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未リンクページの掲載は順次賞味期限切れになった頃にでも・・・
の状況ですが、ついに元号が変わってしまいました。 |
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デハ1形(車号:デハ1~3、4(6に改番)、5、7)
車両諸元は近々(いつになるんだかですが)現在、きっちりまとめ中です。粗アップですのでページ組成も徐々に変わるかもです。クハ14記載は後ほど追加 |
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開業当時からのデハ1形の車体外観(復原画)↑形式残存車号は↓ワンマン化されたデハ3とデハ6の2両 |
各車経歴:1号→デハ23,2号→デハ22,3号→ワンマン化,5号→デハ24,6号→(デハ4→6)→ワンマン化,7号→(クハ14→クハ101初代→デハ7→デハ11) |
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↑デハ3の乗務員扉と客扉、戸袋窓 |
↑オリジナル車体デハ22の扉位置(当車はデハ2の中央扉を埋めて2扉化) |
乗務員ドアを新設するため、客窓位置に乗務員ドアに、客用ドアを若干車体中央寄りに移設、客用窓を1つ減じて戸袋窓の両側で寸法調節した。
窓桟に相当する部分が幅広くなっている、客扉間の客窓はオリジナルの7枚から6枚になった。客用ドアはアルミ製としてと自動化、戸袋付近の鋼板張替。
ワンマン関係のミラーや大社側へ進行方向の右側車体のみとして、中央扉の上側左右に車外スピーカーの取り付け(※1)。
大社線のワンマン化はデハ3と6の2輛がアルナ工機(※2)により施工された。
※1途中駅は全て大社前駅方向の進行右側のみホームがある。このため、川跡、出雲大社前もホーム側を揃えるため着発線を限定して運行していた。
※2P555号鈴木大地氏の記述によれば尼崎工場のアルナ工機へ車体を送ったとある。連絡線のあった国鉄時代なので貨物列車に組み込んで送ったのか?
輸送中の写真や研究発表を知りたいです。 |
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↑↓開業当初からの車体に大社線ワンマン化用の改装を行ったデハ3。中央扉上の左右の車外スピーカに注意。下の写真は無い。
パンタのシューの先端が釣り針の返し形になっているのは、万一架線が切れても「返し」で架線がすぐ、屋根に落ちないように考えた結果の伝統だそうな。 |
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↑デハ6の1エンド側
デハ6は開業時の一員として車番デハ4で竣工。しかし忌番なのか書類上、約1年半後の昭和4年5月にデハ6に改番された。
その効果なのか?ワンマン化されて最後まで残ることとなった。なお、お椀形ベンチレーターはデハ3が片側4個、デハ6は片側6個の差異がある。 |
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↑ドアスイッチは上が前扉、下が中央扉の銘版となっている。
んんっ?通常は大社前方向基準で右側しか使わないから・・。通常右側扉しか開閉できないようになっている。
左側をあけるときは天井桟かどこかに「左右切替スイッチ」があったのだろうか?
左のNFBは前照灯と標識灯。その上は不明。
圧力計、スピードメーターは相当下の位置に下げられてしまった。見えればOK~。
右上の車掌鞄、→店主宴会用に購入しちゃいました。 |
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↑そういえば客室も中央扉の整理券発行機が左側に無い!
大社側の運転台方向。出口案内が固定表示。片運転台だが3,6号はパイプ仕切りあり。 |
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↑川跡方向の運転台。出口案内はやはり固定表示されている |
↑客扱いドアは片側限定開閉。 |
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↑デハ6パンタ周り。創業当初からの横碍子支持の三菱電機製パンタを搭載しているよう。 |
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↑デハ3はパンタを更新したらしく縦碍子支持の
↓下記の社紋のパンタを搭載。見慣れているTDKマークでも泰平でもなさそうだし・・。 |
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↓ちなみにデハニ52のパンタの拡大。マークは同じようだ。う~ん。双方ともブレてる。
35mmの切抜き拡大にアンシャープマスクをがっちょり。 |
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↑その昔、同人誌に掲載した図表と画を一部修正の上、再録 |
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↑↓さとがた保育園に保存されてデハ3とデハ6。遠方から見ると駅に停車しているように見える。
デハ6は方向転換されて保存されている。何時施工したか不明だがベンチレーターが減少している。
さらにデハ3の方は扉が木製扉に交換されている。デハ20形のものか?理由は「BATADEN」映画の関連か店主は不知。
この先、大変な維持費がかかるとは思うが、何時までも・・・。
と部外者の店主は寄付金も払わないで保存を願う勝手モノ。 |
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