉄道利用客がある程度あった。
 その後、三沢、十和田周辺の商店街は下田に出来た「イオンモール」に根こそぎお客をとられ、商店街が成り立たなくなる状況。
 十和田市駅ビルで気を吐いていたダイエーもこの影響とダイエー本体のリストラで閉店。(駅ビルの権利関係は未調査)
 駅ビル2階には鉄道の心臓部であるCTC等の運行管理施設や鉄道部が設置されてるが、退去要請が出て
 移転先とその費用が大きいことが問題となった。十鉄ビルが出来た当初、誰もがこんな展開になるとは思いもしなかったろう。
  
 地方は今や車で30〜40分かけて広大な「ショッピングセンター」へは当たり前。残る老人などを相手に商売では成り立たない。
 
 鉄道に情が厚かった東北の自治体は、細る財政事情で補助金の捻出が困難になり、
 積雪時の通学対策名目で十鉄も存続していたが、少子化が大進行。通学輸送も先が見えるような状況になりつつあった。

 十鉄は計画的に線路、施設、車両等全般のの整備を行っており、運行速度に対して充分な安全確保が行われている。
 しかし、京福正面衝突事故以来、国土交通省の地方鉄道自主的廃止促進政策?は苛烈を極め、
 沿線市町村が驚くように?億単位の長期設備更新や高額な安全対策を書かせて、資金繰りは知らん顔。
 バスの安上がり方策に誘導しているとしか思えない状況。
 スクールバスと前日までの予約で運行するデマンド村営バスとタクシーで地方の交通弱者対策を行うつもりのようだ。
 その状況は判らなくもない部分はあるが。
 経年劣化に対する「億金」は、沿線自治体にとって余りに高額な財政事情な世相になってしまったようだ。

 廃止後の気になる車両は制御装置が延命可能であれば、弘南鉄道が連絡線つながりで手を挙げるのではないか?
 同じ青森県なので、県主導で補助金問題などの絡まった糸をほぐして、山向こうにお嫁入りさせて欲しい。
 
 店主が一番最初に十鉄を訪れたときにご対応くださった当時の課長のO様は、その後要職に就かれ、十鉄をなにより愛し、
 存続のために粉骨砕身で職務を全うし、OBとなられた後も陰から鉄道の存続に尽力されておられましたが、体調をくずされ
 廃止前の2012年1月に電車の最後を見届けられずに、御逝去されたことは何よりも残念でした。合掌。
防雪林の「からまつ」が見事に紅葉していた高清水駅付近。
廃線数年前に運行保安のために伐採された。
 七百駅に接近する2404F
まだ車庫が無い時代。
連写-2
クハ2404

出発信号機の下に「客・貨」表示灯が。
連写-3
クハ2404
貨物の通過。
構内が貨物列車に対応して長く取ってある
si
 
定山渓からお輿入れ
モハ1207、クハ1208
お化粧中。
制御方式は手動進段であり、クハで制御するとノッチの進段時期がつかみにくいなど運転及び保守も含め現場では苦労が多かった。
七百の貨物積出ホーム
十和田市駅の奥にある留置線(旧十和田市駅)にクハを突っ込んで増解結すれば、モハは機回しなどしなくてよいため、モハの位置は三沢方になっていた。
撮影するときは大体逆光で、撮りにくい状況だった。
1955帝車(東急→総車)
クハ4401の客ドアの窓がが小さいのは、営団が客ドア窓を小さくして子供が外を見られなくすれば、挟み込み事故は減少するという「あきれる思考」を継続中。この車両はそれ以前の1962年川車製でその先鞭とも言うべき車両だが、戸袋窓とも合っておらず、どこぞの余剰ガラスでもはめ込んだのか?というスタイル。
前面の窓もモハに比べ小さいが貫通ドアの窓はほぼ同じか。
メーカーがモハの写真起こしで・・・。
 
いずれコメント予定
いずれコメント予定
ED402が牽引する貨物
上に同じ。
重連プレートが活躍した時代。
こちらの6×7のシャッタータイミングが次。
クハ4406+3401
今頃の線路は実に良く手入れされており、素晴らしいスピードで快走していた
主力として大活躍
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