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(その6-1)700形非冷房-朝ラッシュ不遇の時代へ 鳥見塚(バス停)付近定点撮影メイン |
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↑701
写真は電気ホーンをぶら下げ。 |
小田急HE車1959(S34)が登場して約7年後になにやら似たような方式で登場
京急はMが先頭、標準長の18M車体より0.5M長い18.35m、小田急のようにホーム長の制限より編成長でサハは17.5mとして4両編成で標準長とした。
衝突事故被害を小さくするため運転台足下に下駄を履かせて運転席をかさ上げ。
前面窓を小さくしてこのお姿。側窓のRは廃止。
京急初の4扉で製作され、8mmシネマによる両開き扉との乗降時間分析により、故障の少ないとされた片開きドアとして自線内の乗降時分短縮の目的も持っていた。
※片開き1200mmドア、1300mm両開きドアの採否は、乗降人数がほぼ同じ(何秒違う?)、故障率が半分、とされているが、当時の状況ではドアを閉める速度を上げないと両開きと同じ開閉時間にならないとか、ドアの両側にお客が並ぶと、開いた方から入り込む等の点を指摘する関係者もいた。
この時期は西武2兄弟が「俺は土地」「俺はマリン系」と三浦半島に進出を図ってきた時期で株式を買い占められると困ると、大東急時代の親分に、この面で助けて貰っていたので、経費縮減大変だった。
結果、文庫~谷津坂間に(店主仮称)西柴西武分譲地前駅が誕生することは無かったが(実現しなかったので話はマボロシ~)、車両制作費を縮減するという「錦の御旗」が振られ、2M2TでオールMを転換した●野●イズムが香る車両の登場となった。 |
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↑2次車にあたる711 |
ヨーロッパの香り漂う1次車の前面は小窓と不評、かつ運転台の足下の部分的なかさ上げ部分は、特に車掌の動線の邪魔になって、運転台は元の高さに下げられ、窓も下方に大きくなって貫通路窓は上方にも大きくなった。側面の客窓のRも復活した。
性能的には空転を少しでも押さえようと努力したものの、摩擦係数が下がる天候下では起動時から時速30~40km/h位に加速するまでの区間で700系を始めとする460,470,500の150kw2M2T編成4兄弟は空転が多発。レールはガリガリ削られ、保線のセクションはブラックな状況が続いた。 |
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↑登場間もない頃の713 |
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↑719F↓721F |
高加減速でスジを少しでも立てて国鉄に対抗する「商品」を育てたい運転側にとっては、待避駅手前で優等列車に「YG」、「Y」、「YY」、挙げ句に「R」を現示する原因にもなる車両は排除したかった。
しか~し、世の中そうは簡単に行かない。
鉄道会社は創業時からほぼ「技術関係者優位」。「運転側はこんな車両欲しいです」「じゃぁ考えてやろう」なんて言うくらい車両関係者の力は強かった。
自社に必要な特性を加味していろいろと細部を決めるのだが、その年の状況などで、当時は製作単価を御旗に粘る車両側と、商品価値を上げて将来の収益を上げたい側の関係+金融(株主)的な配慮を加味して常に「ジャッジ」が最終的に下されて増備車両が決まっていた。増備車の年度や車両数を眺めると何となく・・・。
さらに 、電気メーカー他の機器メーカーの技術の進歩は非常に早く、最近の状況を極言すれば、好きな部品をリストアップ。「ハコ屋」さんの規格車体チョイス。リストアップ部品の偽装艤装を依頼して納品を待つ的な状況が進み、さらに、さらに2000年後半以降車両メーカーに系列再編の大波が。路線的に競合するJRに車両を作って貰う的に鉄道会社も。
こんな状況から技術系、運転系の両部署は統合される流れが鉄道各社で発生する |
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朝ラッシュの金沢文庫~横浜間は700形(系)4連では、4扉でも4連では輸送力不足、この時間帯に上りに投入することは出来なかった。
結果として、60km/hあたりまでの加速力はどっこいどっこいか、若干上回る(オールM)の400形4連+2連(新町切離または、車両交換等)の6連が重用され、700系は下り列車の通学生対策に重用される状況となった。 |
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741、727 |
700形MTM編成×2の急行 |
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しかし、ラッシュ用の高性能車をこんな使い方していたのでは本末転倒?で、普通列車のスジを立てて、優等列車のスジを立てる2段階作戦が開始され、700系の一部編成はT車を1両抜き取って、当初の計画のMc-T-Mc×2本組成の6両編成を捻出した。
余ったサハはどうなったか?というと、遊ばせておくのは車両不足の中、「禁」であり、1000形4両編成に余剰サハ770形2両を組み入れて4M2Tの亀足編成を組成して、一時しのぎとした。
亀足編成は主に朝のラッシュ時に起動加速負荷の少ない優等列車に使用され、速攻、車庫に戻ってお休み的な運用を行った。
※検修現場は、主電動機の減流値の調整などを行ったが熱的な心配、運転は亀加速、ブレーキ操作で大変であった。
その後、1000形の増備も進んで、もう少し汎用性を持たせるため6M2Tとなったりしたが、「700形作る、1000形より優先」、「いやいや700形不要、1000形増備」のせめぎ合いは当時大変だった。
結果、安価なMTTMばかり増備が進んで、Mc単独の増備は一度も実現せず、仕方なくMTM化すればするほど、余剰T車の問題が生じ、当初の俊足MTM構想は瞬間的な時期に少数しか実現できず、1700の牽引車としての1000形はえらく迷惑を被った。
ようやく700形の増備は打ち切られ、1300の増備が進んだ。
非冷房だった700形は社会的要請から冷房化が開始され、冷房電源や冷房制御機器搭載のために4両固定にする巻返し作戦?で、1700形編成のT車組み込みは順次姿を消した。
しかし、冷房化により700形は車体重量が増加し、さらに亀足加速となって、本線運用から順次駆逐される運命となった。
この間、MTM編成が減少し、オール4両固定となっていった700形は、しばらく1000形併結12連の奇策や700形3編成の12両通勤快特運行など、700形の運用に運転側の苦労は続きまくった・・・。
詳細な時系列では多少異なりますが、大まかに。最後は本線運用の鬼っ子となった700形・・・。 |
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↑夏期輸送に頑張る亀足の通称1700編成4M2Tの6連。主電動機負荷の少ないように優等列車で転がした |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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