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京福電鉄 福井支社 (車両その2) |
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↑ホクハ31形32号 |
T9.4梅鉢鉄工で製造されたホサハ17形19、21、22号を
1964(S39)06.17認可で阪神861形867、875、877の車体に振り替え、両側に運転台があることから、福井側の運転台にはホデハ11、221,231、251が使用する電磁空気カム軸式対応の主幹制御器を、京福大野側をHL式8M対応主幹制御器を搭載して、連結相手によって前位、後位を使い分けた
両刀遣いの車両だった。 |
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↑廃車寸前のため、塗色変更は行われなかった。 |
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↑↓ハコは日車標準型の241形(Ⅱ)、251形 |
片側が非貫通、一方は貫通形の少々特異な形態。
日車は地鉄14770形(昭和30年、車体長18m)、旭川電軌1000形(昭和30年連結面間18,640mm)の下降窓タイプは腐食問題、コスト低減で、後の長期基本型となる上段Hゴム、下段上昇窓の安価設計で捲土重来、各社にハコを供給。3年後の昭和32年にホデハ241形(Ⅱ)が登場した。
初代ホデハ241形が老朽化のため、日車が地方私鉄向けのレディーメード車体をアレンジした車体形状で241,242を243,244をナニワ工機で新造して車体更新した。 手法は下回りを在来車の部品をたらい回し(再用)、標準設計を寸法調整して「ハコの新品」化。
特異な点は241-242、243-244の連結面を貫通させて、双方を片運転台としたこと。車体両側を貫通構造、片運転台とせずに、敢えて運用上の不便に目をつぶって製造費用を節減したと思われる。
243+241、244+242等の非貫通前面同志の組成は実際あったのかどうか。模型的妄想。
この日車スタイルで、転換クロスシートが採用されたのは、このホデハ241、251形のみ。
下荒井トンネルの断面の問題もあって、全長15,800mm、車体長15,000mm、車体幅2690mm、日車スタイルでも小型部類の車体となった。
続いてホデハ251形も同様に増備された。
ホデハ251形251は台車と主電動機が異なるため、単独でホデハ251形、ホデハ252~254がホデハ252形を名乗り、S48.5.30付けでホデハ251形が電動機と台車を換装したため、241~254がホデハ251形に統合されたとの記述もあるが、手持ちの資料ではホデハ252形の形式分類は見いだせなかった。この点は貴重です。
ホデハ254はS33.12.09付け日車ND-6台車に交換した。試作的要素で履いて下さい。となったのか。
後年、釣り合い梁台車に変更されている。←未調査
パンタは横持ち碍子で、前車のパンタを引き継いで搭載されているようだ。
その後、S135CD形パンタを252,253がS57.1.23付、251は同年.08.06付、254が09.14付でPT42-G2に変更し、横型碍子のホデハ241,251形は無くなった
1974(S49)11から京福福井支社の車体形式がホデハ→モハに変更された。
1988(S63)12にモハ252、253がワンマン化、この際に車体番号を251を253(Ⅱ)へ253を251(Ⅱ)に振り替えた。
翌1989(H元)3月に252、253のロングシート化、中央運転台の左側移設を行った。
254号1989(H1)4.10廃車、1991(H3)3.20付241~243、253(Ⅱ)(旧251車体振替)254廃車 |
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↑京福叡山線のデナ21形 |
ホクハ31形1~4の車体は写真のデナ21形と形状がほぼ同じ。
木造車体に鉄板巻き、腰部は木造そのまま露出していた。台枠は3扉車のため車体調整のトラス棒が付いてる一世代前の構体だった。
福井支社は車両事情が戦災などで逼迫していたため、軌間が違う京都支社叡山線のデナ11形4両(T15日車製)を車体と改軌した台車付で送ってもらい、1944(S19)ホクハ31形1号~4号とした。
S24に再度、電装されてホデハ241形(Ⅰ)1~4として活躍した。 |
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ホデハ243の車内。蛍光灯のカバーがしゃれている
日車標準型※では唯一の転換クロスシートづくり
※標準型前期の富山地鉄モハ14770を除く |
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ホデハ1001形
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昭和23年6月の福井地震で、転覆27両、脱線48両の大被害を蒙った。
ニセスチールや半鋼製車ばかりなので、復旧に至らない車両も多数あったと思われる。
不足した車両を補うため、日本車輌で名鉄3800形を模して両運にした3両がS24.7に製造された
全長17.8mの大形車で輸送力のある車両として活躍した。
訪問時、京福テイストというか、違和感がアリアリの記憶がある。
ホデハ1003→19980.1.8廃車
ホデハ1001,1002→1981(S56).11.20廃車 |
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↑ホデハ2001形 |
1972(S47)3.7付で南海電鉄で廃車になったモハ1201形を16両と大量導入補でホデハ2001形に。
この2007と後ろの2003は店主の所有写真では両運転台であるが、
手持ちの文献を見ると、片運転台である※S48
しかし、後年、単行で運行されている2003の写真が掲載されており、
当初から両運転台の設備があったまま転入したのか、またはその後復活したのか
という疑問がある。調査するには南海時代まで遡らなければ・・・。
疲労困憊(苦笑)で後日調査します。←ホンマか?
この車両の入線で三国港線の在来車の運用がほぼ一掃された。
そのとばっちり?で越前本線は在来車ばかりのパラダイスとなった。 |
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↑↓三国線訪問時は元南海1200形で統一されていた。
細部が雑多に違う車両達 |
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↑この写真から時代を経て、えちぜん鉄道三国芦原線高架化前のGooglemap画像↓ |
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↓福井口の高架線分岐。車庫線は高架から急勾配で下る。 |
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↓ 2020.12.01車内より撮影 |
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↑福井に向かう人でかなりの混雑 一枚下降客窓車で揃う
↓三国港方面ガラガラ |
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↑2段窓車と1段下降窓車 |
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↑上下線とも女子の登校が多い? |
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↑ホデハ2001形の車掌台付近。Hポールで区切っただけのタイプ |
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↑この方向板では不慣れな人には判らない表示。
運転は基本、福井←→三国港しかないから、換板?作業の手を抜いている |
ホデハ2001形→モハ2101形諸元 |
京福車番 |
南海車番 |
窓 |
運転台 |
車体載替後番号 |
台車 |
竣工または営業開始 |
阪神番号 |
2001 |
1225 |
下降一段 |
全室 |
2114 |
汽車K-16 |
1985(S60)06.13 |
5254 |
2002 |
1226 |
下降一段 |
全室 |
2116 |
汽車K-16R |
1985(S60)07.18 |
5250 |
2003 |
1223 |
下降一段 |
全室 (両運?) |
2115 |
汽車K-16R |
1985(S60)07.18 |
5249 |
2004 |
1238 |
2段上昇 |
全室 |
2109 |
汽車K-16 |
1984(S59)06.26 |
5237 |
2005 |
1235 |
下降一段 |
全室 |
2105 |
住友F-19 |
1983(S58)07.06 |
5231 |
2006 |
1216 |
下降一段 |
全室 |
2108 |
汽車K-16 |
1983(S58)11.01 |
5234 |
2007 |
1219 |
2段上昇 |
片隅(両運?) |
2113 |
汽車K-16R |
1985(S60)06.13 |
5233 |
2008 |
1220 |
2段上昇 |
全室 |
2112 |
汽車K-16R |
1984(S59)08.11 |
5252 |
2009 |
1221 |
2段上昇 |
片隅 |
2111 |
汽車K-16R |
1984(S59)08.11 |
5251 |
2010 |
1228 |
2段上昇 |
全室 |
2110 |
汽車K-16 |
1984(S59)06.26 |
5238 |
2011 |
1229 |
2段上昇 |
片隅 |
2101 |
住友F-19 |
1982(S57)06.30 |
5239 |
2012 |
1236 |
2段上昇 |
全室 |
2102 |
住友F-19 |
1982(S57)06.30 |
5240 |
2013 |
1231 |
2段上昇 |
片隅 |
2103 |
汽車K-16 |
1982(S57)12.07 |
5235 |
2014 |
1232 |
下降一段 |
全室 |
2104 |
汽車K-16 |
1982(S57)12.07 |
5236 |
2015 |
1233 |
2段上昇 |
片隅 |
2107 |
住友F-19 |
1983(S58)11.01 |
5233 |
2016 |
1230 |
2段上昇 |
片隅 |
2106 |
住友F-19 |
1983(S58)07.06 |
5232 |
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↑補充すべき欄が多々あるのですがとりあえず・・・。 |
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元南海の2001形 の車体が老朽化して、阪神から非冷房の5201形を元南海2001形の両数分大量導入。
阪神車は全て、3扉の車体を琴電風に中扉を埋めて、2扉の車体に。型式番号は100を足して2101形になったが
旧車番がそのまま2101形になったのは05、10の2両だけ。
旧番号に関わりなく、更新落成順に番号が振られていたようだ。
写真のホデハ2111は阪神5251号。旧ホデハ2009号になる。
足回りは元南海の台車や機器履き替え、阪神車体に吊し替えという車(人)生?・・ |
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↑名物単車テキ20
右側の南海車の車番が判らないが尾灯ステーのある両運転台タイプ。ヘッドライトは撤去
左側のテキ531形(531)はタンク車を従えてパンタを降ろしている |
テキ6形(6)、テキ7形(7~9)、テキ20形(20) |
単台車のテキ一族 単位:mm |
形式 |
車番 |
全長 |
車体長 |
製造所 |
製造年 |
廃車 |
鋼体化 |
テキ6形 |
6 |
7,316 |
6,450 |
梅鉢 |
T9.11 |
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S40.11自社鋼体化 |
テキ7形 |
7 |
↑ |
↑ |
↑ |
T9.12 |
S44.9.29 |
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8 |
↑ |
↑ |
↑ |
T9.12 |
S10.4.11 |
S10.3.16車庫火災焼失 |
9 |
↑ |
↑ |
↑ |
T9.12 |
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テキ20形 |
20 |
7,271 |
6,398 |
加藤 |
S11.3 |
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焼失テキ8号の部品で新造 |
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テキ7形 テキ9号
↑尾灯有-(1) ↓尾灯無-(2) 第一エンドはどちらか不明 |
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↑構内運転はYゲル(ボウ)を運転方向によって、
いちいち上げ下げ転換しないで、ガンガン行くぜぇい~!! |
出力70HP×2、自重8.64t~8.95tの、この一族のテキが貨車6両を牽引し、運転指令を無視して追突される主原因になる珍事故が発生した。 |
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↑↓↓拡大すっと、集電舟体は炭素系の架線に優しいタイプに見える。
京福電鉄福井支社では書類上、「ポールパンタ」と称している |
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上記(1)と(2)の拡大 尾灯は取り外し式のようだ。が、
いちいちコネクタ付け替えてるようには見えないが・・・。構内、構内・・・。 |
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↑除草剤を両側に散布するトロッコ。無骨な台枠に結構スマートなタンクが載っている
今の世の中は基本、散布「禁止」で全国の線路脇は草ボウボウ。
農耕地は特に営農者が無農薬栽培等で敏感・・・。 |
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↑テキ531号によるタンク車の貨物営業列車
福井口駅から延びる引込線にある油槽所で取り下ろした、タンク車の空荷返却貨物
貨物の運行区間は地元産品の運搬等で京福大野、勝山、旧永平寺鉄道方面にも延びていた。
貨物扱いは1980(S55).7月31日で廃止された。
福井口の油槽所の線路所有者については、専用線と荷主の詳細な研究をされている
【日本の鉄道貨物輸送と物流 ~とはずがたり運輸総研~】様の
西武生駅のページを御覧頂きますようお願い申し上げます |
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↑福井駅の国鉄亘り線経由、京福貨車留置線または直行で
3両編成程度に分けて、この油槽所までタンク車扱いがあった |
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↑油槽所設置前の空中写真だが、偶然福井口車庫火災前の状況も判明 |
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↑新福井~福井間の受渡線の関係?でワムを併結して、新福井停留所まで引き上げて入れ替え中。
ここまで引き上げるのは、北陸本線も含む下の写真の踏切が関係しているだろうか?
運転士(機関士?)の状況から福井駅方面に推進運転を開始するところ?
タイフォンの位置が斜めになっている。操車掛への大音響を避けるため? |
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↑京福大野まで時代
京福大野便の早朝、深夜の手厚い運転に驚く
勝山~京福大野間は1974(S49.8) |
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↑1978(S53)4.1~東古市~勝山間は日中1時間ヘッドに |
国土地理院空中写真で当時の線路を訪ねる |
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本稿作成にあたり、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 「京福電気鉄道」 藤原寛様著、
同295号「京福電気鉄道福井支社」 藤井信夫様著、
同701号「京福電気鉄道福井鉄道部」、岡本英志様、
同461号 「京福福井支社」 杉谷広規様、三木理史様著、同号「テキ6とその同型車の歩み」 山口裕之様著、
同468号相模鉄道
同945号水野照也様相模鉄道写真コメント
以上、鉄道図書刊行会
世界の鉄道'75(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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