京福福井支社 勝山~京福大野間の線路を訪ねる
+越前本線の重なる事故
 ↑上記の地図が欠けており、たったこれだけが必要なのだが、1枚\500となる(2020.06現在)
↑明治42年測量、後に要部修正改版、昭和8年発行
 ↑昭和12年以降に大野口駅は貨物駅化されたが「大野口」として掲載されている
 ↑越美北線が開通して大打撃
 鉄道と勝山市街
 ↑京福福井支社からえちぜん鉄道に変わっても、線路の位置は変わらず、
    勝山市街から駅まで4~800m近くの距離があり、電車に接続する形で勝山市のミュニティバス「ぐるりん」(2020.06現在)が各方面約2時間ヘッドで運行中
  交通弱者に使い勝手の良い駅の位置では無い。勝山市街に入るために2度の架橋をしなければ大野に行けない状況から、今の駅位置になったのだろうが、終端駅となった現在、残念な状況。 
京福電鉄福井支社の度重なる事故
本項は、高崎経済大学2006年発行高崎経済大学論集 第48巻 第4号 
【京福電鉄における事故の組織人間工学的研究】から引用、要約、加筆させて頂きました。 
執筆された(当時)の経済学部:岸田孝弥教授、大島登志彦教授、武井昭教授、,
八戸大学人間健康学部久宗周二助教授に厚く御礼申し上げます。
ネット上に発表されておりますので、リンクをさせて頂きました 
貨物列車に旅客列車が追突
 1964年(S39)8月22日
 13時40分頃
 発生場所:越前本線発坂駅から約200m福井寄りの地点 重軽傷者18名(うち重傷者1名、後日死亡)
越前本線の貨車2両と電車1両が脱線、車両の1/4を焼失
【概要】
(1)運転指令の指示
 勾配区間の発坂-(比島)-勝山間は機関車の牽引力が無いので、貨物列車6両を3両づつ2回に分けて運行するよう運転士に指示。(京福に機関士職があるのか不明)
 ※牽引力から単台車70HP(52KW)×2の電動貨車テキ6系列が機関車?とか思ってしまう。
 補訂:鉄道ピクトリアル461号「テキ6とその同型車の歩み」 山口裕之様著から※必要部分を加筆補訂させて頂きました。
 比島~発坂間に存在する40‰の急勾配はテキ6形一族にとって牽引トン数は50トンで、積車の場合はワム2両が限界のよう。
 
牽引する貨物編成が長い(重い)場合、発坂で列車分割して勝山まで2往復して、勝山で再度編成し直した。とある。←事故の記述と合致
 
しかし、昭和33年以降は越前本線の貨物牽引からハズされていた。との記述がある。
 
後輩のテキ251(※写真後方の車庫に522号)は本格的な4個モーター機関車(60kw×4)なので、40‰の急勾配を3両づつ2回に分ける等は考えにくく、
 事故状況から、運用から外された6年後にも時偶?テキ6系列が機関車が牽引したと思われる。
   ※素人考えなので間違っているかもしれません・・・。
(2)運転士は独断で分割せず、6両のまま運転する旨を、保田駅及び発坂駅長に通告。発坂駅長は運転指令に連絡せず、単独で運転承認する。
  貨車6両の列車は登坂しようとしたが、果たせず、発坂駅まで後退した。
  登坂できなかったにもかかわらず、再加速すればと、6両のまま、発坂駅構内を逆通過して、本線路を300m保田駅寄りまで後退した。
(3)本線上を300m後退運転して再度、加速を試みたが、約100mほど運転したところで※、機関車が故障して、保田~発坂間の本線上に立ち往生した。
  ※発坂駅を300m後退した供述と衝突地点が200mとなっているので、その差100mは運転できたと店主推定。
(4)車掌は保田駅方の列車防護をせずに、発坂駅へ故障停車の連絡に行った。
(5)福井寄りの保田駅長は、貨物列車の機関士から、発坂駅では列車分割せず、運転すると通告を受けていたので、発坂駅構内には貨車の留置は無いと思って、通票器に通票を収納せずに到着した勝山方面行きの下り電車に通票を渡した。
※重大な違反行為。規定通り通票器に収納したら、発坂駅の確認作業があるまで、通票を取り出せない。当然、電話連絡となって状況が判るはずだった。
(6)勝山行きの運転士は当然、閉塞状態が確実な「通票」を渡されている考え、通常運行して本線上に停車している貨物列車に追突した。
 
 正面衝突未然事故
 1977年1月17日
 8時50分頃
発生場所:越前本線 追分口駅 負傷者及び損傷なし
【概要】
(1)福井発勝山行きの下り電車が、追分口に到着した。上り回送電車と交換する予定だったが、出発信号機の「停止現示」を見落とし発車。
(2)上り回送電車は1閉塞勝山寄りの東藤島駅を発車し、藤島駅(停留所)を通過、追分口に向かっていた。
(3)下り電車運転士は100m走ったところで、対向の回送電車に気づいて、急制動したが200m走行後、停車した。
(4)下り電車が追分口まで退行し、列車交換を行った。
※部内始末書だけのマル扱いが乗客の通報で発覚。この調子では他にもあるのでは?と勘ぐりたくる。
連続脱線事故
 1977年8月6日
 14時14分頃
発生場所:発坂駅から500m勝山駅側 重軽傷者17名
勝山行 2001形2両編成のうち後部車両1両が脱線転覆
【概要】
(1)福井発勝山行きの下り電車が時速35kmで、左カーブを走行中、レールが欠損して脱線転覆した。
 脱線したのは後部車両で、橋の手前で発生、前部車両に引きずられる形で橋を渡り、田んぼに横転した。
(2)事故現場の半径200mのカーブに敷設されたレールは、52年前の1925年に製造され、内側レールが162cm破損し、脱線転覆したものと,現場検証で判明。
 1977年8月9日
 12時50分頃
発生場所:越前本線 発坂駅~福井側
※発坂駅より1900m福井側と記載されているが、保田~小舟渡に該当するため、詳細な距離が見いだせず、上記の表記としました。
 負傷者及び損傷なし
 勝山行 前部車両1両が脱線。形式未調査
【概要】
((1)福井発勝山行きの下り電車が時速35kmで、左カーブを走行中、脱線した。
  現場は半径160mのカーブで、カーブの外側部分のレール頭部の摩耗が激しく、車輪のせり上り脱線。
(2)同年2月頃、現場としてレールの交換を要請したが、管理者が拒否※赤字低減対策と思われる。
【2度の事故発生の結果】
(1)8月9日、運輸省名古屋陸運局は危険な老朽レールを使用している山王-勝山間約10kmを中心に、車両の運行を停止して総点検をするように指示をした。
(2)9日より、同区間は運休して、バスによる代行運転を行った。
(3)10日から12日にかけて山王-勝山間で総点検を行った。
  頭頂部の摩耗が激しいレールは約2500mあった。レールの交換作業を開始した 
(4)8月19日、運輸省名古屋陸運事務所に対してレールの交換計画を提出して、9月16日から運転を再開した。
■全国鉄道事業者の対応店主の記憶
(1)40kg/m以上のレール(重軌条)への交換を所管の陸運局に「計画書」?を提出して、計画的な交換作業をすることに。
(2)ミソは40kg/mレールは「新品で無くとも良い」がポイント。
 大手事業者は40kgレールから50kgレールの重軌条化推進もあって、40kgレールは一時、地方私鉄から引っ張りイカタコになった。
 しかし、交換する理由があって交換されたレールなので、レール端部の摩耗の激しい部分は切り落として寸詰め20mレールに、曲線部分に使われて片側の頭部が摩滅しているものは反対側にして敷設するなどの対応で使用した。
 現場では微妙な寸詰めレールに当たれば、枕木の間隔を調整したりの大仕事。
 結果、新品レールのような乗り心地は当然得られなかった。この入手手法は現在も地方私鉄の「技術伝承」となっているが、運搬の手段が限られてきている。
(3)交換が進んだ結果、旧型車が窓をガシャガシャ言わせてすっ飛ばした、地方私鉄の乗り心地間が無くなって寂しくなった。  恐怖感は無くなったけど・・・。
(4)越前本線のレール折損及び摩耗脱線は、車重27~29t前後の中型車の運行から南海から移籍の2001形が混じるようになって、車重が7t以上の増加になり、ヘロヘロの30kg、37Kgの軌条が耐えられなくなった可能性が十分にあると思う店主。
 正面衝突事故
2000年12月17日
 13時28分頃
発生場所:越前本線志比堺駅より600m手前 死者1名(運転士)、重軽傷者25名
モハ251(Ⅱ)、モハ1001の前面を大破
【概要】
(1)1991年1月にモハ251形の車両のブレーキ主ロッドを破断する事故があったが、同型車両のブレーキロッドの点検、交換を行っていなかった。※
 ※その構造を知っている者であれば、如何にヤバイかは常識・・・。安全に関わる超重大事案に関わらず・・・。
(2)2000年12月17日13時20分永平寺線の251(Ⅱ)号は始発の永平寺駅を出た直後から金属が擦れる異常音が続いていた。下り勾配の続く京善駅までは途中の曲線制限などのブレーキ操作もあったが、正常に止まった。
(3)13時24分、京善駅を発車した直後、横揺れのなどの異常な状態が続き、速度制限地点で、常用ブレーキが効かず、非常ブレーキ位置でもブレーキが効かない判明。
 手ブレーキも効果が無かった←鎖緊締タイプは本来は、転動防止用で、走行用のブレーキとしては停止は困難だが、若干は効きそうな気も??。
 車両更新時に電気スイッチ式の吐出弁タイプに改造されていた可能性が高い。
(4)13時25分、運転士はブレーキの異変に気付き、鉄道司令区に無線連絡したが、連絡は合計2回行われ、最初の連絡では言葉が聞き取れず、指令区から応答を呼び掛けたところ、ブレーキに異常が起きて停止できないことがわかった。
 指令区は無線で下り電車に緊急停止を指示したが応答はなかった。
 線路は下り勾配のため加速しつづけ、東古市駅のポイントを割り出して越前本線に進入した。※安全側線は無い。
(5)運転士は乗客に対し後部に移動するよう指示し、運転台に戻り警笛を吹鳴し続けた。
(6)13時27分:下り電車1001号は定刻通り、志比堺駅を出発し、走行中に正面衝突をした。
■運輸省は全国の鉄道事業者に対し、車体ブレーキシリンダ方式の台車を履く車両の単行運用禁止で最低2連化を通達。
  事業者は運行コスト増で新性能車(台車装荷のブレーキシリンダ方式車両)への置き換え推進。
  結果、主電動機吊掛式の車両は車体ブレーキシリンダ方式が殆どなので、急速に淘汰されるようになった。
  ※アスベスト使用機器の禁止も大きい   
2001年6月24日
 18時8分頃
発生場所:発坂駅~比島間、保田出村第一踏切付近 重傷者4名軽傷者21名
普通5002号、急行モハ2201号、双方前面大破
【概要】
(1)18時3分、上り5002号は勝山駅を出発、同時刻下り急行2201号は越前竹原駅を発車した。
(2)上り5002号は発坂駅に早着した。下り急行2201号と交換して発車すべきところ、出発信号の「R」を確認せず発車
(3)18時8分頃:福井方面に約520mの右カーブを過ぎた保田出村第一踏切付近で衝突した。
■運輸省中部陸運局事故後の同日、全線の運行停止命令を発出、この命令時間以降、京福電鉄福井支社の列車運行は停止した
■会社は永平寺線を廃止し、残った越前本線、三国芦原線を第三セクターのえちぜん鉄道に施設を売却し、京福福井支社は消滅した(一部の継承目的の新会社はあり。)
本稿作成にあたり、鉄道ピクトリアル私鉄車両巡り特輯Ⅲ 「京福電気鉄道」 藤原寛様著、同295号「京福電気鉄道福井支社」 藤井信夫様著、同701号「京福電気鉄道福井鉄道部」岡本英志様、
同461号 「京福福井支社」 杉谷広規様、三木理史様著、同号「テキ6とその同型車の歩み」 山口裕之様著、同468号相模鉄道、同945号水野照也様相模鉄道写真コメント、以上、鉄道図書刊行会
世界の鉄道'75(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。御礼申し上げます。 
★印は地図と空中写真で線路(跡)を巡ります (2020.09) 
京福福井支社その1へ 
比島~発坂間、車両-1
京福福井支社その2
車両-2
永平寺鉄道
永平寺~金津間
三国芦原電鉄
東尋坊口駅まで
勝山~京福大野間 
越前全本線の重なる事故
 
 丸岡鉄道
+福井大震災空中写真
福井口付近で撮影した国鉄列車 1991.07   北陸鉄道能美線
尾小屋鉄道  福井鉄道福武線-1  福井鉄道鯖浦線  北陸鉄道 石川線
京福京都支社 嵐山線  京福京都支社 叡山線  日車の兄弟車両 富山地方鉄道
(福井鉄道 早朝・夜間)  
SONY RX100 M7-その3 
(福井鉄道 車両 2020)  
SONY RX100 M7-その4(jpg編)
 (福井鉄道 各駅・運転)
SONY RX100 M7-その5(jpg編)
京福(えちぜん)鉄道 三国芦原線
SONY RX100 M7 その6(jpg編)
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