|
京急800形-(その2)
|
丸灯時代・写真のある車番順掲載
※写真多数のため、通信速度の状況で表示に時間がかかります |
|
|
↑ 新車800形と引退間近の600形 |
|
↑↓日中は普通運用に6連は必要ないので急行で運用された |
|
↑↓しぶとく丸形前照灯写真をアピール。 |
登場当時は前照灯と客室電灯の使用を昼間の隧道内など照明が必要な場所以外はOFFにしていた。
その後、安全策としてバイクの昼間時点灯に倣い、線路周辺の作業関係者や一般者に視認しやすいように全国の鉄道事業者が導入。京急も倣った。
一方、客室内の電灯制御は駅舎自体が屋根やビルで暗い所、走行中もビル陰、橋桁など昼間でも明暗のある場所が増加、で、ON、OFFをやるとなると、ONの場所、OFFのタイミングは後部が編成によって場所が違うので、運転士の負担が重く、安全運転に集中するためには運行区間全点灯を余儀なくされているのが現状。それを考えながら昼間乗車していると、灯けたり消したりの場所が、かなりあることがわかる。 |
|
|
竣工記念パンフレット |
DX冊子版 |
両面2ツ折版 |
|
|
|
|
|
|
↑ゆらゆら800形(角灯時代・・御眼休め・・・)
超望遠レンズで撮影。陽炎が凄くてこうなりました。
風が吹いていればノープロブレムなのですが。
線路間中央の距離表示杭が100m毎に並んでいます |
前照灯角形 (こちらも車号編成順で) |
|
↑連結器とジャンパ関係。↓6連化後はつなぐ必要ないのでさっぱり |
|
奇しくも「800形」は1000形初代の高性能試作車として登場
何かの縁があるのか2代目の番号を襲名した。 |
|
|
何故右手ワンハンドルになったのか
|
設計側から見ると運転席の足下は拡大したい。その右側は広大なスペースがあり、その場所に従来の主幹制御器を横倒しにして入れてしまえ。の発想であった。
東急車両で製造した「江ノ電1000形以降」、「イズハコ新型車」非貫通タイプにこの考え方と機器が採用されている。
その後に登場したJR車両は何故左手か?ノッチは左手操作を変えたくなかった?バックするのに左手操作がやりやすい?からか?可能になったのは機器の接点の電子化小型化のなせる技。
なお、当初、デッドマン装置はノッチ棒を右手各指の握力で握り込む形のスイッチであったが、「現場としては」上から手を乗せて操作する方が「絵馬」※になりにくいとの要望があり、究極の安全を考えた握りスイッチ方式は上に手を載せてスイッチを押し込む他社と同様の方式に変更された。※「エマ」と読みます(苦笑)emergency・・・ |
|
|
|
↑ 戸袋窓と客用窓の高さが違って凸凹した理由は「当初、設計図では同じように・・・。」と 現車出来上がりの盲点だったようなお話を聞いた。製造中に関係者は「あっ!・・・」 既に車体には異なる大きさの穴が・・。ガラス関係は発注済み・・。 |
↓805~は戸袋窓窓寸法を縮小して外見上、客窓と同一に見えるように変更した。 |
|
|
|
↑↓店主が団体の会報用に会社の御厚意を頂いて登場直前に1週間ぐらい徹夜で引いた図面。
アッ!ホンマヤァ~。確かに窓が同寸法になってはるぅ~。(明石屋さんま調で)
ロットリングペン、丸抜定規、数字矢印は1文字ずつインレタを擦って貼り付け、白ベタ。
この頃はワープロすら無かったので、文字は手書き。綺麗な字を書ける人がうらやましかった。
今ならCADであっという間に書けてしまうやろうなあ。若かったノウ~。今は根性すら無い
※ドイツ ロットリング社のペンは今も販売されているようです。烏口に代わる商品として
0.2~0.1mm刻みで販売されていました。文字も綺麗に書けましたので、ガリ版に代わって
手書きし、、普及したコピー印刷等のデザイナーや同人誌作成に使われていました。
ただ、インクが固まって分解清掃を失敗し、高っかい先端のペン先を何個ダメにしたか。 |
|
|
|
|
↑↓3+3編成で活躍 |
|
|
↑桜が見事だった頃。列車往来の保安上、枝や老朽木は整理された。
さらにマンションが建設されて範囲が狭くなった上に、2m近い網柵が撮影地の歩道沿いの京急用地に設けられて、脚立持参の撮影以外はほぼ不可能になっている。
しかし、歩道の幅は人がすれ違える無いくらい極狭く、脚立を立てると歩行者の邪魔になる。
ここに限らず、撮影に良い場所は撮影用に柵の高さや用地所有者明記した上で熱心な京急ファンのために安全に撮影出来る場所をホームの先端などを含めて提供してもらえないだろうか、と思う。
※柵を低くすれば日常の不心得者のゴミ投棄対策も出てくるので、いろいろと苦労はあると思いますが。 |
|
|
↑当時の「ニューデザイン御写真」を捜索中。とりあえず10年くらい前の白帯のお写真を。以下白黒無いのは同理由 |
|
↑↓車号は6連化されても変わらないが、↑↓これは3連+3連 |
|
↑↓お面と3,4両目の塗色を比較してみませう。
6連以上の組成は無いので↓固定化以降はジャンパー栓撤去スッキリ。連結器密連化 |
|
|
|
|
↑まぁ、やってみたかった画角 |
|
↑朝のラッシュ、横浜で大半の乗客を降ろし、神奈川新町まで中間2駅、必死で逃げる |
|
↑ほぼ、ほぼ、正面で捉える |
|
↑橋上百貨店建設前の上大岡駅を発車。 |
|
↑この時点で首都高速の工事用上部覆いが設置されています |
|
↑ 陽炎シリーズその2 ダッシュが高性能な電車とダッシュも得意な高性能車の出会い |
|
↑朝ラッシュで本領発揮 |
801~810号6連化後の編成 |
浦賀方と品川方の先頭車コレクション
この5本は集中冷房機搭載車が2両しかないので判別は容易 ※下記の=は貫通路の意味 |
浦賀寄 奇数号車-1 |
品川寄 偶数号車-3 |
↓801-1,-2,-3=802-1,-2,-3 |
|
|
↓803-1,-2,-3=804-1,-2,-3 |
|
|
↓805-1,-2,-3=806-1,-2,-3 |
|
|
↓807-1,-2,-3=808-1,-2,-3 |
|
|
↓809-1,-2,-3=810-1,-2,-3 |
|
|
|
6連化の際に新造中間車が挟まる 811~ |
|
↑パンタのたすきと船体の先っちょ(ホケて名称思い出せず-苦笑)が異様に光ってこんな光景に。3+3時代
↓6連化で811-6に改番された |
|
|
↑3+3時代。浦賀方先頭車は6連化されても番号そのまま |
|
|
|
↑上大岡駅の上空がスッカスカの時代。
この後に横浜市の副都心計画もあって、区画整理や鎌倉街道沿いにビルがドド~ンと●棟出来た。 |
|
↑3M編成の中に新造の3Mを組み込んで6連に。 |
この際に品川方の製造時の80*-3先頭電動車は-6に改番されて-1~-6に揃えられて-3は初代と2代目がある番号になった。
なお、新造中間車が製作されたのは811F~で、801~810は奇数編成の品川寄りと偶数編成の浦賀寄りの運転台が撤去され6連固定化工事が行われて客室化され、改番はされずに6連となった。
新造車の冷房機は中間車なので集中式で揃えられた。-3中間新造車の客ドアの引き込み位置は元祖3連と同様に揃えられた。
ホームドアなんていうものが義務化されなければ、この車も半導体最新機器に更新されて100歳まで?生きられたのかも。 |
|
|
↑中間に新造車が挟まった6連813-1~6の編成。3両目の黒汚れ台車色に注目 |
↓813-6 台車と一部機器が新品なのか塗装が綺麗。「-6号」の台車は旧「-3号」で-1,-2と組成して走行し、車輪径が減っているので、新造の「-4,-5」と合わせるために、新「-3」に台車を中間車仕様にして、その他は「まんま」で渡して「-1、-2」と車輪径を合わせ、「-6」は新調された「-4,-5」の「-6」の台車で新品に。
※1台の主制御器で制御する各M付の車輪は車輪径を合わさないと、各主電動機に電流が一定一律に流されるため、車輪径の大小で引張力に差が出て、主電動機に悪影響を与えるため、1つの制御器で制御される主電動機付車輪径を揃えるのが掟。 |
|
|
|
|
|
|
|
↑↓電子タイフォンの位置を比較下さいませ~。 |
|
|
↑陽炎シリーズその3 近距離は陽炎の影響を余り受けません。画像加工みたい |
|
|
|
|
↑逗子海岸駅 |
京浜寿司逗子は逗子海岸駅との間の踏切問題でホームの8両化が出来ず、駅を統合して1面1線の新逗子駅となった。
乗降客の流れを変えないために旧京浜逗子側に跨線橋が架けられて、新入口(駅跡)に小型のショッピングビルが建てられた。
(国鉄)逗子は大きな駅前広場があって、京急バスの起終点となっていて並べば座れる優位なポジション。乗ったまま駅前に行けて横須賀線の増結もあり東京、横浜方面は当時から横須賀線利用が多い。新逗子バス停は逗子発の席が埋まってから到着する。
更に現在は新宿方面にも手軽にいける最強の始発駅。
この対抗策として、金沢文庫まで普通で運行、快特の4両後部に20分毎に増結する画期的なダイヤ改正をして、品川からも座れる好条件の列車を仕立てた時代もあった。
その後、要員、車両数を増やさずに羽田空港方面に資源を振り向けて空港発「快特」+本線快特を京急川崎で解結、併結して川崎・横浜~逗子の優位を保っていたが、時代も変わり(どのように解釈するかが此処がポイント)、以降、「空港最優先」の利益、利益の追求で空港線各駅の利用者は殆ど品川方面にもかかわらず、京急逗子方面の急行に乗車するしか無い日中を中心にするダイヤを組まれてしまい京急蒲田で乗り換えを強いる大迷惑。
この列車は運行区間にある自治体の「京急鶴見」に優等列車を停める要請、横浜線東神奈川駅対策もからんで鈍足スキップ気まま停車の「エアポート急行」に建て替えてしまった。
2018年現在、新逗子~品川・横浜方面への優位さを完全に失っているのが現状。JR子会社羽田モノレールといずれオリンピック以降にJR空港線で矢が2本になって飛んで来る前に稼いでおこう。という投資最小限、大田区の乗客の流れ「完無視」最近の京急は・・。
2019.04補記:そういえば新逗子→逗子・葉山になるような掲示があったなぁ・・・。方向幕やROMに要らん金かけて。
新しくするんだって葉山にも行かないのに「葉山連絡口」がせいぜいでは無いか「詐称や」。京急逗子でええやんか |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
↑風よ吹け~。 |
|
↑朝の通勤客の文庫での増結は殺気立つほどの混雑で、輸送改善が急務で、関係者は必死で努力されていた。 |
|
↑京急4扉車同士が休憩中? |
|
↑京浜逗子~逗子海岸にあるポイントは25km/h制限。曲線上にあるためカントが付けられない措置 |
|
|
|
↑金沢文庫~京急富岡間の先行列車閉塞開通を早めるためと、富岡駅待避設備工事を前に信号機の増設を行っている |
|
↑まだまだ新聞を拡げる「紙情報時代」の朝ラッシュ。
今は首を下に垂れ下げる「スマホ」時代。そのうち人類の首は下向きに、右手親指の異常発達になるのか |
|
↑一見何の変哲も無い日ノ出町~南太田の区間だが、耐震、防音壁工事のために、高架下にあった様々な事業所や店舗は全て一旦立ち退いて、柱や路盤補強を行った。柱の補強形式はも数種類あった。
この 日ノ出町駅~黄金町駅高架下にあった全国に名を知られたチョンノ間街は神奈川県、横浜市の景観,安全対策による神奈川県警の徹底した「浄化作戦」で線路下にあった店舗?は全て閉店し、耐震工事後は別の店舗等になり、ある意味一般人も歩けるようになった。※店主もこの場所には近づくなと言われていた。
立ち退き交渉に当たった京急関係者や行政関係者の身を挺した仕事に敬意を表します。 |
|
|
↑この辺りはホームになっている。上には首都高速道路が架かって風景激変 |
|
|
|
|
|
|
↑色替え中。ハーフアンドハーフ |
赤い電車に白い帯の会社のイメージが強い某社(敢えて社名を伏す)の当時の●層部から「在来の白帯」の復活をゴリゴリ。
この後に登場する20●0系クロスシート車が「ニューデザイン」、ロングシート車は旧来の「白帯」と分類する
決定をされてしまった。余談だが、この決定が無ければ15●0形は「ニューデザイン」での塗装の流れもあったのでは・・・。
このため、元祖ニューデザインの8●0形は泣く泣く「旧来帯」に変更、その後の新形式1500は既定の白帯で登場となった。
現在の新造車になってもこの流れが変わらず、車両に1箇所クロスシートをつけたので「旧来の帯」の塗色から「ニューデザイン」塗色としている姑息?な例も生じている。
本来であれば車体にクロスシートの有る部分だけ「ニューデザイン」色、ロングシートの部分は「白帯」に塗色してどの位置がクロスシートか分かり易くすべきかも。
駅名は簡単に変えるけど車両の色にはとことんこだわる・・・。というか |
|
|
↑1000形かむる。連写機能と再生機能があれば避けられた←計算して撮影しろ!すんまへん。 |
|
|
↑方向幕が「逗子」の時代。この他にも川崎、新町、文庫と表示されておおらかであった。 |
|
↑背後がこんなんなるなんて・・・。 |
|
6連組成車の梅屋敷駅停車にともなう浦賀寄り2車の扉切放運行 |
|
|
梅屋敷駅は前後を踏切に挟まれて4両編成以上の客扱いが出来なかった
地元としては、6連が停車している間は踏切が遮断され、待ち時間が長くなるので歩行者や車両の通行に悪影響が生じるので、簡単に認められない理由があった。
しかし、輸送力の増強は待ったなし。京急関係者の必死の努力で地元が了解して1984(S59)800形による6連化を開始。※後に1000形の特定編成にも取り付けられた。
浦賀寄り2両の扉を自動で切放する地上子と車内回路が整備され、運転士が梅屋敷に向けて前駅を発車する際に「扉切放確認」のスイッチを投入、走行中に地上子から受信した2両分の扉開切放回路が構成され、確認警告チャイム音が流れた。と記憶 |
|
|
|
↑戸締め切放スイッチ |
↑同左スイッチ操作中 |
3連運用 |
閑散時に3連で運用することで3連の増備が続いた。
※梅屋敷問題で6連ドアカット開始と運用時間帯の拡大まで常時川崎以北の乗り入れは 行われなかった。
運行に合わせて6連の停車長に不足する駅はホーム延長された。
しかし、普通列車は6連、4連が運用されている中で、イキナリ3連が来ると
(1)閑散時は定期外旅客の不慣れな乗客が多い
(2)閑散時でも4両編成の停止位置に1両分が無い
(3)車両の無い位置から扉まで歩行が遅い人は時間がかかる
結果、ドアを閉めるのに時間を要して「運転時分の遅延」の他、「座席減の苦情」等もあって、3連の運行は昭和60年代(詳細は別途)取りやめになった。 |
|
|
|
↑802-1 ↓810-1 戸袋窓の大きさの違いがわかりやすい? |
|
|
|
|
|
↑方向幕は当初の黒字に白文字から→最後は白地に黒文字「正式駅名」と変わっている。
800形だけ黒地にするとコスト高になったからだろう。現在、製作業者さんは? |
800形 その1へ戻る |
|
|
|
※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
Copyright(C)2010.04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved |