|
車両諸元は近々(いつになるんだかですが)
現在、粗アップですのでページ組成も徐々に変わるかもです。 |
デハニ50形(1~4)
最終残存車デハニ52,53。デハニ51はデハ21、デハニ54はデハ11に改造され形式車号変更 |
|
↑デハニ51、52号はクハ3形クハ3、クハ4号で昭和3.4.7に竣工した。
竣工図(BATADEN-P21に竣工図掲載)や写真があるため、最初に付随車で登場したのは疑えない。
では何時、電装したのかという時期についてはデハニ50形のWiki執筆者がS4.7.1付で電装化竣工届けと出典を明示している。
Wiki中、 竣工届けについて鉄道省から昭和4年(928年)6月4日付監鉄第2503号ノ1で「クハ」とあるのを「クハニ」と形式を訂正しなさい。とし、
一畑側から回答が無いため、1929年5月23日付監鉄第2503号ノ2で至急回答するよう督促されている。
以下、店主の一畑担当者の気持ち的な書き方かもですので原記載は下記デハニ50wikiにてご確認ください。
督促を受け取った一畑は、こりゃ返事しないとヤバイ。2通目の至急回答とあるのを無視すれば今後どうなるか判らん。ヒェ~!
こちとら忙しいのにやってられん!先日、電動車化申請の改造認可申請出してんじゃねぇかよ!付随車と電動車の担当者は違うのかよ~。
等と思ったかどうかは知る由もないが、こう書いてやれ!と
「今年(昭和4年)3月31日付庶第52号文書で電動客車に改造認可申請しております。認可頂ければ形式称号及び車両番号変更をいたしますので、
(クハニの届けを出さなくてによいように)お取りはからいくだされ。
として形式をクハとして出した竣工届けをクハニで訂正、再提出をしないで逃げ切った。
よって、各著のデハニ51(クハ3)、52(クハ4)が当初から電装で増備されたと連想される記述は、当初クハ3形で登場、S4.7.1付で電装化竣工届とするのが正しい。
詳細な調査をされている→デハニ50形Wikipediaへ(一畑電鉄Wikiと、この形式の執筆者は別のようですが正確には不明です。)
2016年中の補遺sで一旦終了。一畑電鉄(電車)デハ1形訂正 |
|
↑パンタ周り。木製屋根に帆布張りなので、屋根カーブに合わせた鋼帯材に各部を溶接して載せ、釘?止めしている。 |
|
↑↓何かのご参考に床下を・・・。 |
|
|
|
↑朝の運用にデハニ52または53を増結して往復し平田で解結。先頭車なので回送扱いで到着し、素早く解結するのだろうが、エア管はコック閉めただけで、ぶら下げらまま。電気関係のジャンパはさすがに引きずるため鞘にロック。そのまま本線を入れ換え、車庫線に転線したらしい写真。側面ステップから屋根の握り棒が素晴らしい造作。
本来は↓このようにキリリと。。 |
|
|
↑↓デハニ53 53と54は昭和4年12月、当初から電装した正統デハニとして竣工。
デハ20が検査なのかクハ100形と連結している。 |
|
|
↑↓保存車の運転台 ↓店主的には押しスイッチの「弱メ界磁」スイッチとなぜか「前照灯」スイッチが気になる。
元はスイッチのある場所が違っていたのでは?と思ってしまう。
さらに左のカノピースイッチは異常時か何かに「断」すると最悪、大きな電弧が出るのか、上に電弧熱遮蔽板が設置されている。
|
|
↓以下デハニ53貸し切り専用車扱の頃の画像です。 |
|
|
|
|
|
|