2025.09.16 UP
2025.10.10 Ver1.06
※三浦衛様より上田時代(追加アリ)、熊本時代、伊予鉄(追加)、肥沼勇様より東急時代の
写真をご恵送頂きました。心から御礼申し上げます |
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店主、屋根が深くお椀形ベンチレーターを載せた大正15年~昭和初期の約4年にかけて製造されたカワゾー形が大好きです
■撮影したカワゾー形を振り返ってみることにしました。
■未撮影車両の記述は省かせていただきます。特に近畿圏は1両(枚)もありません |
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↑とっとちゃん広場に保存されている長野電鉄のカワゾー形
店主的に見たカワゾー形の構体などの詳細はこのページでご覧ください |
総武流山電鉄
(社名2025年:流鉄) |
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↑クハ51
中坊時代の撮影-狭くて前後に隙無く・・・こんな写真しか無くてスイマセン!!
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1926(T15) 川崎造船がひょっとすると関西の私鉄に納める前に「いの一番?」で送り出した「カワゾー」形が豊川鉄道クハ62ではなかろうか(試作を除く)
国鉄に買収されてからグローブベンチレーター化、片側に全室運転台と乗務員扉を設置した。※流山電鉄では流山方向
形式流転はクハ62→国有化によりクハ5601→1959(S34)廃車→総武流山1960(S35)03.15付認可クハ51 |
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初代西武鉄道のカワゾ-TYPE
(モハ550形、クハ600形) |
初代西武鉄道の村山線、川越線電化開業に際して1927(S2)1月に川崎造船所でモハ550形が10両、翌1928年(S3)11月に2両、合計12両が新造された
翌年の1928(S3)10月にはモハ550形の制御車としてクハ600形600~607の8両が新造され、川造形は20両が活躍することになった。
■クハの改番等
1928(S3)に8両製造された
1940(S15).05改番でクハ1100形1101~1108号に
1948(S23).06改番でクハ1151形1151~1158号となった
クハ600形新製時の台車はKS33Lだったが、1933(S8)にKS30L(モハ552~559由来)に振替られた
■地方私鉄への売却
車体外板の張り替え(リベットの消滅)、窓枠のアルミサッシ化やステップ改造等、販売先の要望をカスタマイズした
結果、特徴ある前面及び客扉上の「へ」の字の雨樋を残したり、除去したりのパターンが生じた |
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| 津軽鉄道 |
| 津軽のナハフは何回か行ってロクデモない撮影カットの枚数があるので多めの掲載・・。 |
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↑ナハフ1200形1203
活躍中で、まだ全体にしっかりしている時期・・・。 |
■津軽鉄道への譲渡は廃車と同日の1965(S40).07付である
客車化改造所沢工場で施工され
運転台及び関連機器撤去、床下の電装機器撤去、床を切欠、ステップ取付、バス用の暖房ヒーター取付等を行った
台車はKS30Lがそのまま引き継がれた
津軽鉄道に3両入線したのはクハ1151形のうち1965(S40).07に廃車された車両で
クハ1155(旧西武クハ604)→ナハフ1202 改造年1965(S40)08
クハ1157(旧西武クハ606)→ナハフ1201 改造年1965(S40)07
クハ1158(旧西武クハ607)→ナハフ1203 改造年1965(S40)07 |
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↑DD352に牽引されるナハフ1202
初訪問だったが、ナハフ1200形は3両とも大活躍していた |
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↑キハ24021に牽引されるナハフ1203
ワカゾーがドアで涼んで居る |
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↑流して撮影しかった。中央から右側はカビだらけ・・・
客車の方にもドアも開いて涼しいのか?結構な乗客が乗っている |
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↑お椀型ベンチレーターとは良く言ったものだ
豪雨の時はベンチレーターに入った雨水をどのように排水したのだろうか
屋根の鋼板は左右の長さを変えてリベット止めしている。
同じ幅にして中央でまとめなかった理由は?
西武時代に電装を考えていたのか、パンタ用の取付台が残る?と考えて良いのか |
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↑ナハフ12001
現役活躍中 1974(S49) |
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↑ナハフ1201 1997(H9)
ホームから 床下に温風ストーブ用の白色の灯油タンクが見える
特徴ある雨樋一体型屋根も一部朽ち果てて、もう廃車状態で倉庫化していた
↓反対方向 |
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ナハフ1202 1997(H9)
↑↓屋根の樋に当たる部分は腐食のためか客扉部分や妻の部分が撤去され、
パテ埋めに。台車はKS30Lのままだが、車輪はまだ使えそうな状況に見える |
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| 店主の津軽鉄道のページ(その3)作成中 |
| 弘南鉄道 大鰐線 |
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| ↑弘南鉄道大鰐線クハ1266(旧西武クハ1166)全塗装ピカピカの状態でラッキーだった |
西武廃車1964(S39).04→弘南大鰐線 譲受1964(S39)
クハ1266:旧西武モハ561→改番クハ1160 改造年1964(S39)08
クハ1267:旧西武モハ560→改番クハ1159 改造年1964(S39)06 |
| ↓解体線に入れられたクハ1267(旧西武クハ1159) 2000(H12).07 |
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| 店主の→大鰐線のページ |
| 山形交通 高畠線 |
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| ↑夕刻の学生を糠ノ目駅(現:高畠)に迎えに行く |
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西武モハ156(旧西武モハ555)→クハ1156(2代目)
→再度電装工事→1965(S40)11にモハ4として入線した |
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↑高畠6:56発の2番列車はED2が牽引する貨物混合列車だった
↓ 糠ノ目で貨客とも解放した帰路の列車 |
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| ↑早朝の貨物混合列車の |
| 店主の山形交通 高畠線のページ |
| 伊豆箱根鉄道 大雄山線 |
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| ↑モハ35 |
(1) 鳳来寺鉄道モハ2形 川崎造船製1927(S2)1月(竣工?)
(2) 1937(S12)6月※1938年説有 改番:モハ20形モハ20
(3)1943(S18)8月1日 国有化で車籍変更
(4)1949(S24)11月走行機器を国鉄制式品に変更 主電動機MT7A、台車DT10化等
※パンタグラフ側に乗務員ドア取り付け、反対側に取付は時期不詳
(5)1952(S27)宇部線転属
(6)1953(S28)2月福塩線転属
(7)1953(S28)6月 形式称号改正 鳳来寺鉄道 旅客電動車に1700番台付与 モハ1700形1700
(8)1955(S30)12月富山機関区城川原支区
(9)1959(S34)6月1日制御電動車「クモ」、中間電動車「モ」付与 クモハ1700形1701
(10) 時期不明 豊川分工場入換車化
(11)1964(S39)※1965説あり。廃車
(12)1965(S40)伊豆箱根鉄道が譲受、大雄山線モハ30形モハ35となる
(13)廃車時期 未調査 |
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↓1968(S43)小田原駅で走行中の167系からの撮影
前面窓の中央が2段式になっていた。
すでに雨樋の撤去が行われている |
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| 店主の大雄山線のページへ |
| 名古屋鉄道 |
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東濃鉄道駄知線に4両が譲渡されて活躍していたが、1972(S47)に水害で廃線になり、その後モハ112-クハ212が1975(S50).05に名鉄の築港線用に引き取られた
名鉄入線により形式番号はモハ112→モ3790形3791、クハ212→ク2790形2791
西武から譲渡される際に特徴ある「へ」の字型雨樋が撤去され、外板も張り替えたのでリベットが消えてしまっている |
モ3791:東濃鉄道モハ112:旧西武モハ551→改番モハ152 改造年1966(S41)09
ク2790:東濃鉄道クハ212:旧西武クハ600→改番クハ1151 改造年1963(S38)12
[東濃鉄道同僚]
モハ111:旧西武モハ553→改番モハ154 改造年1963(S38)12
クハ211 : 旧西武クハ605→改番クハ1156(初代) 改造年1963(S38)12 |
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| 店主の築港線のページへ |
| 長野電鉄 |
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| ↑611 |
1927(S02)自社発注湯田中直通用に電制を装備したモハ350形4両
改番してモハ600形となる
須坂方向の客扉移設、運転台全室化(乗務員扉取り付け)
改造部は溶接のためノンリベット化されているが
ウインドシル、ヘッダーの客室部分は旧の形を模して延長する
芸の細かさがある。前面は丸パイプっぽくして形状を簡略化
601-602は各々須坂、屋代側の客ドアを移設する工事で運転室を拡張、乗務員扉を設けた。
結果、610番台として611-612に改番されたが、連結側は前面をHゴム化しただけ
この運転室改造により客窓が1枚減少し、新規乗務員室扉の上に円弧ヘッダーを新設した
しかし固定編成とはせずに検査その他の場合は他車と組んで運用した |
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■店主の長電旧型車のページ※改造前の600形等掲載
■とっとちゃん広場に保存されている長野電鉄のカワゾー形のページ |
| 上田交通 |
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↑モハ5271
三浦衛様より御提供いただきました
長野電鉄長野市内地下化にともない廃車になったモハ352→改番モハ602→モハ612で
1980(S55).04廃車ののち、1981(S56).08上田交通へ譲渡され、モハ5270形5271(2代目)となった。
1500V昇圧によりS61.09.30日限りで運用を退いた
モハ5271(カラー)がカラーで掲載されている三浦様のページ
長野県下の三私鉄で活躍した東急の「青ガエル」電車
(その2)高原のアップルラインをひた走る 長野電鉄編 |
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↑クハ271
三浦衛様より御提供いただきました
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モハ612と同様の理由で長野電鉄を廃車になったモハ604・モハ611の2両は"部品取り車"として上田交通に譲渡されたが、604については1983(S58)06に電装解除・制御車化のうえ、クハ270形271(2代目)として運用開始した
赤い屋根が特徴で、同形態で同じ屋根色のモハ5271と組む2両編成は、地元で「赤赤編成」と呼ばれた
5271と同じく、1500V昇圧により1986(S61).09.30日限りで運用を退いた
現在は、安曇野ちひろ公園の「トットちゃん広場」に原型のモハ604として静態保存されている (店主の「トットちゃん…」ページ)
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↑長野電鉄モハ611の廃車体
三浦衛様より御提供いただきました |
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上田交通に"部品取り車"用に譲渡された長野電鉄モハ611は元の塗色のまま上田原車庫で倉庫代用として使用され、再び動くことなく解体された
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| 伊予鉄道 |
クハ1151形の1153、1154号が2両転入しクハ412号、411号となった
西武廃車日は1965(S40).11転入も同月である |
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↑クハ412号
車体更新、側板ノンリベット化でお輿入れ
クハ411号は元西武クハ1154号 |
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| ↑ モハ113-モハ114 |
■モハ110形 旧西武クモハ151形
モハ111:旧西武クモハ158(旧西武552)→ →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→1965(S40)11廃車→購入1966(S41)04.16→1994(H06)廃車
モハ112:旧西武クモハ153(旧西武557)→1958(S33).03片運化→1960(S35).06両運化→1965(S40)11廃車→購入1966(S41)12.28→1994(H06)廃車
モハ113:旧西武クモハ155(旧西武554)→1958(S33).03片運化→1960(S35).06両運化→1965(S40)11廃車→購入1966(S40)12.28→1989(H01)09廃車
モハ114:旧西武クモハ157(旧西武556)→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→1965(S40)12廃車→購入1965(S40)12.28→1989(H01)09廃車
モハ115:旧西武クモハ151(旧西武550)→1958(S33).03片運化→1960(S35).06両運化→1966(S41)08廃車→購入1966(S41)10.01→1989(H01)09廃車
■クハ410形 旧西武クハ1151形
クハ411:旧西武クハ1154→1965(S40)11廃車→購入1966(S41).04.16※運転台は松山市側→1994(H06)廃車
クハ412:旧西武クハ1153→1965(S40)11廃車→購入1965(S40).12.28※運転台は横河原側→1989(H01)09廃車
クハ413:旧西武クハ1152→1966(S41)08廃車→購入1966(S41).10.01※運転台は松山市側→1989(H01)09廃車
※訪問時の手元資料を優先していますので、既発表と相違の部分があります |
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↑モハ111
三浦衛様より御提供いただきました
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伊予鉄道では基本MTMの3両編成で運用されたが、モハ111・114の2両はラッシュ時の増結などを考慮して両運転台となった
前面窓・客室側窓のアルミサッシ化と客室側扉窓・戸袋窓のHゴム支持化は、他の伊予鉄譲渡車両と同様である
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↑モハ114
三浦衛様より御提供いただきました |
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両運転台のモハ114を非パンタグラフ側より見る
こちら側は貫通型で幌枠も設けられているが、乗務員用側扉はない
増結に備えて追設された電気連結器が大きく目立つ存在
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