北 陸 鉄 道 石 川 線
旧世代の写真と野町周辺の鉄軌道を地図で眺める |
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■番外編画像で停車中だった3704号が加賀一宮に向けて発車。 手荷物用の秤が懐かしい。 以下店主にしては沢山撮影した夜景から。 |
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↑鶴来駅夕陽の図 | ||||||||||||
↑鶴来駅から野町方向を撮影。照明下のクハがいい感じ・・・。なんか模型の世界のような写り。 | ||||||||||||
↑ポジでも同じように撮影。撮影行は、ばけペンと35mm×2台で行って、見事にピンぼけ。 流行のマクロレンズおもちゃ風のボケなんて自己満足。 |
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↑明朝一番の白山下行きになる3711号が就寝中。構内照明の電球の光量のみで撮影。 | ||||||||||||
↑日も暮れて夕刻。3731号が白山下駅に着く頃は真っ暗闇。家路につく乗客が座席を埋める。 鶴来の町はその昔、結構栄えていたらしい。 |
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↑列車を追って長時間露出、まもなく鉄橋を渡る音がしたところを見ると、どうも本鶴来は乗降客が無かったようです。 | ||||||||||||
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↑能美線からやってきた3762号。構内の吊り下げ照明灯が好ましい。 速度制限標識の「20」は時速。下の「44」は制限区間を44秒で抜ける表記。 |
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↑朝一番で白山下にあがって、折り返しは準急標を付けて野町に向かう3711。 どうしたら、このような前面の設計に至るのか?抽象画で有名な画伯の指導を受けていたのか? ↓画像ちょっと大きすぎました。運転台の雨樋の処理にご注目。 |
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野町周辺を明治42年測図、大正15年鉄道補入、昭和3年発行の地図で見る | ||||||||||||
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↑新世代に置き換わったと思ったら、京王3000型が入線するまで予備として綺麗にお化粧されて留置。 7000系入線に際してホームのかさ上げと車内ステップの埋込工事も行われ、予備車3両は全塗装されて なかなか豪華な余生。窓の配置は往年のクロスシート車さすがの風格。 |
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↑予備車は3両で最後方の1両は能美市立博物館に保存された3761号。 ユニット窓を確認するために思い切り切り出した画像はこちら→拡大写真 中間に写っているED301号の台車はDT21とほぼ同等品の西武FS342に交換されて強力仕様に。 |
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