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京急招運号、成田山号、京成車と相互乗入 |
非冷房車しか居なかった時代の終夜運転や紹運号、成田山号など三浦海岸~京成成田直通列車が賑やかだった頃
遙か昔の世界をブレブレ、トリミングしまくり写真です。本ページは全ハーフ判です。
細く優しい眼で「当時の背景の違い等」もご覧くださいまし。
記憶違いの記載の内容はご容赦ください。そのうち判明したら訂正いたします・・。程度の掲載姿勢・・。
※写真が多すぎて下の方のページ表示まで多少時間がかかること、
ある程度読み込まないと他ページへ「ジャンプしにくい」ことをお詫びいたします。
2018.01「(昔)真の京急」地上激走の快特他を順次アップしておりますながらでお楽しみ下さい |
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↑新年第1日目 京成成田帰りの「特急招運号」と成田山詣の「快特 成田山」
種別幕は特急1SH ↓前年(前日)の大晦日 |
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↑品川駅に到着474 |
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↑終夜運転のため急行板に差替 新町 |
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↑新年を迎えました。
備考欄に招運号(文字が小さい)のフラップ出ています
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↑三浦海岸発京成成田行 紹運号 |
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↑検車の方も添乗してきました。 |
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↑午前1時7分品川駅から京成成田に向けて出発 |
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↑髪結い着物で初詣? |
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↑終夜運転 品川~新町間の普通は2連 |
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↑終夜運転の区間は年々短縮されたが,1968(S43)年末は運用に入る車両の運転台には
「新町←→文庫 各駅停車」の張り紙をした急行サボも準備されていました。
↓終夜サボと長時間乗降停車時に寒気流入防止のため、客ドアに中間2扉締切「暖房中」のドアシール |
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↑終夜運転の大師線。
六郷橋梁工事で連絡線が休止のため出発信号機が横を向いている |
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↑川崎大師駅では臨時出札所を増設。
PASMO、Suicaの普及した現在では考えられない光景 |
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↑初日号の回送 |
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↑冷改前617初日号 |
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↑成田から帰ってきた招運号1207F 駅端の架線柱には駅間速度標が付いていた |
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↑新町にて京成成田行「招運」 1131F ↓野比にて京成成田からの「招運」 |
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↑1131Fの招運 |
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↑↓使用車両は全検?出て直ぐの1191Fを使用。きっと現場が気を利かせたのでは |
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↑↓ボケていても貼りまっせ貼りまっせ(苦笑) |
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↑特急パシフィック号 |
↑↓S45のレジャーシーズンの5月、9月、1月に三浦海岸~京成成田間の乗入れを開始。 |
車両の仕様は都営直通車仕様で同じはず。しかし、現実には京成車の加速は悪く、
京急車のブレーキ感覚で操作を行うとツルツツーありゃりゃ~。
さらに停止時に低速になると発電制動がオフになるが、代わって立ち上がる空気圧が
京急独自の2.5kgの減圧構造で無く、ガチ4.5kgに一気加圧立ち上がりで停止。
※都5000も同じだが京成車は入ってこなかったので未確認物体?
京成車の高速域ブレーキの甘さと、加速の悪さが目立って●●が噴出していた。
S52.1をもって相互乗入をもって廃止された。
相互乗入の車両走行キロ精算の目的もあったと思われるのだが・・・。 |
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↑↓ S45.7~8休日に逗子海岸~京成成田間に直通快特3本を運転したが、S48.8廃止された
※この3249独白・・・。
やっとぬるい京成へ帰れる・・・。加速は猛ダッシュ、走りは105km/hバンバン、
減速は全力。今日、一日ブラックなバイトだった~。ふぅ~。と言ったか言わないか |
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↑↓京急線内で京成線に返すまでの間は品川~逗子海岸間のアルバイト運用を行った。 |
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↑この場所は京成線のどこてしょ~か←ザーケロと言われますね |
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↑↓アルバイト中 |
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↑方向幕は「快速」、愛称板は「特急」、種別板は「快特」の3表示。苦労されています。 |
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↑↓ビバハッピー号 海水浴特急は姿を消しています。 |
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↑2+6の8連。当時、都営裏銀座線に乗入は6両までだったので、品川で後部2両落として居た時代か?夏期輸送の8連貫通か調べなくては |
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↑上大岡から下り勾配を利用して猛加速する急行品川行 MTTMの471F
※この区間はどの列車も信号空いていればフルノッチです(笑) |
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↑弘明寺側からは下り勾配をそこそこ加速か、惰行で上大岡へ駆け上がる |
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↑後ろに京急百貨店が開店するなんて誰が思ったでせうか |
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↑1206上大岡駅から地平に駆け下る。 |
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↑弘明寺のトンネルに向けて駆け上がる506 |
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↑1008 |
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↑466,418急行並び |
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↑弘明寺方面 マンションやビルはありません |
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↑上大岡駅ホーム品川寄りから。その昔は構内踏切だった。 |
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↑立会川通過1125 |
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↑品川駅1番線ホーム浦賀寄り。後に下の国鉄山手線電留線の用地を買収してホームがグンと延長された |
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↑都線8連乗入時に貫通幌を使用するため浦賀方に幌を着けていた |
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↑↓上から目線で目線で230 |
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↑↓白急行板 |
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↑400形2連×3急行 |
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↑田浦~浦賀間の6連停車可能になった後の組成
※文庫で後ろ2両切りはやってなかったはず。 |
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↑↓ススキの穂と |
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↑客窓の保護棒が2本時代 |
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↑1107-1112+2両=4両編成。6連竣工車の中抜き2連 |
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↑↓戸部~日ノ出町間の開削隧道区間。
この頃はカッ飛んでいたが、現在は75km/hの制限区間となって大人しく走る。
昭和初期のコンクリート流し込み用の松材?で作った板壁。現在のようなコンパネが無かった。
多分生コン車とかも無かっただろうから、現場ミキサーにセメントと砂利、砂をスコップで投入、
水を職人技で調合して捏ね、手押し車(ネコ)で現場に運んではコンクリートを流し込んでいたのでは
無いだろうか。壁に何の材料を使ったか丸わかり? |
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↑↓重軌条化で敷設PC枕木数の違いがわかる |
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↑2018現在 |
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↑京浜品川駅のガード構造 4扉改造したてと思われるピカ500系 ↓八ツ山方面 |
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↑両車の種別板、あとハートとかクローバーとかの模様で・・・。 |
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↑高砂引上線 |
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↑東中山 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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