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京急800形(その1)
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表示速度改善のためページを分割しました。 |
京急800形は各駅停車(わざと普通とは言わない※)の運転速度を向上させる悲願の全電動車、4扉の800形が1978(S53)に誕生! |
800形の新機軸 |
・700系4扉車の後継として設計され、起動から60km/h位まで群を抜く加速力。減速も効き、ラッシュ時に4扉構造とともに時短
・8mmカメラで他社の1300mm両開き扉車と乗降時間を録画、検証し、ほぼ差が無いとして上層部の強力な意向で700形(系)に続く4扉 1,200mmの片開扉とした。
・ 客扉窓とほぼ同じ寸法の客窓で側面の一体的なデザインを狙ったが、801~804は外観の戸袋窓と客窓の寸法が予想外の凸凹に。後続車は揃えた。
・京急初の右手操作のワンハンドルによる加減速操作。遊ぶ左手のために小さな握りバーが取り付けられて操作時の体幹バランスを保った
・801編成には厚さ6mmの熱線反射吸収ガラスを入れてロールアップカーテン廃止。隧道、夜間は乗客同士の顔丸わかりのミラー電車に。
隣美人ならラッキー。窓枠は画期的なFRP製とした。試作で終了
・1ユニット3両全電動車ながら、主制御器1台で3両12個の主電動機をコントロール。6連では在来MMユニット比較、1台の主制御器等が浮くエコ設計
・全電気式ブレーキMBSシステムの導入、回生制動も取入れて使用電力量の削減。界磁チョッパでブレーキ時のカム進段ゴンゴン衝動がほぼ無くなった
・冷房機器は分散式冷房機で室内の屋根高さの重視派、集中式冷房機でメンテ面での平天井派のせめぎ合いで先頭車は分散式冷房に、試作編成は室内座席も先頭車の座席のモケット色は赤系、袖仕切りはクリーム、中間車の座席モケットは青系、袖仕切りは木調茶系となって、これもせめぎ合った。
会社としては「実績を見た上で量産時には統一する計画」と表記した。※当時は青系が「乗客の心理を鎮める環境になる」として統一されていた。座席補修用の生地在庫の増加も嫌われた。
等々の230形以来の一大エポックメーキングな車両(店主の独自判定)として登場した。順次書足しております。
ページは、登場当時の広幅の窓周り白の「ニューデザイン車」で構成しましたが、非撮影やデジイチの最近のつまらん写真もアップ。
※写真が多すぎて2ページに分割いたしました。
2018.01「(昔)真の京急」地上激走の快特他を順次アップしております。ながらでお楽しみ下さい
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前照灯丸形で登場した時代。 |
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↑↓登場間もない頃 ↓この後に2000形(系)の登場が近い600形と |
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以下、 車号編成順に・・・当時の「ニューデザイン」と「現行」を混ぜて・・・。 |
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↑801+802編成の運行番号「1」というだけの、まぁ~。
行先表示も「神奈川新町」ではなく「新町」時代です |
起動時から約30~35km/h位までは、従来のカム軸を回して電流を制御する抵抗制御方式。
実はこの領域が空転が一番起こりやすい魔の速度域なのだが、この点はオールMで粘着負担分散してギリギリの加速度を出すようにしていた。
ところが就役直後にいろいろ計測した担当の方は「カム軸の上がりが悪い。もっと早くカム軸を回せないか」「減流値の調整する?」等と機器の限界に近づく努力や調整をされていた。この結果、性能的に阪神のジェットカーを抜いたと思われる(店主体感比較)加速度に到達した。
中、高速域の伸びは分巻界磁チョッパ装置が働いて当初からジェットカーを上回っていた。
その後、現在までに様々な調整を経て、安定した動作で運用に使用された。
但し、1台の制御器の電流が当時の技術では大きくなるため、その辺の扱いも注意を要した。
さて、朝の上りのラッシュにバンバン投入されるはずの800形、下り列車でも活躍していた。
それは沿線各駅の学校に通う学生の牛歩乗車が遅延の大原因となっていて、仕方なく学生を4扉で吸い込んで、下り列車の遅延防止にも大活躍していた。
担当の方は「上りにもっと入れたいが、下りも遅れさせられないから」と涙で下り列車に投入の運用を組んでおられた。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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