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京福福井支社 永平寺線 当時の線路を訪ねる
写真多く、表示に時間がかかります。 |
永平寺鉄道(第1期開業)
永平寺(永平寺口→東古市)~永平寺 |
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永平寺鉄道は開業までの間、京福電鉄福井支社と永平寺を中心とする永平寺鉄道の、どちらが敷設の特許を取得するか争っていた。監督官庁は「寺院」勢力に特許を交付。寺院に忖度せざるを得ない政治力があったのかも。
その経過から店主は、当初の開通区間は諏訪間駅~永平寺門前駅開業説がリアルっぽい気がする。 |
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永平寺駅の延長部分 |
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↑延長前(永平寺門前駅)
永平寺門前開業後、約5年経ったS13.4.18に400mお寺寄に線路を延長、永平寺駅とした
微妙な距離ではあるが、等高線でみると1.3本分?約13m程度の高低差になりそうだが※
参拝客を少しでも門前町街?の近くに運び上げたかったのか。
※高低差については、全くの推定です。現地調査していません。
↓延長後(永平寺駅) |
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↑↓参詣鉄道として開業した永平寺鉄道だが、谷間を33.3‰の急勾配を上りつめる状況
店主が乗車した夜間の単行列車は往復とも途中の駅(停留所)の乗客ゼロ 。
駅近くでタイフォン鳴らして、乗客の姿がが無いと、速度を落として通過していた。
※空中写真からも、家は少数、途中駅に乗客がいない事が当然のように思える。 |
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↑市野々付近
33.1‰の勾配標。永平寺に向かって上り続ける。
その昔には、若干の貨物列車が運転されたよう。 |
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↑東古市にて。酷暑で車内通風中 |
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↑国土地理院1948.7.28付の空中写真だが、近隣の丸岡で発生した直下型の井福井地震は
同年6月28日。被害を受けている様子が無いように見える。 |
永平寺鉄道 (第2期開業部分)
金津(芦原)~新丸岡 |
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↑水田や畑の耕作地を確保するために山際に集落を作る例も多い |
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> ↑昭和44年9月18日に廃止され、同年44年6月に現地調査
昭和45年に発行なので線路が点線で駅名が掲載されてない |
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↑発達した丸岡市街地。住宅地の淵をなぞるように線路が敷設されている。 |
永平寺鉄道 (第3期開業部分)
新丸岡~永平寺口 |
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↑↓まさに穀倉地帯。集落の様子が良くわかる。
この狭いエリア内で暮らすのだから・・・。 |
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本稿作成にあたり、新潮社刊:日本鉄道旅行地図帳6号 北信越編、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 京福電気鉄道 藤原寛様著(鉄道図書刊行会)、同295号京福電気鉄道福井支社
藤井信夫様著、同701号京福電気鉄道福井鉄道部、岡本英志様、世界の鉄道'75(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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