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京福電鉄 福井支社 (その1)
2020.04.29ver1.01 |
最急勾配40‰の比島~発坂間にて 1973.06 |
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↑↓京福大野行きホデハ11の2連。相棒はホデハ21号のようだが・・。
2両とも、寂しい数の屋上トルペート形ベンチレータ |
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↓4コマ連写(笑) |
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↑ 一連の写真の線路沿いの道、こんなところで横断している |
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↑京王帝都デハ2400形が昭和39年に3両お輿入れ。ホデハ261形261~263となった。 |
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検査の関係か261号と組んでいない262号。263号とコンビを組んでいた。 |
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↑勾配を登って峠に向かう |
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↑↓勾配を下って来た勝山行きホデハ241形2連 |
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↑↓僅かな区間だが勾配標が「L」になる |
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↑↓比島駅 崩壊寸前?建物の傾きと斜柱、窓破れ・・・。軌条も道床もヘロヘロ
この状態で上下単純割り算で15分間隔の列車密度・・・。(んで、連続脱線事故を引き起こした) |
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↑比島駅を発車する京福大野行き |
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↑軽やかに坂を下る |
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↑↓耳を澄まさなくても制輪子の音が響いてくる・・・。 |
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↓撮影地を探して! |
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↑↓左側はホデハ254号。 台車が日車ND6の異端児。撮影はS48.6
この拡大写真ではブレーキシリンダが台車梁両端に付いている。 |
【日車ND6台車について】 ※DT20形台車WIKIよりほぼ転載させて頂きました
DT20形と軸箱等が共通の基本構造の中空軸平行カルダン駆動台車として、本店でND101を設計製作、名鉄5000系モ5057号で試用※した。名鉄5000系電車(初代)wikiより
試用後は吊掛駆動方式に改造、ND6に形式改訂、京福電鉄福井支社のホデハ251形ホデハ254に使用された。
1991年(平成3年)の同車廃車まで使用された。
詳細はこちらのリンクでDT20形台車へ |
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1988(S63)12月に252,253号がワンマン化改造、
253号は251号に251号は253号に番号が振り替えられた。
何故、振り替えなければならなかったのだろうか
例えば車号を間違って届け出してしまい・・。とか? |
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↑↓勾配を駆け上がる?? 223号 福井行 |
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↑↓深山幽谷に分け入る感じ・・・。
このあたりは・・・等と書くわけには行かないご時世 |
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↑お椀形のベンチレーターを乗せた21号+2?
↓鈍い唸りを上げて勾配にかかる |
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↑テールライトの取り付け位置が窓の直ぐ下 |
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形式コメント
昭和49年11月に車両形式称号をホデハ→モハに変更 |
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↑ホデハ11形の前後客扉脇の丸窓は埋め込まれていた。屋根はトルペート形ベンチレータ両側合計4個
↓12号は丸窓跡が見える。ベンチレーターはお椀形が並ぶ。
同時期製造連番で当初からベンチレーターが違って居るなんて事は・・・???。 |
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ホデハ11形は、三国芦原鉄道が昭和3年12月30日の開業時に揃えたオリジナル車
うっすら楕円窓を潰した跡が残る |
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↑新福井にて。トルペート形ベンチレータ両側合計4個
↓ポジ版 |
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↑昭和5年3月近畿車輛の前身、田中車両で3両製造された。
車長14.6m(連結器含む)の京福創業時の標準寸法 |
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ホデハ261形 |
↑↓京帝の架線電圧昇圧で廃車になり、昭和39年に3両がお嫁入り?
京帝デハ2403→261号、2402→262号、2404→263号として活躍した。
※書類上では2404号が2410号:鉄ピク734号合葉清治様「京王中型車の思い出」
日本車輌昭和16年製(当時は未電装クハ)なので、京福に併合された三国芦原鉄道が昭和3年12月30日の開業時に揃えたオリジナルのホデハ11形の末弟?
さらに同社の昭和2年製、小田急デハ1(ホデハ271)形が嫁入りして長兄に。昭和初期の日車製造の車両が移籍、3兄弟? が活躍した貴重な会社であった。
ホデハ11号の車体長(連結器含まず)は13862mm、
ホデハ261形の車体長は13420mmで442mm2元京帝261形が長かった。
しかし、車体幅は2641mm、2640mmと1mmホデハ11形が広かった(笑)
ホデハ271形の車体長は14,224mm、車体幅は2720mmで3兄弟で最大だった。
前面はホデハ11のほうが丸みが少なく、雨樋も直線で少々無骨。
通常はホデハ263が元阪神ホクハ32と組んでいた。 |
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↑何故かブレブレのポジ |
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↑ホデハ271形273号
273号は客窓が1段下降ままを保っている。 |
小田原急行鉄道創業の1927(S2)4月1日開業時の車両モハ1形として18両が製造された.。
京福のホデハ271~273に当たるのはモハ8、9、12号になる。、
S17年陸上交通事業調整法の名の下で大東急に併合され、小田急は東急新宿営業局となって、併合した会社の車両番号を整理するため、車番に1000台の番号を付与され、モハ1形も改番が行わて1100形となった。
京福該当車はデハ1158、1159、1162号になった。
蒸気と気動車だった相鉄線は、大東急時代の昭和18年に海老名~相模大塚、19年に二俣川間迄の電化が完成して、東急新宿営業局から車両応援の形でモハ1形他が貸し出された。
さらに、昭和20年6月から短期間ではあったが、戦争による混迷から相模鉄道は東急に委託経営を行ったが、委託経営を解除した直後の1947(S22)11.1付でモハ1形を含む小田急車の18両が譲渡された。
京福該当車はデハ1158、1159、1162号(改番無し)
相鉄移籍後の1951(S26)11.18付でモハ1000形1004,1005,1006号に改番、1958(S33)4月、1005号を中間電動車化して3両固定編成とした。
1964(S39)11.29付で1004Mc(271)-1005M(272)-1006Mc(273)の【片運-中間電動車-片運】編成のまま、京福に入線したので、、最低でも271-273のMc2両組成でないと運行が出来ない不便な状態であった。
結局、1983(S58.6)に中間のモハ272を除籍してMc-Mcの2連固定として稼働したが、車両の体質改善が進み、昭和62年6月に廃車された。
※本項は鉄道ピクトリアル442号東京急行電鉄「座談会:大東急の車両とともに」、同405号大幡哲海様「他社へ行った小田急の車両」を参照しました。御礼申し上げます。 |
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↑日立電鉄のモハ1002号
相鉄で3連化が2本行われ、そのうちの1001~が日立に
1004~が京福福井入りした。 |
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↑検査中のホデハ271形271号 |
昭和33年以前に271号のみ客窓の2段化、271、273は運転台の小窓部分を乗務員ドア化、
それに伴って両端の客ドアを若干中央寄りに移設が行われていた。 |
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本稿作成にあたり、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 「京福電気鉄道」 藤原寛様著、
同295号「京福電気鉄道福井支社」 藤井信夫様著、
同701号「京福電気鉄道福井鉄道部」、岡本英志様、
同461号 「京福福井支社」 杉谷広規様、三木理史様著、同号「テキ6とその同型車の歩み」 山口裕之様著、
同468号相模鉄道
同945号水野照也様相模鉄道写真コメント
以上、鉄道図書刊行会
世界の鉄道'75(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 |
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※店名略称:フィルムスキャンs、通称店名:鈴木写真変電所
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